第一章 ~『ペンダント事件の真犯人』~


 トリックを暴いた美冬たちは研究室へと戻る。入室すると研究室の仲間たちから鋭い視線が向けられた。


「よくもまぁ、平気な顔して戻ってこられたわね」

「霧崎さんを殴るなんて最低よ」

「暴力反対!」


 霧崎と取り巻きの女性たちが美冬を非難する。その声を遮るように、西住が一歩前へ出る。


「東坂さんは殴ってないよ」

「でも私は吹き飛ばされたのよ!」

「それはあやかしの仕業さ。東坂さんがしたことじゃない」

「またあやかし? そんなのいるはずないでしょ」

「あやかしはいるよ。その証拠に――」


 西住の合図と共に窓がガタガタと震え始める。まるで本当に実在するのだと、あやかしが主張しているかのようだった。


「あやかしは東坂さんの味方だ。それは身を守るだけじゃない。今回の事件の真相も教えてくれたんだ」

「真相ですって?」

「つまり真犯人が誰なのか分かったのさ」


 美冬以外の誰かがペンダントを壊したとする西住の主張に、霧崎は眉を顰めるが、彼は構わずに推理を披露する。


「まずは状況のおさらいだ。事件の始まりはこうだ。霧崎さんが自席に置いてあった山崎くんへのプレゼントが壊されてしまった。最後に無事だと確認されたのは調理講義が始まる直前で、調理講義中は戸締りがされていて、誰も研究室に入ることができなかった。ここまでで異論はないね?」

「ええ」

「次に今回の事件の最大の謎の密室についてだ。調理講義中は扉に鍵がかけられ、出入り可能だったのは東坂さんと立川先生だけ。でも立川先生にはアリバイがあった。調理講義の開始と終了時刻にガーデニング服を着た立川先生が研究棟を出入りするのを目撃したんだよね?」

「ええ」

「でも君の証言には誤りがあったんだ」

「誤りですって?」

「先生本人は図書館に向かうために私服に着替えていたそうだ。つまり君のアリバイ証言は嘘ということになる」

「ふん。なら別の人と見間違えたのね」

「でもそれだとおかしなことがある。立川先生は生徒が誰も登校していない時間に花壇の手入れをしていたそうだが、服装は君の証言通り、花柄のガーデニング服を着ていたとのことだ。たまたま一致するかな?」

「偶然起きたのだから仕方ないでしょ!」


 霧崎は顔を真っ赤にして主張する。その声には強い意志が込められていた。


「霧崎さんは随分と立川先生を庇うんだね?」

「当然よ。先生がそんなことするはずないもの」

「するはずないか……僕もそれには同意だ。なにせ本当に犯人ならアリバイを証明する君の証言を記憶違いだと否定するはずがないからね」

「そ、そうよ。だから東坂さんが犯人なのよ!」

「いいや、東坂さんは絶対に犯人じゃないよ」

「あやかしが憑いているから? そんなの誰が信じるのよ?」

「だから今度は物理的に証明してみたよ」

「しょ、証明ですって?」

「研究室から内庭の花壇に移動して凶器のハンマーを捨てる。そしてそこから調理室へ戻るための時間を計測してみた。するとね、男の僕が全力疾走しても十分以上必要だった。時間的に彼女の犯行は不可能なんだ」


 西住が元陸上部で、身体能力に優れていることは研究室のメンバーなら誰もが知っていた。美冬が彼以上の速度で走ることができないことは明白であり、彼女の無実は証明されたに等しかった。


