第一章 ~『立川の説教』~


 講師室で立川の説教が始まり、数十分が経過した。さすがに堪えたのか、美冬の表情から疲れが見て取れる。


「どんなに侮辱されたとしても暴力は駄目だ。理解できたな?」

「はい……」

「よし! なら今日はこれくらいで許してやる!」

「やったわー、これでようやく鬼の説教から解放される」

「延長してもいいんだぞ……」

「それだけはご勘弁を!」

「ったく……何があったかは知らないが同じ研究室の仲間なんだ。仲良くしろよ」


 立川は帰ってよしと、美冬に退出の許可を与える。しかし彼女は講義室を出ようとしてタイミングで、何かを思い出したように踵を返す。


「……立川先生は花が好きなんですか?」

「なぜ知っているんだ?」

「霧崎さんがガーデニング姿の先生を見たと……」

「これは恥ずかしいところを見られたな。花なんて私に似合わないと思うだろ?」

「いえ、そんなことは……」

「否定しなくともいい。自覚しているからな……私はな、花壇の手入れが一番の生き甲斐なんだ……花はいいぞ。男と違って浮気もしないし、遊ぶ金をせびってこない。さらには暴力も振るわないんだ」

「先生の闇が見え隠れしてます!」


 いったい過去に何があったのか、さすがの美冬でも訊ねることはできなかった。


「だが生徒に花壇の世話をしている姿を見られるとはな。私ももっと用心しなければ」

「先生も隠したいならあまりに不用心ですよ。調理室の窓からガーデニング服姿の先生が見えていそうですから」

「それは不思議だな」

「不思議?」

「調理講義の時間は図書館に向かうために確かに出入り口を通った。だがな、図書館へ向かうのにガーデニング服を着る馬鹿はいない。きちんと私服に着替えていたぞ」

「え?」

「もしかして別の誰かと見間違えたのではないか?」

「う~ん、でも霧崎さん、随分と自信のある口ぶりでしたよ。服装も花柄のガーデニング姿と具体的でしたし」

「確かに私は花柄のガーデニング服を持っているが……もしかすると霧崎は何か記憶違いをしたのかもな」

「記憶違い?」

「例えば別の場所で見た私が記憶に残っていたとかだな……その日も花壇の世話をしていたんだが、その時はガーデニング服を着ていたからな。もっとも生徒に見つからないように講義の始業時間よりもずっと前の時間帯だがな。その時の私を目撃した霧崎の記憶が服装の記憶違いを引き起こしたのだろう」

「そういうものでしょうか……」


 美冬は釈然としないものの記憶違いなら仕方ないかと、講義室を後にする。扉を開くと、額に玉の汗を浮かべた西住が、廊下で立ち尽くしていた。


「やぁ」

「西住くん。ずっと待っていてくれたの!?」

「東坂さんのことが心配だからね」

「ごめんね。待ち惚けだったわよね?」

「そんなことないよ。色々と検証していたからね」

「検証?」

「それよりも話を聞かせてよ。立川先生は何か言っていたかい?」

「友達を殴っちゃいけませんだって。でも私、暴力なんて振るってないのよ。何もしてないはずなのに、勝手に霧崎さんが吹き飛ばされたの……信じられないかもしれないけど……」

「知っているよ。東坂さんは優しい人だからね。友達を傷つけることはしないよ」

「ありがとう、西住くん……」

「それに霧崎さんが吹き飛んだのは、あやかしの仕業だからね」

「善狐さんの?」

「うん。君が霧崎さんに殴られようとしていただろ。あやかしが咄嗟に君を守ろうとして起きた不慮な事故みたいなものなんだよ」

「そっか……善狐さんが……」


 霧崎を傷つけてしまったことは申し訳なく思う一方で、善狐が自分を守ろうとしてくれた事実が何だか嬉しかった。


「お説教以外には立川先生と何か話をしたの?」

「少しだけ事件に関する話もしたわよ」

「アリバイの話だよね?」

「うん。でもそれは霧崎さんの見間違いだったみたい」


 美冬は立川から聞いた話をそっくりそのまま伝える。考える素振りを見せると、何かを閃いたのか、ハッとした表情を浮かべる。


「まさか……そういうことなのか……だからあやかしは……」

「どうしたの、西住くん?」

「この事件の真相が分かったよ」

「え!?」


 立川の証言は西住を答えに導いた。美冬はそこから犯人を推測する。


「まさか先生が犯人なの……でもそれ以外に密室の謎を解く方法はないし……」


 鍵を使って研究室に出入りできたのは、美冬と立川の二人だけである。美冬が犯人でないのだから、自然と容疑者は立川に絞られる。


 さらに立川の無実を証明するための霧崎の証言も、事実と不一致が起きており、アリバイの確度としては弱い。彼女を守るための盾はなくなり、物理的に犯行が可能なのは立川のみになった。


「でも先生には動機がないわ……それに……立川先生があんなことするとは思えないの!」

「その疑問はもっともだよ。でもあれを見れば、君も真実に近づけるはずさ」


 西住は美冬を連れて、調理室へ向かう。授業は行われていないため、部屋の中には誰もいなかった。二人は霧崎がいた調理台へ向かう。


「霧崎さんはここで調理をしながら、窓の外の景色を見ていたんだ」

「研究棟へ出入りする人たちが見えるわね……あれ、でも……」

「気づいたね。窓の高さの問題で、調理室から見えるのは、首から上の顔だけなのさ。これで犯人を暴くための証拠も手に入った」


 西住は美冬の無実を証明するために、研究室へと向かう。すべての謎は解き明かされたのだった。


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