第26話 神様の隣人
「ママさん?」
言った後、朱音さんが咳ばらいをする。
「すみません、戻ってきちゃいました」
一瞬、誰か分からない、それこそ別の人間と入れ替わったのではないかと言うほどにかわいらしくしおらしい声を朱音さんが出し始めた。
「え? あ、はい。アカリは見つかったんですけれど、誠二が『見つからなかったことにして、もう少し
「おい」
流石に、低い声が出てしまったが朱音さんのしおらしい態度は変わらない。
「恥ずかしながら戻ってきてしまいました。あ、違うんです。別の言い訳を用意しておくとは言っていたのですけれど、私、ママさんには嘘を吐きたくなくて。誠二も、ママさんが私のことを娘みたいに思ってくれていると言っておりましたし」
この話を母さんにしたとすれば、その時点で嘘を吐いているだろ。山盛りに。
「そうですか? ありがとうございます」
顔を輝かせた後、朱音さんが絹をイメージに使った広告に出てきそうな指で、目じりを拭った。
「すみません。嬉しくて。私、頑張ります。誠二はちょっと性愛の対象としての女性に対して良い印象を抱いてはいないですけれど、私が覆してみせますね」
「この瞬間にますます悪くなったわ」
厳密に女性扱いして良い存在かはわからないけれど。
「はい。弟さんは、あ、すみません。気が早かったですね」
もう天を仰ぐしかできることが無いわ。これは。
「惣三郎さんはガラの悪い人たちに絡まれておりまして。大事な時期? らしいではないですか。暴力沙汰はNGですし。だから、誠二は間に入ったのですけれど、兄弟なので手は出せず。人を殴ったことが無いんだなって良く分かる動きでした。ふふ。別に隠さなくても良いのに。男の人って、やっぱり良い格好したがるものなんですね。少し、そっとしておいてあげることにします」
最後に、朱音さんが口元に手を当てて上品に笑った。
それから、表情が戻る。
「と、言う具合でママさんには説明しました」
「オッケー。全く説明になっていないってことは良く分かった」
真実を全て説明されても困るけれど。
「でも、本当のことを話されても困りますよね」
心を読んだようなタイミングで……。
いや、神様だとすれば、読める可能性もあるのか? いや、そんな権能はないな。
「そうですね。でも、俺だって彼女が欲しいって願望はあるんですが?」
強くはないけど。
一生独り身は嫌だ。
「へー。大変ですね」
「朱音さんの所為でね!」
「大丈夫ですよ。世が世なら、複数の伴侶が居るのが普通だったり、乱婚が普通だったりしますから」
「今はそういう世じゃないんだよなあ」
今はってか、現代の日本は。
一夫一妻が基本だし、自分自身浮気や不倫をするような人は絶対に隣にいて欲しくない。
誰を好きになるのかなどは自由だけど、予めそう言う不貞が好きな人やしたことがある人なら、他に何の情報も無ければあまり接触はしたくないと思うし、友達とそう話したこともある。
自分との関係が友達まで行っていれば、彼ら彼女らがそういうことをしても、応援はしないまでも縁は切らないと言う曖昧な部分も自分はあるが、だからと言って自分がそういう行為をするのは違うだろう。
不貞行為は嫌いだと、公言しているのだから。てめえがやるのは違うよな、と。
「でも、私が離れて困るのは誠二じゃないですか?」
「は?」
日常に戻るだけだと、思ってはいたが。
違うのか?
「ゴケプゾは神に近い禁書。ゲギシュグの力を持つからこそ山奥に安置されていて、それでいてゲギシュグが斬り捨てたモノを持っているから彼が取り戻そうとしていなかった書物。ゲギシュグが斬り捨てたと言うことは、私に近い特性を持つ書物。その書が目覚め、私と協力したことのある人物と知れば、他の神がどう動くことか」
力の削ぎあいをしている。そのために禁書を狙っていると、言うことだったよな。
つまりは、ゴケプゾを持った自分が朱音さんに味方した、つまり朱音さんの力が増した、と言うことになるのか? これで?
