第7話 上杉家に財政負担をかける吉良家




 

 万治3年5月。

 若葉が匂い立つ季節に、富子は初子の鶴子を出産した。


 周囲の期待を裏切り女児だったので、産褥の床にあっても肩身が狭く、屋敷内の空気を敏感に感じながら、子に恵まれなかった亡き媛姫の胸中を思いやっていた。


 翌4年1月20日、江戸の大火で吉良邸が類焼し、富子はまだ1歳にもならない鶴子を連れて上杉家の白金屋敷へ避難した。以前から決められていたかのように、吉良家の屋敷は、富子の化粧料全額に上杉家からの援助を受けて新築された。


 だが、その上杉家にしても、3年前の大火で類焼した桜田屋敷と白金屋敷の建て直し、国もと米沢の火事の後始末、江戸城二ノ丸御殿の造営への賦役などの物入りが重なった時期でもあり、そのうえに吉良家への資金援助は相当な負担になった。


 それなのに、当主の義冬・志保夫妻を筆頭に、依然として贅沢三昧をあらためる気配も見えぬ吉良家の家風に、富子の付き添いとして上杉家から派遣されていた老乳母・村岡や傅役もりやく・浅間五郎兵衛信忠は、日ごとに苛立ちを募らせていった。


 寛文2年(1662)正月、22歳の義央は高家としての初仕事を成し遂げた。


 ここ数年、各地で頻発する火災や地震、水害に加え、伊勢神宮の炎上、京の大火による御所の炎上などが相次いでいたところへ、追い打ちをかけるように全国的な規模の大地震が発生した。たび重なる天変地異に恐懼きょうくした人びとは、


 ――111代・後西ごさい天皇(18歳)のご即位が災厄のもとにちがいない。


 として代替わりを望んだ。


 次代天皇として白羽の矢が立てられたのは、弟の識仁さとひと親王(10歳)だった。


 もともと識仁びいきと言われる兄弟の父・後水尾ごみずのお上皇の賛同はたやすく得られそうである。そこで、後西天皇から識仁親王への譲位を円満に取り持つという、きわめて至難かつ重大な役割が下ったのが高家筆頭・吉良義冬だった。


 謹んで重責を承った義冬は、高家としての手腕を披瀝でき、さらに京の公家衆に後継をお披露目する絶好の機会と考え、補佐役として息子・義央を同行させた。


 義冬・義央父子はまず吉良家の姻戚筋を訪ねて天皇家を取り巻く組織図の糸口をつかみ、内大臣、右大臣、左大臣、関白など公家の幹部に入念な根回しを行った。


 その結果、就任されたばかりの後西天皇には粛々とお引き取り願い、112代・零元れいげん天皇(識仁親王)にすみやかにまつりごとを引き継いでいただくという、前代未聞の大仕事を見事に成就させたのである。


 ご公儀の覚えがますますめでたくなった春、富子は次女・布利ふりを出産した。


 翌寛文3年正月、前年、京に顔見世したばかりの義央に、ふたたび願ってもない活躍の機会が巡って来た。


 幕府の朝賀ちょうが(元日の朝、天皇が大極殿で皇太子以下の文武百官の拝賀を受ける)使節として単身で上洛した義央は、紫宸殿ししんでんで行われた零元天皇の御践祚ごせんそ(天皇位を受け継ぐ儀式)にも列して祝賀を申し上げる栄誉に浴した。


 2月、江戸へ帰参する前の挨拶に参内した義央は、零元天皇から感謝のしるしとして賜杯、白銀10両、綿100把を賜り、従四位に叙される栄誉まで拝した。


 これを機に、吉良家の高家職は義冬から義央へ代替わりすることになった。


 ところで、第4代将軍・家綱のご意見番だった酒井忠勝、さらに「知恵伊豆」と称された松平信綱が没すると、代わって頭角を現したのが老中・酒井忠清だった。


 如才ない義央はさっそく酒井老中に近づいたので、吉良家の交際はいっそう華やかになってゆく。ただでさえ財政窮迫のなかで、茶器、軸物、饗応、接待、進物と出費は嵩む一方となり、6月に着道楽の志保が他界すると、それまで無念を懸命に堪えていた傅役・浅間五郎兵衛信忠が、ついに富子の夫・義央に進言を行った。


「殿さま、ご当家とご実家の板挟みになられている奥方さまのご心情をどうか慮られ、これ以上、上杉家に財政負担をかけないでやっていただけませんでしょうか」


 だが、義央は忠臣の心からの諫言かんげんをすげなく一蹴した。


「なにを! 家臣の分際でいらざることを申すな! 分をわきまえよ、分を!」


 絶望した信忠はその夜、吉良家と富子への思いの丈を書き置いて自刃した。


 2女・布利が7か月の短い命を閉じたのは、それから3日後のことだった。

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