第9話 私の目的

 衝撃の方向へ顔を動かしても誰も居なくて。音がした方に顔を動かせば巨体の怪物、いや、巨体に見える怪物を確認できた。


 怪物の胴体は幼子のように小さいが、顔は老人。手足は長く細く。足長蜘蛛を人間のパーツで作ったような見た目をしている。


 蜘蛛のような動きの素早い怪物が胴体を下げるように屈伸してから飛び上がった。さして高くない天井すれすれで怪物が四肢を広げる。


「ぉぬぞぬザゾ」


 朱音さんの両手に扇子が現れた。

 自分も、続くべきか。


「ぉぬぞぬドロ」


 手に、硬い質感が訪れる。

 今度は最初から持ち手からは片側へしか黒い棒が伸びていない。


 さて、また、武器を振るうわけだけれども。あからさまな怪物相手なら、まだやりやすい、か? やりやすい、だろうな。


 熱を感じて顔を上げれば、天井にいた怪物が炎に包まれ、そのまま入口の方へと押されていったのが見える。


 やはり、朱音さんの敵ではないらしい。

 安堵と同時に破砕音。

 息を吐く間も与えないとはこういうことか。


「どふぉのザゾ」


 目の前を朱音さんの炎が通り過ぎていった。


 追いかけるように目を動かせば、最初の襲撃で出会ったような怪物。肘から先が三股に分かれている、二.五メートルはあるんじゃないかという怪物。相違点は、顔が若い女性であること。


 その怪物が燃えていた。


 みし、みし、と天井から音が鳴る。


 今度は何だよ。


「やっぱ不法侵入はいけなかったかな?」


 朱音さんがお菓子売り場で悩んでいるような声をあげた。

 その余裕はどこから、と思ったけれど、実力からくるのか。


「って、正規ルートならこの怪物たちは出てこなかったってことですか?」

「さあ。出てきたかも知れないし、出てこないかも知れないし。少なくとも、この部屋を壊してまでは殺到しなかったんじゃないかなあ。なんせ自分が見張るための部屋だから。でしょう、ショウズイコウタ?」


 どこに? と思って周りを見渡すも誰も見当たらない。

 居るのは火傷から復活しつつある二体の怪物、天井の軋み。自分と朱音さん。


 居ると思って外す、恥ずかしいパターンのやつですか、朱音さん。


「今、失礼なこと考えたでしょ」


 朱音さんが上半身だけを腰を起点に反らして言う。体がやわらかすぎる動きであり、なんか、敵対している怪物に挟まれている時にやる動きではない、


「まあ、ありますよね。そういう肩透かし」


 あれだ。

 今の朱音さんの体勢はフィギュアスケートでイナバウアーをしている人をさらに上から押しつぶしたような感じだ。


 とか考えていたら、天井から何かが落下してきて、思わず肩が跳ねてしまった。


 小石、というよりは破片か。

 天井は見たくないなあ。でも、見ないとなあ。


 ゆっくりと目を上げる。天井にはひびが走り、今にも壊れそうであった。

 中心地は、朱音さんと自分の間。つまりは、天井が壊れればどちらにも被害が出るということか。かといって、後ろには三股に分かれている奴、前には足長蜘蛛のような奴。


 壊れない補強するのが最善か? なら、天井に蔓を生やして固めるべきか?


「どふぉのだぼぬにょむ、ぼぬにょむだどふぉの」


 自分が迷っている間に、朱音さんが一節を紡いだ。

 瞬時に天井が燃え上がり、崩れ落ち、朱音さんの扇子に合わせて壁に吹き飛んだ。


 燃えていたのは映像に映っていた自力では動けなさそうな、ぶよぶよの巨体の怪物。丸い目だけを、あらゆる媒体にいる紫色の毒々しい粘体生物にくっつけたような、赤紫色の怪物。スライムほど受け入れやすくはないのは、赤黒い血管のようなものが見えているからだろうか。それともテレビに取り上げられそうな肥満体型の人のお腹をさらに爛れさせたような見た目だからだろうか。


 いや、待て。

 それよりも。


 何で自分は朱音さんの言葉が禁書の一節だと判断できた?


 長いから、と言うのは分かるが、断定までできるのはおかしくはないか?

 『炎は暴食、暴食は炎』と分かったから? それもおかしくないか。悪いが、自分は英語が得意ではない。それなのに、ほぼ知ったばかりの言語を理解できるのか?

 理解できているという意味ではそうだが、あれだけの文章だ。英語の教科書のような文章でもないのに。


 いつからだ?


 最初は、訳の分からない言葉だった。でも、ゴケプゾを開いてから、いや、それよりも朱音さんに何かを施されてから? あの、体が焼けつくような感覚があってから?


「考え事は後にして!」


 いっ!


