第23話 誰の世界

 目の前に広がるのは熱帯や亜熱帯にありそうな木々に、しっかりとした土壌。

 頬をなでるのは水を多分に含んだ泥ではなく、温かい土と、多少の葉っぱ。


 悪趣味な塔など無く、緑が一面に広がっている。


「なんだここは! 何をした!」


 距離の開いた正髄が叫んだ。


 遠くに正髄の従姉妹や祖父が成った怪物が居る。


「欲しくは無いですか? 禁書。俺の持つゴケプゾ」


 正髄の動きが止まった。

 欲望をちらつかせた人間、とは今の正髄のことだろうか。


「だから案内してあげたんですよ。俺の世界に。試練の間に」

「代償は?」


 正髄の言葉に、思わず口角が上がる。


「あんたが散らかした植物。おかげで、ドウォパショの中にゴケプゾを侵食させることができました。


 だから、そうですね。


 禁書らしく。本らしく言うならば言わばこれは栞を見ているようなものです。本の中に挟まった別世界。ドウォパショを違法に出ていないので、代償はかかりませんよ」


 あ。

 ゴケプゾの試練をクリアするための代償ってことだったのかも知れないのか。


 まあ、どのみち。


 自分の身を守ることが第一で、自分と敵対関係にあった以上は『歓迎』を無抵抗に受け入れることはないだろうな。


「では、始めましょうか」


 自分の言葉の後、蔓が葉が枝が。正髄や怪物、炎の巨人ピグキキゾに向かって伸び始める。

 絡めとられれば、怪物が暴れだした。暴れれば暴れるほど、植物の量が増える。


 正髄は正髄で、炎の巨人に守られるように抵抗を始めた。

 取り上げなかった盾も振るっている。新しく武器も呼び出している。

 激しく抵抗している。


 抵抗すればするほど、植物が燃えれば燃えるほど。

 その炎をかき消すように多量の植物が正髄を覆い始めた。餌に群がる小さな生き物のように。我先にかっ食らうために殺到するように。マナーなど無く。優劣など無く。

 植物が正髄と言う餌に向かって牙を伸ばす。侵食する。穴と言う穴から入り込む。


「あんあおえあ!」

 何だこれは、だろうか。


「おうあっえいう」

 どうなっている、だろうか。


 苦しみ、籠る正髄の声が耳に届く。

 転がっていても、正髄と巨人の居た方角の植物の背丈が小さくなったのが見えた。次いで、塊が一つ消える。


 巨人が消えたのだろう。

 横では、怪物達も次々とゴケプゾに取り込まれていくのが感じられた。


 それに応じて、自分の体の痛みが消え、活力が増えていくのも。


「くそったれが」


 ゴケプゾを取り出して、顔に乗せた。


 古書の匂い。自分の好きな匂い。

 これも、殺人の匂いに代わってしまうのだろうか。その度に、思い出すのだろうか。


「がっ」


 痛い。

 急に。

 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い。


 急に、体が、痛い。裂けるように。熱い。


 手の震えがおさまらない。口を開けばマグマが飛び出てしまうかのように、辛い。

 ほんとに、痛い。痛い痛い。


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 どん、と顔に乗せていたゴケプゾが跳ねた。


 口が閉まらない。


 視界の下に、女性のモノと思われる手が見える。良く意識すれば、自分の口から生えているようだ。


 何で。

 え? なんで。


「ぁぁっ!」


 痛い痛いいたいイタイイタイ!


 熱く、体の真ん中から裂けるような痛みが走った。

 足が上がり、曲がり、手が地面握りしめてしまう。

 それでも何も変わらない。

 もう力が入らないと思っていたのに、筋肉が切れそうなほど力が籠る。

 それほど痛い。

 辛い。

 痛い痛いいたいイタイイタイ!


 ずぼり、と自分の体から何かが現れた。


 それは長い朱色の髪をしており、和服を動きやすくリメイクされたような服を着た、女性的な体をしたナニカ。地面に広がる程髪の長いナニカ。


 手には扇子。

 炎を纏っているように、自身が炎であるかのように全てが揺らめいている。

 服装が動きやすそうだと言うのはうそだ。

 袖も裾も長い。地面に垂れ下がって、広がっている。


「はー。やっと出れた」


 そして、声は。

 朱音さんのモノ。



 気づけば、痛みは消えていた。


「やっ……と……?」


 全然、声が出なかった。

 それでも出てきたモノの顔は自分を向いた。


 造形は、朱音さんそっくり。ただし、目は黒く、瞳の部分が濃い紅色である。


「そ。やっと」


 足を引き抜くようにして、出てきたモノが自分の上からどく。


「誠二の表現を借りるなら、『栞を挟んでいた』感じ? 誠二の中に私の一部を入れて、運んでもらってたの。もちろん、念のためにね。そうすればより大事にもなるし、ドウォパショへの代償にもなるでしょ?」


