第22話 決意の時
黒い棒と、盾と剣。
鬼と鬼退治に来た戦士か。退治される側か。
なんて、朱音さんが笑ってくれりゃあ少しは気が楽になるってのに。
気ままな神様とやらは人が求めるときには何もしないらしい。
ちっとも神様らしくないから対応が知る前と同じだったけど、そう考えれば朱音さんは十分に神様らしいな。自分の気分のまま動けるあたりとか。正髄に言わせれば、力を持つ者ゆえの行動で、それも『クズ』なのだろうか。
なんて、考えても。
詮無き事。
間合いを読んでいるつもりらしい正髄は、足をあまり上げず盾を前気味に、剣を顔の横まで引いて、じり、じり、と動き続けている。
間合いとか、何とか、知るかよ。こちとらで精々が打球を前に飛ばすように棒を振るだけだっての。
少林寺をやっている後輩が見せてくれたような動きをされたら、それもできずに懐に入り込まれて終わりだけれども。
あれは本当に早かった。体を倒して、腰から入れるんだっけか。その時に遊びながら少しやっただけだし、あの時は素手だし。こんなん持ってたら再現不可能だわな。
黒い棒を握りなおした。
正髄が一歩前に出る。盾が地面に叩きつけられた。腰は入っていない。重心も前ではない。
だから、来るわけがない。
目を切らないでいると、正髄の動きも止まった。それ以上はやって来ない。
盾に攻撃をするのは無駄だ。
動脈の一本、指の一つで良い。いや、良くない。動脈を切れば死んじゃうのか?
となると、狙いは正髄の右手首。リストの力で、バットを返す要領で殴りつける。折れる分には死なない。
正髄が盾を前に突き出してきた。黒い棒で盾を突く。正髄が引く。
正髄が持ち替えて、また盾の押し出し。今度は右足を引きながら立ち上がって迎え撃つ。肘をたたみ、体付近に来たボールを下から叩くようにしてまだ後ろにある正髄の右手首を狙う。
刹那。
灰色を切り裂いた感覚がフラッシュバックする。
グミを爪楊枝で刺したような、それでいて肉とわかる抵抗感。
この黒い棒が、切り裂いたと言う、嫌な感触。
「いっ」
狙いがずれ、武器の根元同士が当たる。
衝撃に手が緩まってしまった。
「んっ」
すぐに次の衝撃。痛み。
何とか倒れないように足をもつれさせながら下がれば、どうやら盾で殴られたらしいというのは分かった。正髄も右手はしびれているのだろうか。目を向けた時には左手の盾を大きく引いて、今にも殴り掛かってきそうである。
あまりにも大ぶりの一撃は、自分でも簡単に避けることができた。
ただ、落としてしまった黒い棒との距離は遠くなる。
正髄が無造作に近づいてきた。少し待って、左の袖に隠していた短い槍を取り出す。
狙いは太もも。
貫通、しないよな?
直後、ガツンと言う音が耳奥に響いた。
視界が揺れる。ああ、痛いんだな、とうすぼんやりと分かった。
ふりあげられた剣が目にはいる。うまくうごかない手足をうごかして、よけた。
背中にしょうげきがはしり、また、あごがいたくなる。
「まさか隠し持っていたとはな」
じめんに頬をつけるように寝返りをうちながら、正髄の方をみる。
短槍は床に転げ落ち、正髄がそれを蹴とばしていた。
盾に身を隠すようにして、ゆっくりと近づいてくる。
たぶん、あの痛みは盾に殴られたのだろう。
短槍を投げることに躊躇したから、その隙を突かれて。
とことん向いてねえな。荒事に。
「んなことも、言ってらんねえか」
このままだと俎板の上の鯉。
おいしく調理される気はない。
正髄が三歩ほど踏み込めば、ドウォパショの剣が自分に届くあたりまできた。
地面に寝っ転がったままポケットに手を入れ、紛失防止用のアクセサリーを押す。正髄の後ろで、携帯が爆音を鳴らした。
