第5話 咄嗟の後悔
朝も含めれば本日三度目の目覚め。
いや、日をまたいでいたら一度目の目覚め。
もちろん、先までのは現実世界換算でのお話だ。眼前に広がるのは夜空。こっちでのサイクルが分からない以上、こっちの日にちでは一回目の目覚めかも知れない。
ただ、どれくらい寝ていたのかは分からないものの、今回の目覚めもお世辞にも居心地がよいとは言えないものだった。
まず、背中が痛い。硬いしぼこぼこしているし、時折跳ねる。
次に頭が痛い。頭痛だ。しかも内奥からくるような痛み。
体もだるい。動かしたくないが、揺れがひどくて酔いそうだ。
「あー……」
声を出せば、かすれたようなものが出た。
直後に、空が斜めになって体が回転する。
「ぅばぉうっ」
「起きたのなら自分で歩いてください」
自分の変な叫びに一切の気を取られなかったのか。朱音さんがむくれたような声を出してきた。
声の方向を向けば朱音さんの顔が見える。その下には木で作ったような台車。
「ごめん、重くなかった?」
「重かったから落としたんです」
「それは、申し訳ない」
元はと言えば朱音さんが、と言うのは野暮だろう。
「その台車は、朱音さんが?」
堪えたとは言え、朱音さんに挑発されれば余計なことを言いそうなので、あらかじめ話題は逸らしておく。
「ええ。でも、作るのは簡単でしたよ」
「それも、朱音さんの禁書によって?」
「いえ。この本のルールです」
身を起こしている内に、朱音さんは人型が持っていたような斧を使って近くの木を殴り始めた。
止めるべきでも、作業中に質問を重ねるべきでもないだろう。
この場で頼りになるのは、残念ながら朱音さんしかいない。付け加えるならば、朱音さんに敵意を持たれても終わり。見捨てられても終わり。
随分な態度を取ってしまったあとではあるが、自分だとしたらわざわざ運んだあとに失礼な態度を取られれば怒りたくなる。
たとえ原因が自分にあったとしても。
逆に、ここで丁寧な態度を取ればその後になにか失礼なことをされても目をつぶろうとも思うもの。
朱音さんが、自分と同じ考え方を持っていてくれていれば、であるが。
「とまあ、彼らの武器を使ってある程度のダメージが入れば物は壊れます」
思考を戻せば、枝と丸太が転がっていた。
「これらを持って欲しいものを思い浮かべれば、ある程度近いモノのレシピが思い浮かびますので、あとはその材料を集めるだけで。Can you understand?」
「はい」
至極真面目に返事をしたはずなのに、朱音さんの機嫌が降下したように頬が膨らんだ。
「なんか、おかしくないですか?」
「そのようなことを言われましても、頭がまだぼうっとしていまして」
朱音さんが目を細めて、それから、はっ、としたように見開いた。
訳知り顔で何度もうなずいてくる。
「大の男を台車で引っ張るなんて、なんと力強い女性なんだろう。好き。ということですね」
「違うわボケ」
あっ、やべ。
「ボケとは何ですか、ボケとは」
詰め寄ってきたにもかかわらず、急に朱音さんが言葉を切って僕に指を広げた手を向けてきた。
木々の揺れる音と、地面を叩くような重低音。
遠くで松明のような明かりも揺れている。
朱音さんに目を戻せば、真剣な表情で暗闇を睨んでいた。
天上に月は出ていて、星も煌煌と輝いているとはいえども夜。葉も茂っている。
視界は、最悪に近いだろう。
「キキキキ、キキキ」
と甲高い声が聞こえた。
「ぉぬぞぬザゾ」
静かに、発光もなく。
朱音さんの両手に紅蓮の扇子が握られる。
「夜の襲撃は、昼より苛烈だから。誠二さんも準備しておいて」
「準備?」
あ。武器を、ということか。
とは言え、武器なんぞ握ったことはない。体育だって剣道ではなく柔道だったし、バッドは鈍器ではない。勘違いされることもあるが、鈍器ではない。人を殴る道具じゃない。
「……覚えてない?」
「あ、いや。あれでしょ。創造せっ」
てっ。
と言うほど痛くもなかったけれども。扇子で叩かれれば軽くでも痛いわけでして。
