第17話 窃視の問答

「そこの神も、力があるのに何もしない。自己中に、他の神の力を削ぐことしかしていない。その力があれば、多くの無辜の民を救えるのに、していない」


 正髄の怒気に反応するように、口が裂ける怪物が体を震わせた。

 血肉が腐敗したような異臭が流れてくる。


「力を削ぐとか言っているが、そもそも十全な力を神が手にした時に」

「神様ね。様をつけてよ。そう呼ぶならさー」


 ちょっと。

 朱音さん。少しくらいは空気を読みましょうよ。


「神様が十全な力を手にした時に何が起こるのか、正髄さんは知っているのか?」

「答える必要があるのか? 味方にもなってくれない君に?」

「知らないだけだったりしてー」


 けらけらと後ろで朱音さんが笑った。

 緊迫感など無く、笑った。


 申し訳ないけど無視して、正髄に顔を向ける。


「一つ、聞きたいことがある。ある子供が登校中にカラスに襲われている子猫を救ったとしよう。その子は英雄だ、ヒーローだと言われた。正髄さんは、どう思いますか?」

「善行だ。その子はクズではないと判断するともさ」


 それがどうしたと言わんばかりの態度で正髄が言った。


「俺はそうは思わない。いや、その様子を見ていた小二ぐらいの俺はそうは思わなかった」


 正髄が目を細めた。

 口を開く気配は無いので、続けさせてもらう。


「子猫にとっては英雄だったかもしれないが、それでカラスが飢えたら? カラスにも子供が居たら? その子の取った行動は、苦労して追い込んだ猫を横取りしたと同じ行為だ。疲れさせて、カラスの飢えを早めただけの行為だ」


 正髄の目が泳いだ。


「ま、おぼろげな記憶だからな。その子もあまり怪我をしていなかったし、本当に狩りかもわからない。カラスも必死じゃなかったなら別に強く非難される行為ではないさ」


 幼心に疑問に思ったから、カラスが可哀想だと言う思いが強く残っただけで。


「もう一つ良いか?」


 正髄が目を向けてきて、顎を動かした。

 話しても良い、と言うことだろう。


「車どおりが少ないから押すボタン式の信号を押さずに渡った者が居るとしよう。どう思う?」


 言葉が少ないなどの指摘もなく、正髄が口を開く。


「押せば良いとは思う」

「なんで押さなかったと思いますか?」

「横着したんだろ」

「それもあるかも知れませんね。でも、一人だけが渡るのだったら、信号を押した結果車が一分以上待たされることになる。しかも、停止してからまたアクセルを踏む。燃費も悪い行為だ。そう言った配慮からかも知れない。でしょ?」


 正髄の鼻筋にも皺が寄った。


 正論で殴るのはあまり良くないからな。殴られた方はイラつくだろうよ。


「ま、俺もほとんどの人が自己中心的な感情でボタンを押さずに横断していると思うよ。それはそれとして、正髄さん、あなたの行動も俺からすれば自己中心的に見えるって話さ」

「違う。私は正義のためにやっている。自己の利益のためではない。この身の全てをささげて、殺人の汚名も背負って、それでも戦っている。私腹を肥やす輩とは違う。この身を切って、見たこともない民のために戦っているのだ」


「上に立ちたいなら他人からどう見えるかも気を付けた方が良いんじゃないですか?」

「この身が上に立つには心許ないことぐらいは知っている。だからこそ、こうして仲間を求めているのだ」


 正髄が右手の拳で左肩と胸の中間を何度も叩きながら言った。

 声には切実なものもある。本気だと言うのは、良く分かる。


「仲間になった奴も、正髄さんに大事にされるようになれば、次の改造に回されるのではないかと考えるようになる、と俺は思うけどな」


 正髄が目を大きくかっぴらいた。


「なぜ仲間を積極的に切らねばならぬ」

「積極的に家族を生贄にしたからだろ」

「積極的に? 違う。顔も知らない者のためにだ。正直、母を犠牲にしたのは早すぎたと思っている。おかげで、神を封じるのに祖母とおばさんも必要だったからな。二人は母さんほどは大事じゃなかった。そのせいだろう。代償が大きいほど発揮できる力も大きいからな」