でも、どのみち。
「俺が狙われるのって、結構な割合で朱音さんの所為じゃないですか」
「私を見捨てればそうはならなかったのに、何を言っているんですか?」
「そうはならんだろ」
普通の人は見捨てないよ。
「何を言ってももう遅いですよ。誠二は一時的にとは言え私の母体になりましたし、誠二を介して私も力を使っていますし、誠二は私の力が何たるかをわずかながらでも分かるようになってしまった。第一、こちらの時間に換算して二十四時間前の誠二には戻れないのですから。ドンマイですね。とても残念ですがお宅の息子さんはもう、ですよ」
最悪だ。
神とは、身勝手なモノだと色々な話が言っているけれど、本当にその通りだ。予想以上だ。
そりゃ『お客様は神様です』なんてフレーズを唱えていたら、クレーマーが増えるわな。
それは関係ない。
と。
現実逃避的に一人で突っ込むのはやめよう。
建設的に、質問を重ねようじゃないか。
実際に狙われるのか。過去にいた同様な人たちはどうなったのか。母体になった影響は。
神の母体って響きが既に怖いよな。
何から聞くべきか。
優先すべき事柄はなんなのか。
少し思考を巡らせてから、口を開く。
「……探していた人、人じゃないか。まあ、探していた妹分はどうなった?」
朱音さんが自身の胸元に手をやって、取り出すように手を動かせば自然と一冊の本が現れた。
「おかげさまで取り戻せたよ。アカリ無理矢理使われて大分力を消耗しているし、私も色々やった所為でアカリの回復まで手は伸ばせていないからこのままだけど」
「正髄は?」
「生きてるよ。肉親たちは、四人が怪物に代わって、二人が私の捕獲に消費されて、二人がアカリを従わせるのに消費されたけどね。でも、今正髄が死ねば貴方が苦しむでしょう?」
朱音さんがそこで言葉を区切ると、にやり、と口角を上げた。
軽やかに近づいてきて、両手を後ろにやった姿勢で下から覗き込むように上半身を曲げてくる。
「だから、少なくとも回復するまでは助けが欲しいなぁ。いやー、そもそも誰のせいで私が力をこんなに使う羽目になったんだっけ? あれ? あれれ? おっかしーなー」
「……ドウォパショのルールも分からずに朱音さんが逃げたからでしょうに」
「言いましたね! 言っちゃいけないことを、言いましたね!」
伸ばされた朱音さんの手をかわすように額を押すが、口の端を掴まれ、頬を伸ばされた。
「ひつりょくほうし、はんはい」
「私だって欠片ほどの罪悪感はあったから弟さんには誠二が格好良く見えるように説明したんですよ。良いんですか? 誠二が逃げたから誠二の大事な人として人質に取られたって言っても」
朱音さんの手首を掴んで下げれば、抵抗なく手が離れた。
「随分と卑怯な神様が居たもんですね」
「誰に言ってるんですか、誰に。慈悲深いではないですか。人間のためにここまでやったんですよ」
「はいはい。慈悲深い慈悲深い」
「でぃざヴぁずめ」
朱音さんの「跪け」の言葉を受けてか。
膝がひとりでに曲がり、朱音さんを見上げる形になってしまった。
「これはズルでしょ」
「ずるいものですか。言ったでしょう。貴方は私の一部。今更逃げようなんて虫が良すぎませんか?」
「お返しします」
「無理ですよ。もう」
何を言っているのですか? 当然ではないですか。
とでも言うように朱音さんが言ってきた。
本当に性質が悪いな。この神様は。
「安心してください。私が、貴方を導いてみせますから。ね」
朱音さんが柔和な笑みを浮かべる。
昨日も言われたなあ。似たようなこと。
あの時とは違って、今回は断る選択肢など取れないのだろうけれど。
「はいはい。これからよろしくお願いします」
「誠二なら受け入れてくれると思っていました」
八月の半ば。北海道では夏の暑さが取れ始めたころ。
何の因果か、炎を司る神が自分の人生についてくることになってしまった。七年前に始まった夏が終わらずに続くようである。
正直、どうなるかは分からないし、何が変わるかは分からない。
その中でも、分かっていることが二つある。
一つは、自分に彼女ができる可能性が限りなく低くなってしまったこと。
もう一つは、もう神頼みはしないだろうということ。
したところで、叶えるかどうかを決める神様は隣にいることになるのだから。
さすれば禁書を開きましょう 浅羽 信幸 @AsabaNobuyukii
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