赤穂事件の真実――吉良義周の述懐

上月くるを

第1話 プロローグ




 

 その墓は意外な場所にあった。


 山寺の裏山の中腹、急な石段を登り詰めたところに1基の自然石が建っている。

 横並びに数基の供養塔や石碑が見えるが、いずれも後世の人びとの手になるものなので、赤穂事件のとがで諏訪へ流された吉良左兵衛義周きらさひょうえよしちかが22歳で病死した310年前には、ただ1基、人目につきにくい場所にぽつんと佇んでいたにちがいない。


 鬱蒼たる雑木林の落葉が墓の周囲を分厚く埋め尽くしている。朝から夜まで陽が射さない峻厳な事実を物語るように、墓も石碑群もびっしりと苔に覆われている。


 いままで執筆の折々に詣でた、いくつかの墓のありようが鮮明によみがえった。

 どの墓も寺域にあり、檀家の墓に囲まれていたり、離れていても石垣で囲うなど丁重に扱われていた。とくに沼田城跡にある小松姫(真田信之室)の墓は河岸段丘の高台に眩い陽光が惜しみなく降り注ぎ、新鮮な供花に冬の蜂が飛び交っていた。


 なのに、いまも罪人でありつづけるこの墓の侘しさといったらどうだろう……。

 寺の心尽くしと思われる白百合と黄菊白菊の瑞々しさが唯一の救いに思われた。

 遅ればせながら合掌して不運な故人の冥福を祈ったあと、墓石に近寄ってみた。

 

   寶永三丙戌天

 室燈院殿岱巌徹宗大居士 神儀

   正月廿日

 

 人知れず風雪に堪えた文字は、皮肉にもほとんど摩耗していない。

 戒名に「巌」の文字が入っていることに、どきんと胸を突かれた。


 墓から見えるのは、鷲峰山法華禅寺本堂の裏屋根だけという殺風景さにも。

 もう一度合掌し、永遠に青年のままの墓の主に、拙いペンの許しを乞うた。


        *

 

 翌日は心療内科の受診日だった。

 主治医のH先生は治療の一環として歴史小説の執筆を推めてくださっていたが、前日の墓参りの件をお話すると、即座に明晰で魅力的な推理をご示唆くださった。

 

 ――それはまことに興味深い事実ですね。諏訪大社上社本宮へ詣でた人たちは、横に並び立つ鷲峰山法華禅寺の墓にも自然に手を合わせることになります。一山を古墳と成すようひそかに配慮した、当時のどなたかの強い意志が感じられますね。

 

 同じく高島城南ノ丸に幽閉された松平忠輝の生涯を探って2年余り、折々に資料を集めながらも決断がつかなかった執筆は、こうしてスタートすることになった。

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