第三章 ~『土蔵とカギ』~


 美冬たちは『伊勢物語』を元の場所へと戻すために土蔵どぞうを訪れていた。すでに鬼のあやかしは成仏してしまったが、それでも思い出の品であることに変わりはないた。彼女はギュッと本を抱きしめていた。


「その本、随分と大切なんだな?」

「鬼さんとの思い出の本なの」

「オニーサン? 西住以外にもまた違う男が……」

「どうしたのよ、夏彦?」

「姉ちゃん、男に免疫ないんだから。悪い男に騙されるなよ」

「騙されないわよ。それにもうこの世にいないし」

「亡くなったのか?」

「どうなんだろ? 鬼さんって死んだのかな?」

「はっきりとしないな」

「仕方ないじゃない。私にもよく分からないんだから」


 これ以上問い詰めても無駄だと思ったのか、夏彦は小さくため息を吐くと、土蔵どぞうの扉に鍵を回す。ガチャリという小さな音がして、扉が開かれた。


「用事が済んだら、いつものところに戻しておいてくれ」

「分かったわ」


 夏彦から鍵を受け取ると、美冬は一人、土蔵どぞうの中へと入る。その背中を名残惜し気に見つめる。


「ね、姉ちゃん……」

「どうかしたの?」


 夏彦は何か言いたげな表情を浮かべるものの、言葉を発しない。何度か迷う素振りを見せて踏み出せずにいる彼を後押しするように、美冬が再度、「どうかしたの?」と訊ねた。


「姉ちゃん、ドジだから。戸締りを忘れるなよ」

「さすがに私がポンコツでも、これだけ言われれば忘れないわ。大船に乗ったつもりで、任せときなさい」


 夏彦と別れの挨拶を終えると、美冬は土蔵どぞうの二階に上る。積み上げられていた本の山は消え去り、そのすべてが本棚に差し込まれている。


「さすが夏彦。本棚整理一つとっても私より優秀ね」


 本棚に差し込まれた古書はきちんとタイトル順に並べられている。付着していた埃はすべて綺麗に取り払われ、日焼けしないように、窓日が差し込まない場所に本棚が移されている。


「『伊勢物語』はと……ここね」


 あるべき場所に本を戻すと、美冬は仰向けになり天井を仰ぐ。彼女には本を戻す以外にやりたいことがあった。


(西住くんの力を借りない状態でも、この土蔵どぞうの中でなら善狐さんを見ることができたわ。もしかすると私一人でも善狐さんと出会えるかもしれない)


 美冬は善狐に伝えたいことがあると念じてみるが、彼は姿を現さない。


「善狐さん、そこにいないの?」


 顔を見せて欲しいと声に願望を込めると、半透明の善狐が姿を現し始めた。


「善狐さん!」


 美冬は喜色に満ちた声で名を呼ぶが、善狐は悲しそうに眉根を下ろしている。とても会話できるような雰囲気ではなかった。


「もしかして私にまた何か起こるの?」


 善狐はいつだって美冬の味方だ。彼が表情を曇らせるのは、彼女に何か起きるときであり、前回は冤罪事件が発生した。


「ありがとう、善狐さん。何が起きるかは分からないけど、私、用心するわね」


 背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、危機を回避するために一刻も早く自室で眠ろうと決め、階段を下りる。そして扉を開けようとしたタイミングで、異変に気付く。


「あ、あれ? 鍵がかかっているわ」


 土蔵どぞうは古くに建てられたものなので、外からしか扉の鍵の開閉ができない。建物の仕組み上、外から鍵をかけられて閉じ込められたのだと考えるのが自然だ。しかし土蔵どぞうの鍵は美冬の手に握られていた。


「ちょっと待って。いったん整理しましょう。鍵は外からしか開け閉めできない。でもそのための鍵は私が持っていて、古い作りの鍵だからスペアもない……もしかしてこれ……また密室なの!?」


 ペンダントの密室でさんざん苦しめられたというのに、今度は自分が閉じ込められる密室である。


「慌てちゃだめよ。私はジャングルで暮らすゴリラじゃない。きちんとした文明人なのだから、こういうときはスマホで助けを呼べばいいのよ……って、私のスマホ、鞄ごとリビングに置いてあるじゃない!」


 外部との連絡手段が絶たれ、出入りするための扉にも鍵がかけられている。絶望すら感じる状況で、美冬の取れる手段は一つしかなかった。


「夏彦! 閉じ込められたの! 助けに来て!」


 美冬は扉を叩いて、大声で叫ぶが反応はない。


「声が届いてないのかしら……で、でも大丈夫よね。さすがに戻ってこなければ、様子を見に来るわよね」


 根拠のない自信で自分を励ましながら、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。



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