第24話 旧知の家
目が、覚める。
何千回と見たであろう景色が広がっていた。
白にしてはくすんだような色の天井に、薄緑色のカーテンから零れた光が紋様を作っている。
顔を傾ければ、二、三年前のままのカレンダーが見え、綺麗にとは言えないが区分は一応分けて物を置いている棚が目に入った。
自分の部屋か。
帰省してたんだもんな。
あれ。
でも。
何時布団に入ったっけ。
記憶は無い。昨夜は……。
「違う」
いや、違わないけど。
飛び起きたままの姿勢で、ゴケプゾを取り出す。
最後の記憶は、ゴケプゾの中に正髄を引き摺りこんで、朱音さんが自分の体から出てきて、正髄が朱音さんの世界らしきところに飛ばされたところまでだ。
「びょぬみゅぬドロ」
『共有せよ』
本を開いたまま、目を閉じる。
ゴケプゾと意識を共有させたが、どうやら惣三郎も母さんも、既にゴケプゾの中にはいないようだ。
もちろん、取り込まれたわけではなく、外に出たことになる。
ゴケプゾを閉じ、消してながら枕元に手を伸ばした。何度か布団を叩いて、その上の小さな物置場も漁るが目当ての物はない。
顔を向けてから、そりゃそうかと。一人納得した。
寝た記憶も無いのだ。そもそも自力で帰ってきたのかもわからない。
そんな状態で、携帯をいつもの場所にあるかと言えば、無くてもおかしくはないだろう。
布団をはねのけ、起き上がる。体は少しだるい。引っ越し用の緩衝材に筋肉痛が包まれているようだ。
目線を落とす。
服は、正髄の禁書であるドウォパショに侵入した時と同じ。群青色の薄手の上着に、スポーツTシャツ。下はだぼっとはしないスウェット。靴下は冬以外は脱いで寝る派なのに、履いたまま。
服には寝ている時に付いたであろう皺が存在するが、確かについていたであろう泥汚れは見当たらず、草の汁もついていない。汗臭いにおいも存在しない。洗い立て……とはいかないが、着替えて寝たらこうなるよな、ぐらいの臭いだ。
正直言って、あり得ない。
あの体験が嘘だったのか。それとも、禁書の中から出れば元通りに戻るのか。
戻るとしても、服だけ? 体はだるいのに?
もう一つ、可能性があったか。
次は別の本の中にいる可能性が。
ベッドから降りて、部屋を見渡す。
床には泥汚れを適当に拭いたようなリュックが、新聞紙の上に置かれていた。中身は空。
では中身はどこに行ったのか。
中身は、ベッドの頭側にある机の上に散らばっていた。
ネズミ花火を入れていた袋は汚れていて、もう使えないだろう。広げておかれているネズミ花火も、ちぎれたり黒く変色していたり。ライターに関しては着火させようとしたが、悲しく音が鳴り続けるだけだった。
横にはスマホとスマホケース。どちらも無事らしい。スマホケースは、どことなくしけってはいるし、触ればざらつくけれども。
スマホは普通に起動した。
時刻は午前十時二十三分。
母さんを眠らせてから、十四時間くらい経過しているのか。
とりあえずスマホをポケットに入れ、机に散らばっていたボールを集める。
新品だったはずなのに、もれなく全部汚れてしまって。縫い目が擦り切れたわけじゃないから投球練習には使えそうと思うが、投手は繊細な生き物だからな。惣三郎は受け取りはしないだろう。
と、机の奥に行ってしまったボールに手を伸ばせば、硬貨のようなものに手が当たった。
引っ張り出せば、レシートと小銭が少々。
レシートは近くのスポーツ店のもので、買い物の時間は昨日の二十一時四十分。閉店ギリギリ。内容はボールだ。
惣三郎だろう。ボールのメーカー的にも。きっちりと買うところもレシートに折り目が無いところも。
ただ、お釣りと存在する小銭が合っていないが。
惣三郎がこんなことするだろうか。いや、しないだろう。そもそもこんな机の奥に置くことはない。はず。
兄ちゃんが知らない間にグレていなければ、だけど。