「西住くん、いつの間にそんなことを試していたの?」

「東坂さんが先生からお説教を受けている時さ」

「だからあの時、汗を流していたのね……ごめんなさい、私なんかのために……」

「気にしないでよ。僕が好きでやったことだから」


 西住は美冬の無実を証明するために、人知れず汗を流してくれていた。そのことが嬉しくて、彼女の胸が高鳴り始める。


「東坂さんが犯人でないなら、誰が犯人だって言うのよ!」


 霧崎は美冬の無実が証明されても、まだそのことを認めようとはしなかった。


「容疑者はまだ残っているよね」

「まさか立川先生が犯人だとでもいうの!? さっきも言ったでしょ。先生がそんなことするはずないわ」

「だからね、犯人は立川先生じゃない――君だよ、霧崎さん」

「はぁ?」


 研究室のメンバーすべてが、突拍子もない推理に呆気に取られる。犯人扱いされた霧崎も同様の反応をみせた。


「あのね、私は鍵を持っていないのよ。それでどうやって密室の研究室に入れると?」

「入れないだろうね」

「でしょ! だから私が犯人じゃないわ」

「いいや、君が犯人ならそもそも密室の部屋に入る必要がないんだ……なにせ密室は君の証言から生まれたものだからね」

「…………」

「今回の事件で密室の謎を生み出しているのは、ペンダントが調理講義の直前まで無事だったという君の主張が根拠だ。しかしそれが嘘だった場合、密室の謎は解ける」

「…………ッ」

「断言するよ。君のペンダントは調理講義よりもずっと前の時間に壊されていたんだ!」


 西住の主張する密室の謎は皆の心にすんなりと溶け込んだ。鋭い視線が今度は霧崎に向けられる。


「こ、こんなのただの妄想よ!?」

「そうかもしれない。だから僕の推理を最後まで聞いてほしい」

「結構よ。聞く価値もないわ!」

「逃げるのはオススメしないよ。この場の雰囲気は君が犯人で傾いている。もし無実なら僕の主張を正面から否定すればいいのさ」

「くっ……わ、分かったわ。早く聞かせなさい」


 渋々だが霧崎は自分の無実を証明するために推理に耳を傾ける。それ以外の選択肢がなかったからだ。西住は頭の中で整理した推理を語りだす。


「山崎くんへプレゼントするためのペンダントを壊したのは、おそらく講義が始まるよりもずっと前、生徒が誰もいない早朝に実行したはずだ。それから凶器のハンマーを内庭の花壇に捨てた君は、立川先生が花壇の世話をするためにやってきたのを目撃した。ここで君の頭の中に花柄のガーデニング服で作業する彼女が残り、アリバイ証言の不整合が生まれたんだ」

「……わ、私は嘘なんて吐いてないわ」

「その通り。君も嘘を吐くつもりなんてなかった。思い込みが墓穴を掘ってしまったのさ」

「どういうことよ?」

「実はね、君の証言を調べるために調理室から窓の外の光景を確認したんだ。すると窓の高さの問題で往来する人の顔しか見えなかったんだ」

「…………ッ」

「君は本当に立川先生が研究棟を往来する瞬間を見ていたのさ。でも人の脳は事前情報があると都合良く記憶を修正する。早朝に目撃した花柄のガーデニング服のままだと思い込んだ君は、そのままアリバイ証言をしてしまったのさ」

「ぐっ……」

「でもまぁ服を着替えていることに想像が及ばないのは無理がないし、だからこそ君の証言は犯人である証拠になる。生徒が登校していない早朝に花壇の世話をする立川先生を目撃した。凶器のハンマーを捨てに行く以外に、内庭の花壇を訪れる合理的な理由を説明できないはずだからね」

