第25話 神様の戦後処理
「誠ちゃん。流石に飲みすぎで寝坊するのは」
母さんの言葉に我に返る。
両手にカップを持っている母さんの視線を辿れば、自分の手の中にあるウォッカの空瓶とつまみの袋と言うゴミが目に入った。
「いや、これ俺じゃないって」
「そんな服装で言っても。ねえ」
「ねー」
母さんに話を振られた朱音さんが軽い調子で首を曲げながら答えた。
その白々しさが、逆に確信を抱かせる。
絶対に、つまみを勝手に買ってウォッカを飲み干したのはこいつだ、と。
「寝起きによれた服を着ているとか、もう。しゃきっとしてよね、誠二」
朱音さんの若干幼く聞こえるように発せられた声に、背筋に嫌な冷たさが走った。
いつもより親し気と言うか、親しさの感じが変わったような気がするのが、本当に。
本当に怖いのですが。え? なに。なにを企んでいるの?
「言われてるよ。全く」
母さんが朱音さんの前にカップを置いた。
朱音さんが小さく頭を下げてカップを手に取り、すする。
「何がさ。これだって、俺じゃないよ。朱音さんでしょ?」
「あらー」
と、母さんが大げさに口元を隠して、朱音さんと自分を交互に見た。
朱音さんが縮こまるようにはにかみながら、目を伏せる。
本当に。嫌な予感しかしない。
「夜中に女性を走らせるような子ではないと思っているから、朱音ちゃんが食べたとは思うけど、お酒を買ったのは誠ちゃんでしょ」
「はい。私に会うために用意してくれていましたよ」
自分よりも先に返事をしたのは朱音さん。
色々と語弊はあるけれど、嘘でもないと言うきわどい言葉を使ってきた。
だからこそ逆に、嘘はついていない範囲で何かしらの誤解をさせる言葉を弄して再び我が家に取り入ったのだろうとは容易に想像がつく。
「母さん。そもそもウォッカは」
「兄貴」
言葉の途中で、惣三郎の声が聞こえた。
顔をほぼ百八十度回転させれば、玄関の扉を開けてグラブの手入れをしている惣三郎が首を振っている。
表情には、ありありと「やめておけ」と言う言葉が書いてあった。
どうしようもない、と言うことだろうか。
惣三郎の方が朱音さんとの付き合いは長いからな。母さんとの絡みもしっかりと見ているだろうし。
こちらを見ながら楽しそうに話している母さんと朱音さんは無視して、台所にごみを捨てに行く。空き瓶は洗って、水切りかごに逆さにしておいた。
「後で自分で捨ててね」
「はいはい」
母さんの声に適当に返して、惣三郎の方へ。
見たところ、怪我はないようだ。いつもの見慣れた惣三郎である。
ただ見慣れないのはこの時間に家にいること。部活だろ。いつもは。
靴下は部屋で履くためのくるぶしソックス。下はグレーのスウェット。上はデフォルメされた猫がうちわを仰いでいる青い半袖Tシャツ。
完全に、家にいるときの服装だ。
「部活は?」
聞きながら玄関を覗き込めば、昨日履いた靴が綺麗な状態で置いてあり、ドウォパショに取られた長靴も置いてあった。こちらは、泥を拭いたような痕跡が残っている。
泥水が直接当たり、泥に埋まり切ったのは運動靴もなんだけどな。
「休み。昨日もさっさと終わったし、みんなはヤマセンが入院するんじゃないかって言ってる」
「そう」
怪物に脅されもしたなら、いくら鬼の山崎先生と言えどもそうなるか。
……こういうのって、襲われた時の記憶を消したりとか箝口令を敷いたりとかするのだろうけれど、何らかの対処はされているのだろうか。
「完全には休むなって言われてるから体は動かすけど。兄貴も暇なら手伝ってくれない? 元四番の実力見せてよ」
居間に目を向けて言っていたものだから、兄ちゃんに助け舟を出してくれたのかと思ったら。後半で挑発もしてきたか。
愛い奴め。
「ま、現役のエース様の球を打てるとは思えないけどな」
玄関に立ててある木製バットを手に取る。
ゴケプゾが作り出した黒い棒よりは細く、あれよりも手にはフィットする。
しかしながら。
どうしても。
人を殴った感触が、鮮明に。ありありと。思い出されてしまう。