正髄の目が自分から外れる。
右手でポケットに入れたままのボールを掴んだ。狙うは口。歯が折れれば、血が出るし、痛みも大きい。
左手で地面を押し、両ひざを突きながら立ち上がる。サードからセカンドへ、同じような姿勢で投げたことは何度もあるのだ。この距離なら、外さない。
外さない、が。
本当にぶつけたとして。
この後、自分は普通に野球ができるのだろうか。思い出しはしないだろうか。
キャッチボールすら、怖くなるのではないだろうか。人を傷つける道具にしては、そう、なるのではないだろうか。
振りぬいた腕から放たれたボールは、正髄の横を通過していった。
先に感じたのは安堵。そして、後悔。
既に禁書に向かっては放っただろ。何を今更躊躇った。こんな場面で。自分の生死がかかった場面で。
右手左手と順に地面に付きながら、低い姿勢で正髄に突進した。
ボールにビビったのか顔が上に行っていた正髄を、あっけなく倒すことには成功する。
「くそがっ!」
ポケットに残されたライターを両手でつかんで、正髄の右手に振り下ろした。
「ヴェガっ」
正髄のだみ声が上がる。
親指を叩けたらしく、剣から手が離れた。奪い取って、遠くに放る。
放った際の体重移動を利用されたのか、右側から蹴られ、地面に転がった。
正髄が立ち上がる。盾が迫りくる。
盾は右足で蹴って抑え、左足で正髄の胸を蹴った。
正髄がたたらを踏む。
その間に立ち上がり、左のポケットに手を入れた。ボールを取り出して、横に投げ捨てる。
どうせ正髄に対して放れないんだ。転がった時に、こっちが痛みを増すだけ。
「くそったれが!」
一番くそったれなのは、自分だ。
自分の身の危機なのに、自分の手を汚す覚悟もなく人を殺せる物を手に取った。
取った時点で、覚悟は決まってなくちゃいけなかったはずだ。殺すことがあると自覚しないと禁書を読んではいけないはずだ。
その点、正髄は尊敬に値するよ。
完全に、殺す覚悟があるわけだから。理解しているわけだから。
左手を開く。
「ぉぬぞぬ……」
くそ。くそくそ。
「ぉぬぞぬドロ。だどぅドロ」
左手を握りしめれば、黒い棒を握りしめることができた。
荒くなった息を、吐き捨てる。
「行くぞ」
正髄ではなく、自分に言い聞かせて。
「引き倒せ」
一歩踏み出した時、正髄の声と間を置かずに来た土が視界の端に入った。
「なっ」
いっ!
視界が急速に流れ、横に吹き飛ぶ。次の痛みは予想通り胴体全体に。
転がりながら、人肉で構成された塔を目印に体を止めていく。
「泥水よ。押し流せ」
次の言葉で、前方、正髄の方から汚れた水が高く上がり、一気に襲ってきた。
防ぐこともできず、針で刺されたような痛みが体の前面に走り、足を取られた。
短い距離で水流は止み、顔にざらつく砂のような気持ち悪さと、服がぴったりと張り付く気持ち悪さが残る。地面も、ぐじゅぐじゅだ。
ライターは、もう使えないだろうな。
ポケットから取り出したネズミ花火も、袋が浸水していて、少し汚れていた。遠くのリュックもびしょ濡れ。
「水もあるのか。何でも使えるのな」
立ち上がる気力も流されたように。
このままでは殺されると言う考えとは裏腹に手足が伸びたまま動かない。
濡れて柔らかくなった土が気持ち良いくらいだ。
「そうだ。私は、何でも使える」
自分の独り言に、正髄が反応した。
こいつは。肩を上下させていたのを嘘みたいにしやがって。
こちとら疲労困憊だってのに。
遠くに見える趣味の悪い塔と同じだな。変わらない状態に、戻りやがった。
いや、あの塔は元々変わってないのか。
……変わってないのか?
