第4話 吉良義周の昔語り

 



 

 天涯孤独。

 係累に恵まれたわたしがよもやこのような境涯に陥ろうとは思ってもみなんだ。


 ――由姫どの。


 そなたもよく承知してくれているとおり、わたしにはこよなく愛してくれる父母が2人ずついてくれた。生みの親は、出羽国米沢藩第4代藩主・上杉綱憲と側室・阿要之方。養いの親は、公方さま直轄の高家筆頭・吉良上野介義央と正室・富子。


 複雑な親子関係に至った次第をごく簡単に申せば、つぎのようなことになる。


 後継を決めていないまま急逝された前藩主・綱勝さま(富子の実兄)の末期養子まつごようしとして上杉家に迎えられたのが、吉良義央・富子夫妻の長男・綱憲だった。それから26年後、今度はその綱憲の次男のわたしが、やはり後継のいない吉良家の養子に入ることになった。つまり、両家は「行って来い」の関係ということになる。


 5歳の春、輿入りかと見紛うばかりに美々しく飾り立てられた駕籠に乗せられ、前後を家臣団に守られて米沢城を発った早朝のことは、いまも鮮明に覚えている。


 子どもの目には見るもの聞くもの珍しいものばかりの長旅の末、江戸は鍛冶橋の吉良邸に到着したのは、元禄3年4月16日の夕暮れどきのことだった。わたしにとっては祖父母にも当たる養父母を先頭に、こぞって紋付き袴に威儀を正した親戚一同やご家来衆がずらりと並んで、吉良家の跡取りを丁重に出迎えてくださった。


 それから今日までの10数年間、競うように可愛がってくれる4人の親たちと、両家の親戚縁者に囲まれて育ったわたしには、孤独ほど縁のない言葉はなかった。


 それがどうだろう。

 3年前の雪の夜半の押し込み事件で、祖父で養父の義央が無念の死を遂げた。

 謎だらけの一件から2年を経た昨年、残された3人の親も相次いで身罷った。

 あり余るほどの愛情に囲まれていたわたしは、ぽつんとひとりだけ残された。


 ――由姫どの。


 諏訪湖の藻のように寄る辺なき身の上を思うと、


 ――因果応報。


 そんな言葉が泡のように浮かんで来てならぬのだ。


 偉大なうえにも偉大な不識院殿さま(上杉謙信)を祖と仰ぐ上杉家、かたや清和源氏を発祥とする吉良家。両家ともどもに、長い渡世のあいだには、世間に憚りのある出来事の二つや三つあったとしても当然であろう。とりわけあの一件は……。


「50年近くも前に起こった出来事など、若さまにはなんの関係も責任もないことでございます。どうかお願いでございます。お身体に障りますゆえ、考えても仕方のないことで思い悩まれず、きれいさっぱりとお忘れになってくださいませ」


 左右田の爺や新八郎に叱られるとおり、はるか昔の、それも他家での出来事を、後世の弱輩のわたしが取り沙汰してみても、いまさらどうにもならないことはよく承知している。


 だが、二六時中のきびしい監視のゆえか、どうかすると、ついそこに思いが行き着いてしまうのは、上杉家先代・綱勝さま怪死の一件、および、その予兆とも位置づけられる援姫はるひめ(綱勝の先妻)さま誤毒殺一件のいずれも不可解な経緯いきさつが、わたしを強く呪縛して開放してくれないからだ。あるいは、愛娘毒殺の濡れ衣を着せられた聖光院(於万ノ方)さまに、同じ家刀自いえとじの立場として深い同情を寄せていた上杉の婆さまから、その顛末を繰り返し聞かされたせいやもしれぬが……。


 ――由姫どの。


 その後の動向については、そなたも承知してくれておろう。

 不可解きわまりない誤毒殺事件で愛妻・援姫さまを失われた綱勝さまは、当分のあいだ失意の底に沈んでおられたが、まことにお気の毒にも、大勢の家臣を率いる藩主としては、いつまでも亡妻恋しとばかりも言っておられなかったのであろう。


 周囲の強い勧めもあって、富子さま(わが養母と同名)と再婚されたのは、家中の慟哭のなかで援姫さまのご葬儀を執り行ってから、およそ1年後のことだった。


 だが、いかなる運命の皮肉か、寛文4年閏5月7日、実妹・三姫さんひめ(富子)の嫁ぎ先である高家筆頭・吉良上野介義央邸を訪ねて饗応を受け、上杉邸にもどられた直後に著しく体調を崩し、そのまま呆気なく25歳の命を終えられてしまった。


 継室の富子さまとの間に嗣子ししはなく、世嗣せいしの指名もないままの急逝は、本来ならば御家お取り潰しとなるところだが、媛姫さま誤毒殺の一件で負い目を感じておられた肥後守さまのご尽力により、吉良家の長男・三之助(綱憲)を末期養子に据えることで、ようやく家名の存続(ただし家禄は3分の1に削減)を許された。


 ちなみに、わたし、すなわち上杉綱憲の次男に生まれた春千代(義周)が、跡取りの男子のいない吉良家の養子に入るのは、それから26年後のことになる。


 ――由姫どの。


 こうして系譜の糸を手繰り寄せてゆけば、現在の不運の因果にたどり着くような気がしてならぬのだ。それがわかったとて、どうなるものでもないのだが……。

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