 衝撃。後に目から突き出るような灼ける感覚。手足が炎になったのではないかと言うほどの熱量。硬い衝撃。


「捕らえろ」


 朱音さんに蹴とばされたと理解できたのは、男のそんな言葉が聞こえてからだった。


「ぁきゃげっ!」


 朱音さんの「下がれ」と言う怒鳴り声に応じた火炎は部屋を焼き、怪物を制圧する。

 だが、炎が去ってから顔を上げた時、朱音さんは様々な植物のような物体で補強された頑強な土に見える物でがんがら締めになっていた。


「無駄ですよ」


 男の声に、取り乱しかけた心が鎮まっていくのが分かった。

 何も、男の声が良かったから、とか言うわけではない。


 朱音さんは自分の注意不足でこうなったのだ。ならば、すぐにまた同じ轍を踏んではいけないと、新たな闖入者に対して思えたからである。


「こちらも、無策で待っていたわけではありませんから。貴方が現実世界で次の生贄を探している間に、こちらでは随分と長い時が経過しましたからね。対策は、十分に」


 男の声と共に足長蜘蛛のような怪物が起き上がった。

 まるで従っているかのような動きから、声の主が作り出したのではないかと推測できる。

違うな。


 まずは目の前に集中。朱音さんを助けることが目標で、当面は怪物を止めないといけない。


「じゃぐドロ」


 自分の祈りに合わせて蔓が至る所から生じる。


「防げ」


 低い声の後に現れたのは圧倒的質量差を誇る土。そして、水。

 水が膝下程度の深さしかなかったが、完全に足を取られる。


「襲うな」


 声の後、牛が蜂に刺されたような声が聞こえた。


 口元の泥水だけを拭ってから鈍痛にのたうち回るような声の方向を見ると、肘から三股の怪物とぶよぶよした怪物がねじったような土に捕らえられていた。


「初めまして、かな。誠二君」


 名前を何で知って……、いや、此処から映像が見られるなら、監視が目的なら聞こえていてもおかしくはないか。


 おかしいくないのか? あの映像を見る限り、莫大な情報量があるのに?

 それを、実行できるのか?


「初めまして、でしょうね」


 男に見覚えはない。


 体格時代は中肉中背っぽいが、ところどころから見える体は筋肉がついていそうだ。それでいて雰囲気は落ち着いており、細身で眼鏡をかけていても似合いそうな雰囲気がある。

 髪の毛は長くもなく短くもなく。横は耳にかかっているが、前は目の邪魔になってはいない。


 まあ、自分の方がイケメンな自信はあるけれど。


 逆に言えば、そこしか勝てなさそうな印象を受けてしまう。


「比良山家はお父さんとお兄さんが出張で居ないことが多い四人家族かと思っていましたが、なるほど。『お兄さん』と言うのは二人いたのですね」

「三人兄弟で悪かったな」


 どういう意味だ?

 知っているぞという脅しか、お前ハブられてんだなっていう指摘か、ただの雑談か。


 大学行ってから自分以外の四人が旅行に行くなんてこともざらだからな。家族旅行の存在を教えてもらう、と言うよりも気づいて発覚する感じだったし。こいつの指摘は間違っていない。


 どちらにせよ、関りは薄いはずだ。

 家に上がるほどの仲ならば流石に三人兄弟だと気づける、と、思う。だといいな。


「いえいえ。家族とは大事な存在。大事な存在である家族は多ければ多い方が良いと私は思っていますので。それに、貴方が神に選ばれた人間ならば、私にとっては貴方と出会えたのは僥倖。まさに、最高の日だ」


 何から、聞けば、良いのやら。

 こういう時は、家族が人質とされているのかどうかから、か? 知り合いかどうかでも変わってくるしな。


「俺の家族とは、どういう関係だ?」

「いとこが近くに住んでいてね。ただそれだけさ」


 それだけで知っていると? 家族を? この時代に?

 おかしくはないけれど。疑問も無くはない。


「そう警戒しないでくれ。君も本を持っている以上、きっちりと説明はしよう。そのうえで、君を元の世界に返すことも約束する。その説明の中には、君が『朱音さん』と呼んでいたものをどうして捕まえたかの説明も入っているともさ」


 創造した武器に指をかける。

 でも、相手は人間だ。多分だけど、人間である。


 灰色を真っ二つにしたような攻撃になってしまっては、殺しかねない。手加減をして仕損じれば、後ろの怪物たちが解放されかねない。そもそも、勝てるかどうかも分からない。


「武器を取っても構わないよ。いきなり出てきて、此処まで旅を共にしたモノを捕まえた者に対して警戒するのは当然だろう? 私が君の立場でもそうする。ただ、私も負ける気はしないがね」


 この世界を使いこなしているのなら、そうなんだろうな。

 そんな格上相手に朱音さんを放せと言うべきだろうか。


 言ったところで、でもあるか。交渉に臨もうにも相手の望みが分からない。向こうはこちらを殺せるだけの力がある。こちらの情報をどれだけ持っているかも分からない。


 武器を持ち続けるのは、愚策か。


「やっぱやめとくよ。武器を持ったところで、百害あって一利なし、だからな」


 手を放せば、泥のようになった地面に黒い棒が沈む。


「さあ。それは、君の判断次第だ」


 男が武器の有無など関係ないと声音で十分に伝えてきた。

 朱音さんは険しい顔で拘束を取ろうともがいている。

 どうにかして拘束を外したいけれど、何かしようにも何もできない。


 ゴケプゾの蔓は完全に抑え込まれた。他の持ち物は携帯電話と財布、携帯充電器、飴とお茶が一本。

 切ったり壊したりに使えそうな道具は持っていない。携帯電話で不意を突こうにも、鞄の中にあるから取り出すのはバレる。今すぐに、とはいかないだろう。


 怪物は拘束されているが、放たれる可能性もあるし、ここにいる奴らだけとも限らない。先ほど壊れたのは天井だが、落とし穴がある、と言うこともあるだろう。


「さて、何から説明しようか……。やっぱり、私の目的からだろうか」

「まあ、根っこから話してくれれば枝葉は分かりやすいですけれどね」


 聞いているわけではないだろうけれども。

 それでも、男はこちらをじっと見て、ゆっくりと頷いてきた。


「そうだな。私の目的を端的に表現するなら『人を整理する』ことだろう。言わば令和の、いや、二十一世紀のノアの箱舟だ」

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