「しら、じ、らしい、こ、とを」


 駄目だ。

 全然、声が出ない。


「え? でも、誠二にも良いことはありましたよね。文字が読めるようになったり、ゴケプゾを使いこなせるようになったり。あれ、私のおかげだよ。種子の休眠って話も借りるなら、先に占有していた植物を焼いてあげたのも私だし。ほら、ドウォパショの土砂崩れも防壁で防げたでしょ? あれ、私も力を貸してあげたからよ。本当に人間なんかに力を貸すことは無いんだけど、誠二だけ特別に貸してあげたんだよ。私ってばやっさしー」


 くっそ。

 怒れば良いのか、礼を言えば良いのか。

 全くわからん。


 助かったのは事実だが、勝手に寄生されて何かを書き換えられているかも知れない、と言うことだろ。


 ちくしょう。


「な……んで、い、ま?」

「ゴケプゾの世界、ま、誠二の中が広がったって言うのと、禁書を焼くため」


 言った後、朱音さんが手を伸ばした。

 朱音さんの左手が掴むような動作をすれば、鼻や耳、口から植物を垂らした正髄が現れる。首は、朱音さんの左手に握られて。


「ドウォパショはないないしましょうねえー」


 にっこり笑って、朱音さんが正髄の心臓付近に右手を埋めた。

 引き抜けば、本が現れ、燃え始める。


「まヴぃふぉヴぁねふぃ、ふぃげどぅぇ」


 軽やかな朱音さんの声に合わせて、炎が青白く変わってドウォパショが燃え尽きた。

 灰が、ハラハラと舞い落ちる。


「ああ、これも返してもらうよ」


 朱音さんが言えば、人の皮のカバーが着いた本が現れた。人の皮が燃え上がり、本が朱音さんの手の中に落ちた。


 朱音さんが大事そうにその本を抱きかかえる。


「おかえり」


 そして、慈愛の神と言っても差支えの無いような声を、朱音さんが取り返した本に落とす。


 その慈しむような目も一瞬。

 次は静かな怒りを称えた目が、正髄に向けられた。


「さて、神を冒涜した罪。その重さ。分かっているでしょう?」


 ゴケプゾの世界が裂けるように楕円形に別世界が広がった。

 朱音さんが手を伸ばして、正髄をそこに入れる。


「簡単に、死ねると思わないことね。生きて苦しみなさい。正髄洸太。愚かな人間」


 朱音さんが左手を開いた。

 正髄が、恐らく朱音さんの世界に消えていく。


「ぼう、とくした、罪って。お、れも、そうとう、やば、い、です、か?」


 冗談めかして聞きたかったのに、体が動かなくて深刻そうな声になってしまった。

 朱音さんがやわらかく笑い、しゃがんでくる。


「まさか。貴方は私ではありませんが、貴方の何割かは私のモノ」


 朱音さんが触れた場所から、極度の熱が、炎が広がっていく。


「だからこそ、ゴケプゾの中でならより本来に近い力が発揮できたのです。それこそ、一瞬で正髄洸太に神罰を下せるほどに。私に対抗するための鎖も、貴方と言う人間を通してこそぎ落とすことができました。本当はもっと時間をかけて貴方の中で育ってから巣立つつもりではあったんですけどね」

「こ、わいこ、と、を」


 朱音さんが笑った。

 恐ろしいほど美しく、視線が固定される様な微笑である。


「大丈夫ですよ。予備とは言え、一時的に誠二を私の母体にしてしまったわけですから。貴方を導くくらいは、やってあげますよ?」


 朱音さんの手が伸びて、頭を持ち上げられる。

 朱音さんの髪が頬にかかり、新書のような良い香りが鼻腔をくすぐる。


「神の加護、というやつです。喜んでください。私は、存外、貴方が気に入ったようですから」


 耳元でささやかれた声は、熱量をもってゆっくりと粘液のように滑り込むように。

 耳道を通って鼓膜を通過し、脳を経由して全身に広がるように。


 染み渡りながら抵抗を許さないもので。


「今はゆっくりと休みなさい。人間などと言う脆弱な殻では、これ以上は持たないでしょう? 条件付きで仮初とはいえ、神の因子をその身で育てたのです。その上で、神に近いところに位置する力も振るった」


 まぶたが、おもく、なる。


 いしきがとおくに。


 すべてが、まどろみのなかへ。まくの、むこうへ。


「あなたにほうかいされるのは、ぐあいがわるいですから」


 いみがりかいできないことばだけは、なんとなくかけられたのはわかり、じぶんは、このじょうたいを、うけいれた。

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