「誠二さんの世界の言葉で言うべきではないですよ」
「えっと……」
「『ぉぬぞぬドロ』」
朱音さんの言葉に頷いて返す。
「ぉぬぞぬドロ」
朱音さんに比べれば拙い発音であったが、唱えると右手に確かな感触が現れた。代わりにゴケプゾが消える。いや、自身の近くに浮いていることは分かるが、姿が見えなくなったのだ。
右手の物の持ち手はグリップに比べれば太く、恐らく攻撃をする部分はバットの芯に比べれば細い。ギリギリ片手で握って振り回せるかも知れないなと言う程度の形。
武器、としては振るうには太いよな。
「朱音さん、これ」
言葉の途中で武器が細くなる。
握りやすい形。バットのグリップにしては少しだけ太いけれど、バットと同じ太さにされなかったのは幸いか。
「ただの鈍器じゃないよ」
朱音さんの言葉に合わせるように、人型が踊り出てきた。
瞬間。
燃え上がる。
横目で見れば、朱音さんが扇子を広げて先を人型に指していた。
「慣れてますね」
「夜の戦いでは、下手に明かりを灯すと居場所を伝えるだけだから。やるなら、森を全部燃やさないと」
「それはそれは、大層な」
だから自分にも戦えってことね。
右手に目を落とす。握られているのは黒くて長い棒のような物。持ち手から両側に伸びており、丸みを帯びている。膨らまないバットのようなモノ。片側は一般的なバットの長さに似ている。
よくないな、この思考は。
自分の身近なものに例えてしまえば、次にそれを見た時に思い出してしまう。使いにくくなってしまう。
「ふう」
息を吐いて、立ち上がる。
「誠二さんは、自分の身を守ることだけを考えて。あらかた片付けられれば、手伝いに回りますから」
「助かる」
守られてばかりと言うのも情けないけどさ。
兄貴とか父さんにならともかく。
「さて」
出来れば、人間とは程遠い姿形のモノと戦うことになりますように。と、神頼みをするような心境で。祈る。
しかし願いむなしく。
次々と降りてくるのは灰色の人型。
最悪だ。殴れるのか? 叩けばどうなる? これが見慣れた人に代わったりしないよな。道端で人を見て、これに見えるようになったりしないよな。
やり辛いことこの上ない。
「危ないっ」
「おわっ」
後ろから強い衝撃を受け、武器を取り落とす。直後に風と砂。遅れて熱さ。
顔を朱音さんの方に戻せば、自分との間には昼間のような明るさだったころに出てきた怪物よりも少し大きい怪物が居た。
怪物にはたくさんの人間の足がついていて、炎によってかじたばたと踊っている。一撃で死んでいないのは、耐久が高いのか、朱音さんが手加減をしたのか。
朱音さんの二撃目の攻撃は目の前の怪物を掠めて背後に着弾したらしい。熱量につられて後ろを見てみればまた灰色が死んでいく。
「前!」
朱音さんの声に従って多足の怪物へと目を向ければ、足が上がっているところだった。
慌てて転がる。地面の凹凸や小石で多少は痛かったが、さしたる問題ではない。
幸いだったのは自分を狙った攻撃ではなかったこと。炎によって暴れていただけであったこと。
最悪だったのは、明るくなったところで間近で見てしまったこと。たくさんの足が一体の太い胴体から繋がっているのかと思ったが、違ったのだ。
どちらかと言えば、『多くの人間が一人の赤子を掲げているような形態』だったのだ。
しかも、泣いている赤子を、苦悶の表情で掲げているような。たくさんの人が手を挙げていて、まとまっているから太くて長い首ができているのである。
だから、この多足の存在には手が無い。
「誠二っ!」
朱音さんの方を見て、必死な顔を確認してから逆側を見た。灰色が爪を振りかざしている。手に武器はない。遠く。右は巨体。左は森。砕けた木々。
「んでだよっ」
木が壊れたことによって素材が落ちている上り坂の方へ転がる。
左手で枝を掴めた。
「武器だ。武器が欲しい」
言わなくてもよかったのだろうが、口に出した。
直後に槍の形成には長い枝を三本と、声が聞こえないのに聞こえた気がした。こん棒は石と布と木の枝二本。短槍は短い枝が三本。弓は長い枝二本と布。矢は弓を持った状態で短くても長くても良い枝を持てば成る。
