第一章 ~『目覚めた魅力の力』~

第一章『銀髪の狐とペンダントの密室』



「うっ……あ、あれ? もしかして私、寝ちゃったの?」


 採光窓から差し込む光で目を覚ました美冬は瞼を擦って起き上がる。スマホで時間を確認すると、すでに時刻は正午になっていた。


「あちゃ~もうお昼ね。でも大学での講義には間に合いそうで良かったわ。本の整理は……おじいちゃん、ごめん!」


 本の整理ができなくなったことを天国にいる祖父に謝罪する。支度を整えるために土蔵(どぞう)を飛び出し本宅へと向かう。


「それにしても夢の中で出てきた銀髪狐さんはイケメンだったわね」


 あやかしを信じていない彼女が狐耳の青年を現実だと思うはずもなく、夢の中の登場人物だと決めつけていた。


「またあの夢が見られるといいのに♪」


 機嫌の良さから鼻歌を口ずさみ、本宅にある自室で服を着替える。丁度着替え終わったところで鼻歌を掻き消すような腹の虫が鳴った。


「そういえば朝食を食べてなかったわね」


 スマホを取り出して時間を確認する。大学の講義が始まるまでに食事をする余裕があることに気付く。


「腹が減っては戦も勉強もできないわね」


 昼食を求めて、ダイニングに顔を出すと、そこには弟の夏彦がいた。


 大学一年生の彼は大学デビューで髪を金色に染め、耳にピアスを開けている。しかし派手な外見とは対照的に腰には調理用エプロンが巻かれていた。


(まだ私に気づいてないみたい)


 夏彦は食器棚に皿を収納することに夢中になっていた。その真剣な横顔は凛々しく、姉の美冬が見惚れるほどに魅力的だ。


「夏彦、お姉ちゃんはお腹が空いたわ♪」


 美冬は驚かせようと夏彦に抱き着く。いつものスキンシップに慣れているのか、冷静な態度のままで彼は食器棚を閉めた。


「飯なら用意して――」

「固まってどうしたの?」

「ね、姉ちゃんが変だ!」

「えええっ、友達にゴリラの物真似を披露して、不思議ちゃん扱いされたことはあるけど、私はどこにでもいる普通の女の子よ」

「そんな女が普通でたまるかっ! いや、そうじゃない。おかしいのは姉ちゃんの頭だけじゃないんだ――美人になっているんだよ」

「え?」


 男子は三日会わなければ見違えると諺にあるが、人の容姿はそう簡単に変わるはずもない。


 念のため手鏡を取り出して自分の顔を確認するが、そこにはいつもの見慣れた容姿――腰まであるダークブラウンの髪とクリッとした瞳、そして目鼻立ちのしっかりした顔が映る。


「うん。相変わらず、可愛いわ。自分に一目惚れしちゃいそう♪」

「この頭の悪い反応は姉ちゃんだ……」

「おいっ」


 夏彦は美冬の顔をジッと眺める。目に見える外見に変化はないが、感じ取る印象が大きく変わっていることに違和感を覚える。


「分かった。オーラが違うんだ」

「どうしたの、夏彦? 頭、大丈夫?」

「俺の頭は正常だ! ほら、人ってさ、見に纏う雰囲気があるだろ。イケメンならイケメンの。美人なら美人の。姉ちゃんの雰囲気はさ、ジャングルで育った野生児のそれだったんだよ」

「……お姉ちゃん、泣きそうなのだけれど」

「ま、待ってくれ。話はこれからだ。その雰囲気がさ、美人特有のオーラに変わっているんだよ。それこそ遠目に見ても分かるくらいの美人にな」


 以前から美冬は黙ってさえいればアイドルでも通じるくらいの器量良しだった。しかし男勝りのガサツな性格が折角の美貌を台無しにし、周囲からも残念美人だと評価されていた。


 だが現在の美冬はフェロモンにも似た雰囲気を纏い、男なら誰もが振り返る艶っぽさを手に入れていた。


「これはきっとモテ期という奴ね。世の男たちが私を放っておかないわ」

「……あんまり変な色気は出すなよな」

「ふふふ、もしかして妬いているの?」

「ば、馬鹿。そんなわけあるかよ。さっさと朝飯食えよな」

「はーい♪」


 椅子に腰かけ、ダイニングテーブルに並べられた料理に感嘆の息を漏らす。一口大に切られた筍や椎茸や鶏肉が煮られた筑前煮と、大根おろしが添えられた紅鮭、他にも彼女の好物の和食が用意されていた。


「また料理が上手くなったわね……これなら恋人の一人や二人、簡単にできるでしょ?」

「俺は恋人を作らない主義なの。なにせ手のかかる姉がいるからな」

「酷いこと言うわね……でも何も言い返せないわ」


 美冬は料理を含む家事全般が苦手だった。もし夏彦がいなければ、毎日の食事に困り、家の中が荒れていたことだろう。


 優秀な弟に感謝しながら、机に並べられた料理に箸を伸ばす。どの料理も作り手の思いが込められた丁寧な味付けばかりだった。


「ご馳走様。美味しかったわ♪」

「どういたしまして。甘いモノも用意してあるんだが食べるか?」

「もちろん!」


 抹茶を使った和風ケーキだろうか、それとも黒蜜ときな粉がかけられたわらび餅の可能性もある。彼が用意する甘味を楽しみに待っていると、一房のバナナが机の上に置かれた。


「ほらよ」

「夏彦、あなた……最高よ! 素晴らしいスイーツだわ♪」


 この世のあらゆる食物の中で、美冬の一番の好物こそバナナだった。房からバナナを捻じり取ると、皮を剥いて白い果肉にかぶりつく。


「このねっとりとした甘さは……エクアドル産ね!?」

「正解。相変わらずバナナの味比べに関しては超一流だな」


 バナナを食べ終えた美冬は食器を片付ける。料理のできない彼女なりの家事への貢献だった。


「大学に行ってくるわね」

「……バナナをあげると言われても、知らないオジサンに付いていったら駄目だからな」

「もう、私のことを子供扱いして」

「逆だよ、逆。今日の姉ちゃんは魅力的だからさ。変な男に引っ掛からないか心配なんだよ」

「ふふふ、夏彦は優しいわね」

「べ、別に俺は……」

「それじゃあね」


 弟が心配してくれることが嬉しくて、口元に小さく笑みを浮かべる。今日は素晴らしい一日になりそうだと、軽快な足取りで大学へと向かうのだった。

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