男子三日会わざれば、だからな。鍛錬ではないけど。
ひとまず、小銭をしまうべく財布を探す。
ポケットにもないし、机の上にもない。ならばリュックだろうかと、再びベットの足側の下にあるリュックに手を伸ばしてひっくり返せば、その奥に財布が干されているのが見えた。
カードが乱雑に置かれ、その下に札が伸ばされている。
万札が一枚と、千円札が二枚。
小銭は五百三十七円。
一円たりとも減ってはいない。と思う。
JRが値上がりしたからな。帰ってくるときにかかったお金をきちんとは覚えていない。
ああ、そうだ。
レシートが無いんだ。
探す当てがあるわけではないが、足は部屋のごみ箱に向かっていた。運良く、中には丸められたレシートが捨ててある。ほとんどが塊になっているし、一度ふやけてから乾燥したような見た目で文字も薄れているのに。一つだけ。立派な。もらったばかりのレシートを丸めたような物。
開けば、買い物の時間は昨日の二十三時十一分。近くのコンビニ。酒のつまみのような物とアイス。
金額的にも、大体おつりから減った額だろうと推定できる。
誰がこんなことやる?
母さんが息子の金をくすねるとは思えない。くすねる必要もない。
惣三郎もそうだ。堂々と、と言うかわざわざ返す必要もないだろう。自分だったら、兄貴から弁償として金を置かれたらおつりを含めて全部ポケットに収める。
「ふむ」
なんとなくベッドの下に目をやれば、隠すようにウォッカの空瓶が置いてあった。
どこにあるか、想像できてしまった自分が恨めしい。
手に取れば瓶は綺麗に拭かれているし、汚れの痕跡なんて一切ない。
まさかね。
いや、まさか。
流石にそこまで傍若無人なふるまいはしないでしょう。
とは思いつつも。ベッドの下の衣装ケースを少しどかせば、おつまみの袋と、少々の食べかけがあった。
「猫かよ」
隠すなんて。
だるくも痛い体に鞭を打って立ち上がって、すぐにベッドに腰かけた。
降りる前に。念のため。
怪我の痕が無いかを調べる。
まずは足長に殴られたはずの左肩。青あざどころか僅かな腫れも無し。
次に盾に殴られた腹。こちらも、無事。いつも通り。現役と比べればたるんでしまったけれども、まだまだ人に見せられるお腹をしている。
顎は、触っただけでは問題ない。
一応、鏡も見に行くか。
食べかすや空き瓶などのごみも持って、扉を開ける。
気にしすぎだとは思うが、周囲を見回した。何度も見た、実家である。実家のはずである。
心なしかゆっくりとした動作をしつつ、足音を立てないように足を出した。
「じゃぐドロ」
少し暑いが長袖のままで、右腕に蔓を巻き付ける。
ゴケプゾを使ったことで感じる疲労は、格段に小さくなっている気がした。
既に疲れ切っているから、と言う線も捨てきれないけれども、楽に使える気がする。
記憶と全く同じ間取りの家を歩いていけば、笑い声が聞こえた。テレビの音もする。番組は、分からないが少なくともニュース番組やドラマではない。
左手にゴミと言う名の荷物をまとめて、居間への扉を開けた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、ソファの上で大笑いしている朱音さん。出会った当初の黒髪黒目で、饅頭片手に大口を開けて笑っている。
おしとやかさとか奥ゆかしさとか、一切感じられない。
「あら、おはよう」
奥から、母さんの声が聞こえてきた。
朱音さんも反応したのか、自分の方を向く。綺麗な桜色の唇が、艶めかしく持ち上げられた。目も、瞬間だけ色が変わったように見え、呼吸の、仕方が、分からなくなる。
「おはよーございます」
やけに鮮明な、朱音さんの声が脳に響いた。
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