振る抜けんのかな。前みたいに。
「この街で高校通算十本超えてるの兄貴くらいだろ。来るだけでみんな喜ぶよ」
「みんなって」
バットを戻す。
「中学時代の同期にも声かけてるから。流石に、高校でもやっている奴らは練習あるみたいだけど、くる奴もいるし、兄弟が代わりに来るとこもあるから」
「いつものとこ?」
「そだよ。昼ぐらいから集合で、一時から本格的にする予定。あと二時間半しかないし、俺はそろそろ着替えるけど、兄貴は?」
「何で行くの? 車?」
「チャリ」
あそこ、ここから五キロはあるんだよな。
確かに自由にボールを打てる場所ってのは限られているけれども。
「昼までゆっくり考えとくよ」
あとで素振りでもしてみてから、できるかどうか、判断しよう。
体も痛いしな。
「そっか」
惣三郎が立ち上がる。
グラブにボールを入れて、片手で抱えた。そのまま自分に背を向けるようにして、部屋に帰るかと思ったら立ち止まる。
「兄貴」
「どした?」
「…………ありがとう」
蚊の鳴くような声で惣三郎が言った後、足早に去っていった。
「……どういたしまして」
お前を巻き込んだのは、兄ちゃんだけどな。
戻したばかりのバット掴んで、玄関の扉は閉めた。
やはりと言うか、ゴケプゾで作った武器が思い浮かんでしまう。
一度バットを離して、運動靴の紐をほどいた。
濡れていることもなく、きっちりと乾いている。
靴に足を入れた時、後ろの扉が開いた。
「すぐよけるからちょっと待って」
先に靴に足を入れつつ立ち上がる。
「いえいえー。お気になさらずにぃ」
その声に、表情が厳しくなってしまったことは否めない。
だが見せるわけにもいかないだろう。一応、命の恩人だし。命の恩人か? 恩人だな。
「ふう」
息の吐き出しと共に表情を殺す。
玄関の扉は、閉まっているね。うん。
母さんも居ない。惣三郎は部屋に帰った。玄関には朱音さんと自分だけ。
まあ、見たまんまの状況なのだけれども。
「色々、説明してもらっても?」
言うと、朱音さんはとぼけたような表情を浮かべた。
「ごちそうさまでした?」
「ウォッカとかを飲み干したのはどうでも良いんですよ」
良くはないけど。
まあ、でも知ってはいるから。予想は付いていたから。
「惣三郎は、どこまで知ってるんですか」
何に対してのお礼かは言っていなかったから全く知らない可能性もゼロではない。
ほとんど、あり得ないことでだけど、ゼロではないのだ。
「部活? が? 休みになったのが、まあ、人間の言葉で言うなら超常の力でヤマセン? が脅されたからって話と、その目的が弟さんの誘拐だったこと。私の本来の目的がその力の主を封じることだったけど、ヘマをしたこと。兄さん、つまり誠二が弟さんのために命懸けで超常の力に挑んだことと、そのおかげで私も目的が達成できたって認識かな」
ぼやかしが過ぎる上に、朱音さんにとってだけで無く、自分にとっても都合よく述べられている。
「それで、納得したんですか?」
「誠二が履いている靴を目の前で生成すれば、流石にねえー」
足元に目を落とす。
確かに、泥汚れも無くしけってもいなかったけれども。
洗濯機を回せば何とかなる話かもしれない。夏だから乾きやすくもあるし。
「そんな権能が、朱音さんにあるんですか?」
物質の再現は、『あってもおかしくない』と思いつつも、朱音さんは持ってはいないと言う確信が何故かあった。
「ゴケプゾの中にあって、記憶がしっかりと存在していたから作り直すことは簡単だったよ」
「作り直す?」
「汚れたくないもの、私。濡れている靴とか触りたくないし」
「リュックとかは」
「あれは全部弟さんがやってたよ。ママさんにはドウォパショもゴケプゾも内緒にしているからねー」
なるほど。
自分は汚れた物に触りたくないから、惣三郎にそこら辺を全部やってもらうと言う算段もあって打ち明けたのか。
「母さんには?」
何と、言ったのか。
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