「くそっ」
人型の脛を蹴る。肉を打つ気持ち悪い感覚が脳まで伝わってきた。
そんな蹴りも灰色に対してはあまり効果は無かったようで、灰色が手を挙げる。
両腕を地面につけレッグトスの要領で、相方が居れば交代した時に仕返しをされるほどに高く足を上げた。
いや、最早腹筋ではなく。
腰も背中も浮いた状態で灰色の顔を蹴とばした。
少しの坂道で灰色が転がり落ちる。二人目が来ているが先に自分の手の中を見た。
長い枝が二本。
あと一つ。
首を動かせば、二人目が来ている方向に、一本。
間に合うか。蹴とばすか。朱音さんが間に合うか。
「くそ」
やりたかねえが禁止スライディングの要領で二人目の灰色の足をかける。
人型は転びはしたが、すぐ近くに居るまま。一人目も起き上がっているし、朱音さんは後ろを向いている。
作るしか、無いか。
灰色の足音を聞きながら横っ飛びをする。三本目の長い枝を取った。纏めるだけで、命じることなく先が尖っただけの簡易的な木の槍ができあがる。
月明りにすら影ができた。
顔を上げれば奴がいる。
短いテイクバック。自分の手には槍だけ。一秒後にでも顔が引き裂かれてしまいそうだ。
「あああああ!」
古びたゴム革を突き破る感触と、竹串で生肉を刺す感触。時折肉が変わり、抵抗が変わり、振り上げられていたはずの爪は自分の後ろに垂れていた。
肉の重みと、なぜか揺れている灰色の手。
荒い呼吸の音。上下に繰り返す揺れ。
まだ、生きている?
いや、違う。
荒いのは、俺か?
「はあ、はああ」
荒い呼吸は、自分の物か?
突き飛ばそうとするも上手くいかない。何で。何で。何で!
「はぁあ、はあ」
足にも力が入らず、足を滑らすように無理に体勢が変わってひっくり返った。まだぬるい灰色のやわらかさが胴体に、膝だけは地面の冷たい感触がある。
くそ、くそ、くそっ。
「のやろっ!」
腕に力も入らないし、膝もすぐ折れる。でも、寝てもいられない。
肘に力を入れて顔面から崩れるように転がった。
「にょぉぬザゾ」
眼前を炎が通過し、一瞬だけ昼間のような明るさになった。
すぐさま消えるが、何もかもがいったん素材に代わる。
重力を感じさせない動きで、朱音さんが横に下りてきた。
「誠二さん、他の生き物を殺すのと、人間を殺すの。何が違うのですか? いつも食べているではありませんか」
顔を覆った自分の右手は非常に冷たく、小刻みに震えているのが分かった。
右手だけじゃない。顎も震えている。
「何が違う? 何もかも違う。生きるための殺生と、余分な殺生は違う。大体、種が生き延びるためには、いや、種が保存されるためには自種を殺す形質は残らないはずだ。自種を殺していたら数が減る一方だ。そうだ。普通は、同種は殺さない。北京原人とか、共食いを示唆するようなモノもあるけれどっ」
急に両頬を挟むように片手で掴まれた。
喉が焼けつくような感覚がして、言葉も震えも止まる。
「私は間に合わなかった。だからああしなくちゃ貴方は死んでいた。そもそも、貴方はあれと同じ種なの? 同種を殺さないなら殺しに来ているあれは、違うんじゃないの?」
……厳密には、人間を一番殺すのは人間だったか、蚊だったか。
どちらにせよ、人間には同種を殺さない性質など無く、殺しに来ても人間である可能性だってある。
「でも、なるほどね。同種の発展を願うから、自分は人を殺せないか。うん。植物と動物とか、愛玩動物とそれ以外とかで分けている人間よりは分かりやすいかもね。一番わかりやすいのはおいしいかおいしくないか、だったけど」
「なんだよ、それ」
欲望ってか、まあ、食えるものを食うと言う意味では合っているのか。
ため息を吐いている間にも次は松明の一団が迫っている。
「逃げた方が良さげ?」
「無理でしょうね」
そう言った朱音さんの目が、鋭く細くなった。
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