第15話 恐怖の遭遇
真っ先に目についたのは天まで高く伸びる塔。
高くそびえる、土気色と赤と赤胴色で構成された塔。
人間を分解して、組み立てたような。塔の土台は、人間の切り離された胴体を幾つも積み上げて作られたようで、合間に生首が挟まっている、足の部分で太い鉄骨を作り、手で細い部分も作っているような、おぞましい塔。
「うっ」
手で口を抑えたが遅く。
食道から喉をざらざらとした固形物を含む酸性の流体が逆流してきて、手を外し、地面にぶちまけてしまった。
「おえっ」
気持ち悪い。ありえない。なんだこれは。
どういう感性をしているんだ。なにで作ったんだ。おかしい。ありえない。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
ばかばかしい。ありえない。
「くそっ」
リュックに手を伸ばしかけて、止める。
こんなことに貴重な水を使ってはいられない。
唾液を無理矢理分泌させて、口の中に残る臭いものと一緒に吐き出し続けた。
長靴のままで助かったと言うべきか。染み込まずに済むのが幸いか。
「何だよこれは」
目の間の、
もう一度唾を吐き捨て、口を心ばかり綺麗にしてから顔を上げる。
塔は、変わらずに存在した。
死体の手を垂らしながら、天に向かって伸びていた。
いや、手だけではない。
足も、頭も胴体も。全てが逆さまになっている。天に伸びているのは塔と言う完成された存在のみ。人間の体、パーツにされたところは全て下向きだ。
何を暗示したいのか。考えたくもない。
もう、本当に。
「簡単に推論が浮かぶ自分にも腹が立つよ」
結局は似た存在なんじゃないかと思わされて。
「似ちゃ、いないな。似ちゃいない。俺は、到底こんなもの作れない。作りたくもない」
力の抜けかけた体を叱咤し、何とか立ち上がる。
ざっと上まで見て、とりあえず見たことがありそうな人が居ないことを確認した。
居ないと確認が取れると言うことは同時に、良くある重犯罪者を殺した、と言うわけでもないことの証明だった。
知らない人は多いだろうが、同時に、多くが近場の『クズ』だったということなのだろうか。
それとも、置いて行かれた大事な人たちか。
どちらにせよ、理解できない。作ることを理解してはいけないだろう。
目をつぶって、数秒間ではあるが黙とうをささげる。
黙とうしたところで何かが変わるとは思わないが、せめてもの気持ちだ。
神様が朱音さんのような者達ばかりなら、本当に意味のない行為にも思えるけれども。いや、故人からは見えているのか? 黙とうという文化が日本にはあるから、この塔を構成している人が全員日本人ならある程度気持ちは察してくれるだろう。
塔に背を向ける。近くの扉は再びゴケプゾと協力して開ければ、中は監獄のようでもあった。
監獄と言っても、自分が直接見たことがあるのは博物館である網走監獄だけだが、ここは典型的なイメージに沿った牢獄である。
まず、全体的に薄暗く、空気はじめじめとしているのだ。
光源もぽつりぽつりと等間隔でありながら、明かり同士がギリギリ届かない程度にランタンが配置されている。
地面も土でありながら黄土色にも近く、ところどころに水たまりがあった。
これだけなら、長靴のまま来たと言う決断は正解だったと思うが、異様な点もある。
最早異常に慣れつつあるが、現実とは違っておかしい点は、水たまりがある上に湿気も高いのに地面自体はたいして湿っていないことだ。どちらかと言うと乾いているに近い。
それが、ずらずらと。
牢獄を一つ一つ見て回ってもどれも空である。誰も入っていないし、何も入っていない。
それなのに、数えきれないほどに牢獄が並んでいるのだ。
これほど捕まえることがあるのか。ここがいっぱいになることがあるのか。ただの想像で増やしただけなのか。あるいは、埋まることがあったのか。
一家行方不明、としても六人か、最近だと一家族四人ぐらいがスタンダードだろうか。
かと言って、この牢獄を埋めるほど行方不明事件が続出したことがあるのならば流石に耳には入っている。耳に入らずとも、人の上に立つ段階になって正髄がその主犯だと思われれば、どんなに立派な理想を掲げていても人は付いてこない。はずだ。
既にたくさんの人を殺していたとするならば、正髄が現代日本を拠点にする以上は汚点にしかならないはず。
人を殺せば英雄になれる時代、地域があるのは事実。
でもそれは現代の日本では受け入れられない思想のはずだ。
だからこそ、あの塔はおかしい。
「あの塔は偽物か?」
何のために?