嫌がる体に無理矢理活を入れて、まさに芋虫のように、鬼の罰走ダッシュで転がった後のような体をひっくり返す。
完全にはうつ伏せにならず、肘をついて周りを見渡して。
見渡して、山が消えているのを確認した。
山が消えている、と言うことは。それだけの土砂崩れを起こしたのか。自分のことながら良く防ぎ切ったと思うよ。そりゃ疲れるわけだ。
それはそれとして。
なぜ、あの塔は全く影響を受けていないんだ? 壊すことはしないだろうが、周りも全く変わっていないように見える。そして、正髄の体も元に戻った。
「聞いているのか? それとも、もう耳も聞こえないほどに疲れ果てたか?」
思考が終わり、正髄に顔を向ける。
マスクを被った炎の巨人が、正髄の横で仁王立ちしていた。
何だっけか、名前。ぷから始まるワイキキみたいな。ぷぐきき? あ、ピグキキゾだ。
「ワイキキってなんだよ」
自嘲の声が正髄にも聞こえたのか、正髄が怪訝な顔を浮かべる。
「いや、こっちの話だ」
肘で体を支えているのも億劫になり、泥に顎をつける形でうつ伏せになった。
顔だけが正髄に向いている状態である。
正直、もう動きたくない。
「この通り、今の俺は簡単に動ける状態じゃない。巨人を出したってことは、俺がゴケプゾが使えないってことも分かってるんだろ?」
正髄は、無言を貫いてくる。
肯定、ってことだろ?
「最後に一つだけ教えてくれないか。あの正義の塔、だっけか。あれは、悪人を誅した証であり、あんたの正義を実行するためのエネルギー源。ドウォパショを好きに使うための代償もあれが大分払ってくれているということか?」
「……好きに、考えろ」
「つれないねえ」
否定しないってことは、真実か真実に近いか。
ドウォパショのルールは大事な者を代償にすること。そのエネルギー源。悪人だけとも限らないか。
そして、正髄は目的のためなら大事な人でも簡単に切り捨てられる。『顔を知らない誰か』のために、両親も祖父母も従姉妹も斬り捨てた。おじもおばも。
肉親が居なくなって、でも代償を払わないといけなくなったら? 仲間か? いや、『顔を知らない誰か』のために頑張れると言うことは、『顔を知らない誰か』も大事と言うことではないのか。となると、正髄は大勢のために簡単に少数を切り捨てられるタイプの人間かも知れない。
拠点がどこかは知らない。
だが、拠点に近い方が大事な人にもなりやすいだろう。
少なくとも、今はこの街を。比良山家のある街を拠点にしている。
こいつの犠牲に、惣三郎や、母さん。間が悪ければ父さんや兄貴もなりかねないってことか。
後味悪いな。
ここで死ぬのは。本当に。
少なくとも、俺の手には、大事な者を守れる力と手段があるのに。実行もせずに見送るのは。
生き残ったとしても後悔するだろう。あの世でも後悔するだろう。会わせる顔もなくなるだろう。
大馬鹿者だ。
本当に。
最初っから分かっていた結末に。予期していた結末に。
ギリギリまで追い込まれないと気が付かないなんて。
顔を完全に横に倒して、泥を味わいながら口を開く。
後は運だ。
あいつが早いか。一節をそらんじるのが早いか。
「ぇにぶじゅだ、にょむぶじゅじょじょヴぉふぃぇまにしゅでぃごくぇじゃ。にょむぶじゅきゃろにょぬしゅじゅむげ、じゃにいみしゅにゅぬぇにぃ、ぅべじぇしゅぬめぃげじゃ。もふぉみょしゅぬめにげじゃ。ぉふぉぬねふぃだじぇじぇしょきゃなぐ。じふぉぬきゃなぐ。バザピだぬめにげぐヴぉふぉ。ぅべじぇしゅ。ぉぃぇじゃヴぇぅヴぉふぉ。だじぇじぇしょしゅふぉぞヴヴぉふぉふぃ、ぬめにげぐまむきょきゃなぐふぉましゅ。ぉげきゃゴケプゾふぉ、ジガパショ・ペピギふぉぇなに」
『生物は、植物と共に世界を広げた。植物が土壌を作り、大気を醸成し、全てを受け入れた。この世を受け入れた。その上に、全ての発展がある。知能がある。私は受け入れるモノ。全てを。そして試すもの。発展を望む者に、受け入れる覚悟があるのかを。それがゴケプゾの、比良山誠二の世界』
そして、散らかされるようにドウォパショの中に点在していた植物を起点に、ゴケプゾの、自分の世界が展開され始めた。
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