第13話 出立の準備
買う物はペットボトルの水、携行可能なバランス栄養食品、ネズミ花火、ライター、ウォッカに養生テープ。それから、スマホと連動する置忘れを音で知らせるスマートアクセサリー。
使わないで済むなら、それに越したことはない。ゴケプゾだけで正髄を止められるなら、正髄と交渉可能ならばなお良い。家族が人質になっていないなら、万々歳だ。
「……母さんにとっては、朱音さんも家族、か」
惣三郎にとっても、かも知れないか。
と、この部屋の主を思えば、自分がそう言った、家族の大事な人を置き去りにした事実を突きつけられる。
でも、これから助けに行くのだから、できれば許してほしい。
「これも弁償するからさ」
誰にも聞こえないだろうが、自己満足のために先に謝ってから六千円を机の上に置く。代わりに、新品の硬球を一ダース戴いて。
それらを手に、惣三郎の部屋を後にして自室に戻ってリュックに詰める。新球は取り出して、もんでからリュックの左右にあるペットボトルを入れるところに一つずつ。
長靴とスパイクも持てば、大荷物になるな。
念のための長靴だけにしよう。
服も、変える。ポケットが大きいズボンを選び、一応森の中だからと長袖の羽織るもの。こちらもポケットが大きいものを。虫なんていないだろうけども。毒性のある植物はありそうだな。
ネズミ花火は台所から拝借した密閉できるビニール袋に入れて、リュックとポケットへ。ライターもポケットに。
その作業を行っていれば、スマホと忘れ物を防ぐアクセサリーを同期させるためのアプリのダウンロードが終わる。
アクセサリーからもスマホからも音を鳴らせることを確かめてから、スマホはズボンへ。アクセサリーは上着へ。
手持ち無沙汰になる時間が怖くて、ゴケプゾを開いた。
映像が浮かんでみるようなものかと思っていたが、どうやら本質は『体験をさせる』ということらしい。一章が、ゴケプゾによる世界の作り方。二章が世界の変質。広げ方や変更。三章が、ゴケプゾの世界を持ってくる方法。
要するに、自分は正髄の本の中で知らず知らずのうちに『一章の部分を引用して世界を作り、二章をコピペして使いやすいように世界の中で植物を変え、三章を見よう見まねで使って蔓を出した』らしい。
それは分かった。戦い方は、その三章を読み解いて、理解して行うべきだと。
知りたいのは、ゴケプゾの本質。何が攻略条件だったのか。
自分は、なぜ攻略できたのか。
目から手の先へ。体の芯からゴケプゾに触れる指の先へ木の根が伸びてくるような、枝が広がってくるような感触が来る。肉を食い破り、押しのけ、体に巻き付いて自由を奪っていく感覚。体を植物に変えられてしまうような恐怖。
だが、そのような感覚は度々覚えても今のところは体に変化はないのだ。
習熟度でも正髄に劣っている以上、多少の無茶は受け入れ、脅しにも目をつぶるしかない。
「勝てる要素があるとすれば、あいつは日本語で、俺はこっちの言語で指示が出せることぐらいか」
朱音さんが『誠二さんの世界の言葉で言うべきではない』と言ったのだ。
日本語で指示を出しては、何かしらの悪影響はあるのだろう。
深く。深く。
身を委ねていけば植物の浸食は止まらないまでも、動きにくさ、息苦しさが緩和された。
目も閉じて、ゴケプゾに集中する。
不思議と、目は閉じているのにはっきりと世界が見えていた。
絵が文字が音楽が。溢れて、溺れそうな感触を覚えるが、息は普通にできて。
本当は目を開けたかったが、開けてはいけない気がした。ただ、ゴケプゾの申すままに。
恐怖はある。
ゴケプゾも人を怪物に変えるという可能性もゼロじゃない。
凶器でもある。
ゴケプゾは、人を殺しうる力がある。包丁と同じだ。役に立つが、人も殺せる。自分も傷つく。そして、包丁よりも殺傷能力が高い。
でも、正髄が祖父母もおじおばも従姉妹も犠牲にできる人ならば。きっと自分の家族も放っては置かれないだろう。現実世界で禁書を振るうことだって大いにありうる。
そして、自分が、一番、抵抗できる可能性があるのだ。
それは正髄も承知の上。それで放した。
眼中にない、と言うことはないだろう。真っ先に、一番印象に残る会話に家族の話を持ち出したのだから。
その上で放流した。そうなれば、警戒の度合いは低い、ということだろう。どうにかできるレベルだと判断している。油断している。
だから、今だけがチャンスだ。油断している間に、小細工を弄してどうにかなるレベルまでゴケプゾを使いこなせるようにならないといけないのだ。
時間の流れは向こうが有利だとしても。
神様と言うのは、気まぐれに人に特異なギフトを与えてくれるのだから。
「ギカパショ・ペピギきゃぉふぁじゃしゅぬめにげみょぬ」
手にやわらかな熱と張り巡らされた根が解けていく感触が伝わってきた。
「起きろ、ゴケプゾ」
目を開ける。
手をひっくり返して両の掌を上に向ければ、机の上にあったはずのゴケプゾがいつの間にか掌の上に乗っていた。
両手を使って、ゴケプゾを宙で閉じる。
ゴケプゾは体に吸い込まれたかのように消えていった。
リュックを掴んで一階に降りる。
時計を見れば、十八時半を回ったところ。夕食の匂いは漂っていて、惣三郎が十七時までに学校を出なくてはいけないのなら一本遅れても連絡が来ているはずだし、そうでないならば既に帰ってきているころだ。
惣三郎の乗る予定のものがまだ一本遅れているという可能性も無いわけではないが、山崎先生曰く、部活自体は今日は早く終わったとのこと。理由は、言えない、と。
なるほどね。
惣三郎をさらうにしても目撃されれば厄介だから、先生を脅した、と。怪物が居れば従わざるを得ない。そして、部活が終わって三々五々に帰宅に入れば、惣三郎が一人になるタイミングだってある。
取る道は決まったよくそ野郎。
「Thanks for your help, Shozuiだな、まさに」
汚い言葉は母さんには聞こえないように。台所に立つ母さんの後ろ姿を見ながら、ゴケプゾを取り出して開く。
「ふぁしょじ、ふぇヴぎしゅふぉぞヴふぁが、にょむぶじゅきゃぉげしゅまふぁねみょぬ」
『汝、眠りを望むなら植物がそれを叶えよう』
右の掌に、一輪の桃紫の花が咲く。
「母さん」
「なに?」
振り向いた母さんの顔に植物を近づけただけで、一瞬で母さんの目が蕩けた。
そのまま、崩れ落ちる母さんを支え、ゆっくりと床に寝かせる。ガスなどが大丈夫なことを確かめてから、再度ゴケプゾを開いた。
「ぉふぉぇまにだ、らげふぃヴぉのまぁげふぁに、しゃじゃぃらめふぉぇまに。ぬめにげご、ゴケプゾ」
『その世界は、誰にも侵されない、私だけの世界。受け入れろ、ゴケプゾ』
ツタが葉が、至る所から生い茂り始めた。
がさがさと、音を立てて世界が緑に変わっていく。
「時の流れが違うから。次に目が覚めた時には、惣三郎も一緒に夕飯を取れるよ」
本を閉じ、一歩下がる。
意を理解してくれるゴケプゾはそれだけで開き、母さんを残してゴケプゾの世界は閉じていった。
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