道を違えた者に威圧するために。
「ざーんねーん。あの塔は正真正銘人間産だよ」
明るい声が監獄に響き渡る。
驚きよりも、安堵の感情の方が大きくなった。
声の方に足を向ける。
「存外元気そうですね、朱音さん」
近づけば、一つだけ異質に鉄格子ならぬ土格子が歪み膨らんでいる場所が目に入った。太く、土がねじれ、色も明らかに他と違った。
「誠二さんこそ、思ったよりも早いお帰りじゃないですかー」
異様な牢獄の中を見れば、太い土によって手足や胴体を幾重にも捕縛されたような状態の朱音さんが目に入る。土は壁の至る方向から伸びており、拘束具の太い部分は家族五人が食事をとれる机ほどの断面積がありそうだ。
「この本の攻略条件に、大事な人が関係しているならすぐに来ざるを得ないでしょう?」
奥には、倒れている人。
暗くて良く見えないが、目を凝らせば二人いることが分かる。多分、女性かな? 息があるかどうかは、ここからでは良く分からない。
正髄は、古今東西の神話の神に朱音さんをなぞらえた。
そういった神々を封じるのは、同じ神々の力か怪物か、傑出した人間の英雄。あるいは黙って頭を垂れ続けるしかない。
その神々を、正髄の持つ禁書で封じるとなると、『大事な人を生贄にして得た力』になるのだろうか。
「誠二さん」
呼ばれて、つい口元にやっていた手をおろした。
朱音さんと目が合う。
「生物は同種を殺す形質を持たないと言うのが誠二さんの考えなら、ヒトを簡単に殺せる正髄洸太はヒト?」
不思議と、朱音さんから、目が、離せなくなった。
「正髄は人間、だろ」
「それはホモ・サピエンスではないけれどヒト。要するに、ヒトの別種と言う意味かしら? ヒトの別種なら殺せる?」
「それは……」
「どうして? 同種じゃ無い、いや、競合相手。追い出すように、あるいは追い抜くような形質を持つ者が子孫を多く残せるようになるんじゃないの?」
「学名まで、持ち出すなら俺と正髄は同種だ。遺伝子解析を行っても、同種になるはずですし」
「そう」
朱音さんの髪がしたから煽られるように持ち上がった気がした。
目も赤く、炎が地面に揺らめきつつも世界が暗くなったような錯覚を受ける。
「人間如きが私を手にしようだなんて、おこがましいとは思わない? まあ、それでも私の力を抑え込むんだから大したものよ。誠二さんたちの言葉を借りるなら、私の主たる権能ではないとしても魅了が利かなくなるとはねえ。いやー、どーしよー」
朱音さんが明るく笑いだすと同時に、自分の体が世界に戻ってきたような気がした。
掃除機に吸い込まれていたゴミが、急にコンセントが抜けて絨毯に戻ってきたように。
急に、解放される。
朱音さんも美貌だけは人智を超えているが、黒髪黒目で日本人に紛れ込める姿だ。
髪の毛が浮くこともないし、目も赤くない。
「朱音さん。本当に危機感持ってます?」
弟探しは一旦人形に任せるか。
朱音さんを放っておくこともできないし。
「ぉぬぞぬドロ。だどぅドロ」
黒い棒を作り上げる。棒がついているのは片側のみ。
「無理だと思うなー」
朱音さんが口角を持ち上げた。
「あの時はまだゴケプゾが休眠状態でしたから」
さながら、地面の中で発芽を待つ種子のように。
黒い棒を引いて、土格子に狙いを定めて、叩く。
「いっ」
痛ったいなあ! もう!
電気が流れたような痛みと、バットの芯を外してストレートを叩いたような手首の痺れの合わせ技は反則だ。
落とした黒い棒に手を伸ばす。
その瞬間、
「ダレダダレダダレダ、コウチャンノジャマ、ユルサナイ。ユルサナイ」
と言うような、だみ声とも違う聞き取りにくいくぐもった低い声が聞こえた。
低い声でありながらも、女性の声だと分かるような。高齢者まではいかないが歳を重ねた女性だと分かるような声である。
格子は傷一つついていないと言うのに。
「気をつけなー。来るよー」
「なんで捕まっている側がそんなに悠長なんだよ」
「あ、死体は残してね。食べられるのは勘弁願います」
「勝手に殺すな」
ってか、食べてくる相手なのか。
はは。
本当に、嫌になるよ。神様仏様ゴケプゾ様、追い払ってくださいってか。
いや、神様は近くに別の神様がいると来ないんだっけ。お守りだけだっけ。
ノシ、ノシ、と大きな足音が聞こえてくる。
音の発信源に目を向ければ、自分の背丈を超えるような球体が見えた。
いや、球体ではない。よく見れば奥まで続いており、鼻先が球体のようなだけである。鼻先、と言うより顔面の先か。
光源が少ないため正確ではないが、色は黒に近い灰色。四つん這いのような体勢だが、明らかに足は四本以上あるだろう。巨体に比べて、人間の手足のような足はかなり細く見えた。
一番の特徴は、顔の先端についている人の顔だろうか。
どことなく正髄にも似たような、齢を重ねた女性の顔。
母親、とかか?
新聞に載っていた一家ではない。と言うことは、既に。両親を。
「救えねえな」
お前は、リーダーの資格が無いよ。正髄洸太。
「居場所を護るのが女の仕事。外に出るのは男の仕事。人間は、太古の昔はそうやって役割を分けて、ゆっくりと進化していったんでしょう?」
朱音さんが言った。
「要するに、ここは正髄にとって守るべき場所、と言うことですか?」
「産み落とす胎盤かもね」
横目で朱音さんを見る。
と言うことは、朱音さんも何かに変えられてしまう可能性がある、と言うことだろうか。
それは、やだな。
やだな、じゃない。防がねばならない。神を、簡単に家族を切り捨てられる奴の手には渡せないのだから。理性的に考えて、そうなる。
黒い棒を逆手に持って、地面に突き刺す。
近接戦闘なんて無理だ。チンピラ相手なら考えなくもないが、怪物相手にしたくはない。
「じゃぐドロ」
手にはゴケプゾを持ち、蔓を牢獄の中から発生させて怪物を捕まえる。格子も利用して、動きを止めた。
刹那。
怪物の先端が開く。
球体に見えていた先端が、女性の顔がボタンとなっていたかのように外れて、別れた体の一つに着く。そこから、十か十二か十一か。そこら辺の数に花が開くように別れた。中は歯と指のようなものでぎっしりと埋まっている。その口のような何かが縦横無尽に動いて、蔓を食いちぎった。
植物の破片が地面に散らばる。
「コウチャン、コウチャン、コウチャン」
怪物が、また、歩き出した。
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