その言葉が、既に人として狂っているように見えるんだよ。


「どうもー。代償が大きい神です」


 朱音さんは少し黙っていてくださいよ。


 暇人のような行動に出ないで。こちとら必死に頭を動かして、正髄だけじゃなくて怪物もどうするか考えているんですから。


「そんな神のために戦うと言うのか?」


 正髄が吐き捨てた。


「様ね。神様。分かってるんなら敬ってよ。お腹減ったからご飯持ってきてよ」


 朱音さんが幼子が駄々をこねるような声を出す。


 本当に、なんでこの人を救おうとか一ミリぐらい考えてしまったのだろう。

 自分の所為で捕まったから、とかもあるけども。こうも余裕綽々でいられると、放置して惣三郎を探すべきだったと後悔してくるわ。


「勘違いするなよ。正髄さん、あんたが惣三郎を改造しかねないと思ったからこの道を選んだんだ。朱音さんを見つけたのはたまたま。そこ、間違えんなよ」

「弟君を離せば、仲間になるのか?」


「交渉の席には着くよ」

「なるほどな」


 正髄が大きく息を吸ったのが、正髄の胸の動きから分かった。その後に大きく吐き出したのも。


「少し冷静になれば、私が君の弟を害する理由が無いと分かるはずだが?」

「クズだクズだといろんな人を見ているのであれば、どれだけイメージで語る人が多いかわかるでしょう? それに、そのはぐらかすような態度が不信感に拍車をかけるんですよ」

「そこの空気の読めない神はどうだ。こんな奴らが、気まぐれに人に力を与える。それは怖くないのか? それを防ぐ力も、私は持つことができる。正義の下に、全ての力を分配することができるのだ。支配者層が私腹を肥やせない世界を、私なら作れる。私と君なら作れる」


 最後の説得だろうか。


 正髄に先ほどまでの冷たい雰囲気は無く。面接官に自己PRをする就活生のような熱意が感じられた。

 そもそも、『君』の部分が謎すぎるけどな。

 自分の、比良山誠二の何を知っているのかと聞けば、何も知らないだろう。


「そんなに俺を欲するなら、交渉の順番が違うだろ? 出ていくのに代償があるなら、先に俺と交渉するべきだった」


 そんな訳は無い。

 あの時の自分は混乱していたし、正常とは程遠かったし、何より命の危機を感じすぎて承諾以外の返事を持ち合わせていなかっただろう。


「結局のところ、お前が欲しかったのは朱音さん」

「きゃー。私のために争わないでー」


 棒読みで少女漫画のようなセリフを言った朱音さんは、無視させていただく。

 そも、自分は朱音さんを求めてはいない。


「そして朱音さんをモノにするための時間だ。現実世界で俺が悩めば悩むだけ、時間ができる。しかもこっちの方が時の流れが速いと来た。俺をわざわざ外に出したのは、少しでも時間を稼ぐためじゃないのか?」

「横の神を見て見ろ。どこがモノにできている。君が悩む程度の時間で私がどうにかできると本気で思っているのか」


 その論理を、完璧に崩すことは自分にはできない。

 できないが、あながち間違いでもないのだろうとも思っている。


「朱音さんは、まあ、常にこんなんだけど雰囲気が変わった時もある。その一つは、松明を持つ敵を見た時だった。雰囲気が元の軽いのに戻ったのは、松明の火を広げた時に人型の怪物たちが死ぬか死なないかが半々だったのを確認できた時。気にも留めなかったし意味も分からなかったけど、要するにここにいる時間が長ければこの世界のモノにできる、と言うことじゃないのか?」


 妹分、と言うのが朱音さんと近い力を使えるものだった場合にのみ成立する話だけれど。

 当たらずとも遠からじだろう。


 正髄が息を吐いた。

 言葉を紡がれる前に叩きこむ。


「惣三郎もそうだ。長く置いておくならば、灰色の怪物に変えられてしまう。違うか? お前は、仲間になれば解放するとは言ってないもんな」


 正髄が近くの土格子に触れた。形が変わり、一冊の本が下りてくる。

 あれが正髄の禁書だろうか。


「本当に、残念だよ」


 正髄が本を手に取った。

 ぱらぱらと開いて、目を落としている。


「それだけの頭があるなら。それでいて私を全肯定しない人物ならば。手元に置いておきたかった。私の世界で私が歪まないように見ていてほしかった。だが、これだけ不信感に凝り固まっていればどうしようもない。本当に、残念だよ」


 本当に残念がる声で正髄が言ってきた。


「来い。私の、忠実なるしもべたちよ」


 牢獄の形が変わり、祖父が変化した足長蜘蛛、従妹が変化した肘から三つに分かれた巨体、そして誰が変化したか分からない自力では動けなさそうなでろでろした巨体が現れた。


 ゴケプゾを呼び出して、備える。


「みろぬドロ」

『起動せよ』


 遠くの植物とも繋がった感覚がした。

 情報量が増えるが、感覚が鮮明になった気もする。


「抵抗するな、誠二君。しなければ、楽に死ねるだろう」

「死にたかねえよ」


 土格子が開き、狭い通路に怪物たちが足を踏み入れた。

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