第二章 ~『あやかし古書店への再訪問』~
頭痛を止めるために、あやかし古書店を訪れた美冬は、店の前でウロウロしていた。同級生と会うために店を訪れることに、少なからず恥じらいを感じていたのだ。
「店の前まで来たんだし、私、十分頑張ったわよね。よし、帰ろ――痛たたっ……わ、分かったわ。帰らないから、痛みを止めて」
頭痛は止んだものの、逃げることもできないので店の扉に手をかける。
「ごめんくださーい」
「あ、東坂さん。また来てくれたんだね」
「……忙しいのに迷惑よね?」
「そんなことないよ。東坂さんなら大歓迎さ」
西住はエプロン姿から察するに仕事の際中であった。それにも関わらず、迷惑そうな顔一つせずに爽やかな笑顔で出迎えてくれる。
「お客さんはいないのね?」
「さっきまではいたんだけどね……常連さんでね。わざわざ隣町から買いに来てくれるんだよ」
「おじいちゃんみたいな人が他にもいるのね」
「あやかし好きな人は意外と多いんだよ。妖怪や幽霊がブームになることも多いからね。古くだと江戸時代にも社会現象になったんだよ」
「江戸時代にも!」
「絵本や舞台に登場し、江戸の町を盛り上げたそうだよ。それまで恐怖の対象でしかなかったあやかしが、キャラクターとして娯楽へ変化したのも、このブームのおかげだったんだ」
「へぇ~、そういえば善狐さんの憑いていた本も江戸時代のものなのよね?」
「妖怪ブームが起きたから、その流れであやかし本がたくさん出版されたんだ。だから『
西住は本棚から数冊の本を抜き出すと、目をキラキラと輝かせながら、美冬に手渡す。
「これらの本も江戸時代に書かれたものだね。それぞれ狐、河童、鬼を扱っている本でね。内容も読み応え抜群なんだ」
「ちなみにどのあやかしが人気なの? やっぱり狐さん?」
「人気だと鬼が圧倒的だね」
「意外ね。狐はモフモフで可愛いし、売れると思ったのに」
「それでも鬼の人気は根強いよ。現代の作品にも妖怪の代表格として参加することが多いからね。ほら、漫画やアニメでも鬼を敵役に据えることが多いでしょ」
「……最近だと、鬼を刀で滅する漫画がブームになっていたものね」
「鬼は関連書籍の数も他のあやかしの比にならないくらい多くてね。今日も本を買い取ったんだけど、このダンボール箱の中身、すべてが鬼関連の本なんだ。整理する手間を想像するだけで気が滅入るよ」
西住はダンボールから本を手に取り、中を開いてみせる。そこには武士が鬼と戦う絵が描かれていた。
(もしかし頭痛は本の整理を手伝えって伝えたかったのかな?)
あやかしについて描かれた本がダンボール箱で埃を被っているのが許せなかったのかもしれない。なら美冬のやるべきことは一つだ。
「ねぇ、西住くん。本の整理を私にも手伝わせて」
「そんなの悪いよ……大変な作業になるだろうし」
「私が手伝いたいの。駄目?」
「本当にいいの?」
「……西住くんは名推理で私を助けてくれたでしょ。そのお礼もしたかったし、私にとっては渡りに船よ」
「ならお願いしようかな」
「任せて! それでどう整理すればいいの?」
「それはね――」
美冬と西住は肩を並べて棚に本を差し込んでいく。作者名順に並べるだけの単純作業だが、隣に彼がいるだけで、何だか特別なことをしているような錯覚を覚えた。
「こうしていると昔を思い出すね……」
「西住くんは昔も本棚の整理をしていたの?」
「薄々気づいてはいたけど、やっぱり忘れてしまったんだね……」
ショックを受けているのが見て取れるほどに、西住は残念そうに肩を落とす。
「ごめんなさい。記憶力があんまりよくないの……」
「僕と東坂さんは子供の頃に一緒に遊んだことがあるんだよ」
「わ、私が西住くんと!?」
「うん。近所の公園でね」
美冬は幼少の頃の記憶を思い出そうとするが、西住と一致する少年の記憶は見つからない。その気まずさが表情に表れていたのか、西住は助け船を出す。
「子供の頃の僕は女の子みたいな顔をしていたからね。覚えてないのも無理ないよ……それにあやかしが見えたり、家が裕福だったりしたせいで、いじめのターゲットにされていてね。人に心を開けず、性格も今以上に暗かったんだ……」
「そんなの、西住くんがあんまりだわ……」
「でも東坂さんとの出会いが僕を変えてくれたんだよ。君はいじめられている僕を見かねて、おじいさんと一緒に助けてくれたんだ」
「わ、私が!?」
「いじめっ子たちに一輪車を投げつける君の雄姿はいまでも鮮明に思い出せるよ」
「……その記憶忘れてくれない?」
「駄目だよ。僕の宝物の思い出なんだから」
西住が幸せそうに笑みを零す。野蛮だと思われたかもしれないが、彼を助けた子供の頃の自分を誇らしく思えた。
「……それから僕と東坂さん、それに君のおじいさんの三人でよく遊んだものさ。
「そんなことがあったのね……忘れてごめんなさい……」
「仕方ないさ。東坂さんは人気者だったし、友達も大勢いたからね。でもね、僕にとっては初めてできた友達だったんだ。あやかしの見える僕でも人と仲良くなれると、君が教えてくれたんだよ……」