「…………ッ」


 霧崎は突破口を見つけようと爪を噛みながら頭をフル回転させる。そして何かを思いついたのか、ハッとした表情を浮かべる。


「あなたの推理には穴があるわ。私が立川先生の無実を主張するためにアリバイを証言した理由に触れてないもの」

「…………」

「それにね、そもそも壊されたペンダントは私が買ったものなのよ。自分で自分のモノを壊す必要がどこにあるのよ!?」


 被害者が加害者になる理由を問う霧崎の主張はもっともだった。しかしその疑問の答えも西住は用意していた。


「立川先生を守るのも、ペンダントを壊すのも君の真の目的じゃないよ。君が本当にやりたかったことは東坂さんを陥れたかったんだよね?」

「…………ッ」

「君の彼氏の山崎くんが東坂さんに夢中だった。それに嫉妬した君は、彼女の評価を落として幻滅させることで、自分への好意を取り戻そうとしたんだ」

「うぅ……っ……」

「これが君の動機であり、事件の真相さ」

「っ……ぐすっ……」


 西住の推理が正しかったと証明するように、霧崎はその場で打ち崩れる。すべてを見破られた彼女はただひたすらに泣くことしかできなかった。


「最低よ、霧崎さん。美冬がどんなに悲しんだと思っているの!」


 親友の明智が怒りを露にすると、研究室のメンバーにも伝播していく。部屋の至る所から霧崎に対する陰口が囁かれる。


「あいつ、本当にクズだな」

「あ~、私、友達やめた」

「私も! 実は昔からずっと嫌いだったのよね!」


 陰口は徐々に大きくなり、その声はとうとう彼氏である山崎の耳にも入る。彼は霧崎へ駆け寄ると、冷たい目で彼女を見下ろす。


「隼人……」

「最低のクズ女だな」

「は、隼人、わ、私はあなたと一緒にいたくて……」


 霧崎は縋るように涙をポロポロと零すが、山崎の表情に同情の色は見えない。


「恋人関係は解消だ。二度と俺の前に顔を出すな」

「そ、そんな……」

「それよりもさ、美冬ちゃん、俺と付き合わね? 俺たち、きっと良いカップルになれると思うんだよねー」


 霧崎への興味を失くした山崎は、先ほどまでの冷たい表情を一変させて、満面の笑みで美冬に言い寄る。


 だが美冬はあっさりと恋人を捨てようとする山崎に怒りを覚えていた。気づくと平手が飛び出し、彼の頬に手形を残していた。


「痛ってぇ! なにしやがる!」

「霧崎さんはね、山崎くんのことが好きだからあんなことをしたのよ! どうしてその気持ちを分かってあげないのよ! これじゃあ、霧崎さんがあんまりよ……」


 美冬は霧崎の悲しみを自分のことのように感じ、目尻に涙を浮かべる。さすがの山崎も気まずさを覚えたのか、その場から逃げるように立ち去った。


「霧崎さん、大丈夫?」

「……同情のつもり?」

「まさか……霧崎さんはちょっと愛情表現が過激で、間違えたことをしてしまっただけよ。でしょ?」


 美冬は霧崎に手を伸ばし、起き上がらせる。霧崎は嗚咽を零していたが、少しは冷静になったのか、小さく頭を下げる。


「あ、ありがと……それと……ごめんなさい……私も最初からこんなことをするつもりはなかったの」

「知っているわ。たまたま偶然が重なったのよね」


 今回の密室事件は美冬が最後に鍵を閉めたからこそ成り立っていた。その偶然を霧崎に予見できるはずもない。


「ペンダントを壊したのは、隼人に同情してもらうためだったの。でも鍵を最後に閉めたのがあなただと知り、今回のトリックを思いついたの」


 誰が犯人か分からないより、敵が明確である方がより同情を誘うことができる。それが恋敵ならば一石二鳥だ。


 魔が差して、計画を変更した自分を恥じるように霧崎の涙の勢いが強くなる。対照的に美冬の優しげな笑みは変わらない。


「霧崎さんのこと、許すわ。だって私たち、同じ研究室の仲間じゃない」

「う、うん……ぐすっ……」


 霧崎は肩を揺らして泣きながら、謝罪と感謝を繰り返す。


「西住くん、助けてくれてありがとうね……名探偵みたいで格好良かったわ」

「僕の力なんてたいしたことないよ。すべてあやかしのおかげさ」

「あやかしの?」

「霧崎さんが吹き飛ばされたでしょ。あれは君を守るだけじゃなく、真犯人が誰かを教えてくれていたんだ。犯人さえ分かれば、トリックは逆算すればいいだけだからね」


 今回の事件の真相も、霧崎が犯人だと仮定すれば、密室の謎を解くことは容易い。


「だから今回の事件は、すべてあやかしのおかげなのさ」


 西住は謙遜するように笑みを浮かべる。その素敵な笑みを直視できずに、美冬は頬を赤らめて、顔を反らすのだった。


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