第5話 吉良上野介の妻・富子
――由姫どの。
失意の上総介さまを支えつづけた月仙寺の和尚のように、わたしにも心を開ける朋輩がいてくれたら、地底に引きずり込まれそうなこの孤独も少しはやわらぐのであろうが、こうして二六時中床についているような状況では、如何ともしがたい。
そうじゃ、朋輩の代わりに由姫どの、波乱の生涯を終えた女人の身の上を聞いてくれぬか。わたしにとっては祖母であり義母でもあった吉良富子の物語を……。
*
16歳の当時は三姫と呼ばれていた自分に母から提示された道が、果たして正しかったのどうか、あとになって富子はつれづれに考えてみることがあった。名門・上杉家の姫として、諸大名からの縁談は、それこそ降るほどあったのだが……。
万治元年7月25日(1658年8月23日)戌の刻。
出羽米沢2代藩主・上杉定勝の4女・三姫は、江戸白金の上杉下屋敷で、生母の
前年の「明暦の大火」(振袖火事)で桜田上屋敷と中屋敷(
木の香も新しい下屋敷の奥座敷にいた3人は、異口同音に驚愕の叫びを発した。
「なんですと?」
「援姫さまが?」
「なにゆえに?」
しかも妹姫の婚礼の前祝いが阿鼻叫喚の場に一転したと聞き、全員が絶句した。
――毒殺!
だれの胸にも
何者かの手にかかったのが花嫁の松姫ではなく、なぜ援姫だったのか。
凶悪な事件の裏には、だれの、どんな思惑がはたらいていたのか……。
使いの者に問うても一向に要領を得ない。
三姫が亀姫と連れだって桜田上屋敷に援姫を訪ねたのは、つい数日前だったが、義姉はいつもどおり明るくなごやかに心から打ち解けたようすで歓待してくれた。
自分より3歳年長の義姉を三姫は実の姉のように慕っていた。
美しく聡明で気品のある、女性のお手本として憧れてもいた。
その麗しい義姉が、なにゆえに惨たらしい殺され方をされねばならぬのか。
だれかが義姉を深く恨んでいたのか、ご実家の保科家でなにがあったのか。
答えのない疑問ばかりが荒々しく胸中を駆け巡った。
急ぎ駕籠を飛ばして桜田上屋敷へ駆けつけると、遺骸はすでに丁寧に浄められて白木の棺に納められており、苦悶の痕跡を留める口もとがことのほか哀れだった。
綱勝をはじめ家中が号泣する葬儀のあと、棺は米沢の林泉寺で荼毘に付された。
19歳の亡者の名号は、
――清光院殿。
儚く簡潔な名号を目にした三姫は、涙の壺が空っぽになるほど泣きに泣いた。
援姫の舅に当たる保科肥後守正之のきびしい詮議によって、不可解な毒殺事件に一応の決着がつけられたと聞いたのは、それからしばらく経ってからだった。
華奢な身がのけぞるほど驚いたことには、側室腹の松姫さまのお輿入れを妬んだ継室の於万ノ方さまが、祝膳の料理にこっそり毒を盛ったが、宴の直前、肥後守さまの指示で席が入れ替えられたため、実の娘が毒を食する結果になったのだとか。
下手人として捕縛された於万ノ方さまは、奥の座敷牢に幽閉されているという。
於万ノ方さまは保科家の世子・正経さまのご生母であられたため、想像するだに恐ろしい最終的な処罰だけは免れたが、祝膳に関わった賄係や御台所奉行、女中衆にも疑いが向けられ、肥後守さまご自身によるきびしいご詮議が行われたらしい。
危うく難を逃れた松姫さまのお輿入れは、日を改めて行うことになったという。
事件の詳らかな経緯を知った三姫には、ふくよかな肢体どおり鷹揚な性格と聞いていた於万ノ方さまが、輿入れといってもまだほんの子どもに過ぎない松姫さまを殺したいほど憎んでいたとは思えず、残された幼い弟妹が不憫でならなかった。
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