西住の横顔は触れると壊れてしまいそうな儚さがあった。二人の間に気まずい空気が流れる。美冬は気まずさに抗うように、黙々と本の整理を進める。気づくとダンボール箱に積まれていた本は空になっていた。
「東坂さんのおかげで早く終わったよ。ありがとう」
「どういたしまして……それに……」
「それに?」
「ううん。なんでもない」
過去に西住と出会っていたことが記憶から抜け落ちていることに、美冬は罪悪感を覚えていた。この罪悪感を解消するには謝罪ではなく、記憶を思い出す必要がある。
(西住くんには悪いことしちゃったわね……おじいちゃんが生きていれば、聞いてみることもできたのに……あれ? おじいちゃん……)
「そうだ、西住くん! 実は私ね、本を持ってきたの」
「やっぱりそうだったんだね」
「やっぱり?」
「君に憑いているあやかしが一人増えているから」
「え! どんなあやかし!?」
「鬼のあやかしだね。見てみるかい?」
「うん」
西住が手を差し伸べ、その手に美冬が触れると、視界に黒髪の美青年が映し出される。気の強そうな切れ長の目に、頭から生えた二本の角、隅で塗ったような黒髪は美しく、朱色の瞳は紅玉のように輝いている。
(善狐さんに負けないくらいのイケメンさんだけど、なんだか怖そうな人……)
鬼は鋭い目つきで美冬を睨みつけている。隣に立つ善狐は鬼の態度に悩まされているのか困り顔を浮かべていた。
「ねぇ、西住くん。もしかしてこの鬼さんって悪いあやかしなの?」
美冬は声を潜めて西住に訊ねる。
「あやかしは人により良くも悪くもなる。鬼はその傾向が顕著で、物語だと悪の象徴とされることが多い一方で、鬼瓦のように悪しきモノから身を守るための守り神として祭られることもある。すべてはその人次第なのさ」
「なら私が何か怒らせるようなことしちゃったのかしら? 本の整理の仕方を間違えたとか?」
「この鬼の表情から察するに、怒りは君に向いていないね」
「あんなに私のことを睨みつけているのに」
「あれは鬼の愛情表現だよ」
「あの顔で!」
「鬼の眼をよく見てごらん。期待するようなキラキラとした輝きが見えるだろ?」
「私には鬼の形相を浮かべているようにしか見えないわ」
「そこは鬼だからね。しょうがないよ」
美冬は西住の言葉を信じて、鬼の眼をジッと見つめる。鋭い殺気のようなモノを感じるだけで、それ以外の何かを読み取ることはできなかった。
「この鬼は東坂さんに怒りの原因を止めて欲しいと願っているんじゃないかな。その証拠にほら? ちょっと嬉しそうな顔になった」
「私には同じ顔に見えるわ……」
「そこは慣れだね。僕のように長年あやかしと触れ合っていれば、分かるようになるさ」
西住にとってあやかしは人間以上に身近な存在だ。表情の些細な変化からでも、手に取るように感情を読み取ることができた。
「でも鬼さんは何に怒っているのかしら?」
「ヒントは西住さんの持ってきた『伊勢物語』だね。物語そのものは平安初期に生まれたんだけど、君の持つ本はおそらく江戸時代に出版されたものだね」
「本の表紙を見るだけで分かるなんてさすがね」
「僕もこういう商売をしているから知識は豊富だからね。それに江戸時代に出版された『伊勢物語』はそのほとんどがイラスト入りという特徴があるんだ。ほら、こんなにもギッシリと絵が描かれているでしょ」
「本当ね……でもどうしてこんなにイラストが多いの?」
「実はね、『伊勢物語』は江戸時代にベストセラーになって、百種類以上出版されているんだよ。でも文字だけだと他の本との差別化は難しいでしょ。だからイラストを変えて、百種類以上の本たちの中で目立とうとしたんだね」
「現代でも本の表紙を変えた文学作品が人気だし、江戸時代の人たちも同じことを考えたのね」
先祖たちの商魂のたくましさに触れ、何だか微笑ましい気持ちになる。
「この本は江戸後期に出版されたものだね。状態も良いし、数十万円の値が付くと思うよ」
「善狐さんの本よりも高いのね」
「本の知名度の問題でね。それに『伊勢物語』の鬼が出てくる話は人気でね。鬼マニアの人たちが買ってくれるのさ」
「鬼の物語から怒っている理由が分かったりしないかしら?」
「それは――」
「邪魔するぜ!」
西住の言葉を遮るように、あやかし古書店の扉が勢いよく開かれる。突然の闖入者は三人組の男女だった。
一人は長身で筋肉質な中年男性だった。自信が表情に現れており、フォーマルな黒のスーツもよく似合っていた。
そんな彼の傍にいるのが制服姿の若い少女だ。自信なさげな態度と、泣きボクロに特徴があり、立国大学の附属高校の生徒だと分かる。右手には手提げ袋が握られていた。
そして最後の一人。茶髪の整った顔立ちの男は、見間違えるはずもない。研究室のメンバーである山崎隼人であった。
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