第三章 ~『夜道と西住』~


 街灯が照らす夜道を彷徨いながら、美冬はキョロキョロと視線を巡らせていた。弟を探すために飛び出したものの、当てもないため、闇雲に周囲を探していた。


「さすがにこの時間に一人だと怖いわね……」


 人気のない道に加えて、恐怖を増長するような肌寒い風が吹く。彼女は身体を丸めながらも勇気を振り絞って足を前に進める。


(夏彦のためだもん。姉である私が逃げるわけにはいかないわ)


 美冬は心の中で意気込んでみせる。そんな彼女の心を試すように、遠くから犬の鳴く声が聞こえてくる。


「ワ、ワンちゃんの声も夜道で聞くと怖いわね……それにこの道……」


 美冬の視線の先には『全裸の変質者が出没します。注意してください』との看板が立てられていた。もし襲われたらどうしようかと恐怖が身体を震わせる。


(で、でも、私なんかを襲う人いないわよね……)


 根拠のない理由で恐怖を振り払おうとする美冬だったが、そんな彼女の肩を誰かがポンポンと二度叩く。


「あ、あの、わ、私なんてガサツだし、ゴリラだし、魅力ないし、襲っても楽しくないですよ」

「ごめんね。驚かせたみたいだね」

「西住くん!」


 振り返るとそこには見知った顔があった。美冬は変質者でなかったことに安堵し、ほっと息を吐く。


「西住くんはこんなところで何をしているの?」

「お世話になった人たちに挨拶周りだよ」

「こんな夜遅くに?」

「人といっても人間じゃないからね……この辺りは夜になるとあやかしが出るんだ。その中には馴染みの人が多くいるからこうして回っているのさ」

「もしかして出没する変質者もあやかしなのかな?」

「いいや、それは人間だね」

「あやかしは悪いことをしないから?」

「いいや、あやかしでもいたずら好きな人はいるよ」

「ならどうして人間だと分かるの?」

「人間のあやかしは亡くなったときの服装を引き継ぐからね。全裸で死ぬ人はいないでしょ」

「思った以上に納得できる答えでビックリ!」

「だから東坂さんはもっと用心した方がいいよ……君は自分で思っている以上に魅力的なんだから、襲われてもおかしくないんだよ」

「ごめんなさい……」

「謝らないでよ。ただ僕は君のことが心配なだけなんだから……折角だし家まで送っていくよ」

「ありがとう、西住くん。でも私は帰るわけにはいかないの」

「何か事情があるの?」

「実は……弟の夏彦が家出したの。きっと今頃寂しがっているに違いないわ。姉である私が探してあげないと……」

「なら僕も手伝うよ」

「いいの?」

「もちろん。東坂さんが困っているなら、僕はいつだって君の味方さ」

「ありがとう、西住くん」

「それで行き場所に心当たりはあるの?」

「それが皆目見当もつかなくて……」

「こういう場合の定番は友達の家だよね」

「でも私、弟の友達を知らないのよね……西住くんは一年生に友達がいたりしない?」

「ははは、僕に一年生の友人がいると思うかい?」

「……ごめんなさい」


 美冬は西住に友人がいないことを思い出し、別の切り口を考える。


「そうだわ。霧崎さんなら人気者だし、一年生に伝手があるかもしれないわ……でもペンダントの事件で色々あったし、連絡しても大丈夫かしら」

「問題ないと思うよ」

「本当に?」

「霧崎さんは君と仲良くしたそうにしていたから、きっと電話してあげれば喜んでくれると思うよ」

「なら電話してみようかしら」


 美冬はスマホを取り出して、霧崎に電話をかける。一コールですぐに通話が繋がった。


「は、はい、霧崎よ。東坂さんよね?」

「うん。夜遅くにごめんね」

「気にしないで。東坂さんの電話ならいつだってウェルカムだから。それで何かあったの? もしかして私とお喋りがしたいとか?」

「実は……弟の夏彦が家出したの」

「それは大変ね。でも任せて。私も捜索に協力するわ」

「いいの?」

「もちろんよ。研究室では……あの事件がきっかけで孤独になっちゃったけど、それ以外のコミュニティでは友達の多さは健在よ。一年生の知り合いもいっぱいいるから、大船に乗ったつもりでいて頂戴!」

「霧崎さん、ありがとう。この恩は今度しっかり返すわね」

「恩は……もう返してもらったわ」

「でもまだ何もしてないわよ?」


 手伝ってもらう以上はお礼をさせて欲しいと願うが、霧崎は頑なに拒絶する。さらには電話越しでも分かるほどに、嗚咽を漏らし始めた。


「うっ……ぐすっ……」

「どうしたの、霧崎さん!?」

「なんでもないの……ただ東坂さんに頼られることが嬉しくて……」

「え?」

「私が犯人だと判明して、みんなに責められている時に庇ってくれたでしょ。本来ならあなたが一番、怒る権利があるのに……それでも許してくれたわ。私ね、東坂さんのような人は初めてだったの……」

「…………」

「身勝手なお願いかもしれないけど……もしよければ私と友達になってくれないかしら?」

「霧崎さん、その必要はないわ」

「や、やっぱり駄目よね?」

「私たち、もう友達じゃない。今更友達になる必要なんてないのよ」

「東坂さん♪」


 電話越しでも分かるほどに喜色に富んだ声が伝わる。何だか美冬まで嬉しくなる声だった。


「あ、ありがとう、東坂さん。私、命に代えても夏彦くんのことを探してみせるから!」

「そんなに気負わなくていいわよ! 命をもっと大切にして!」


 霧崎は夏彦を探し出してみせると意気込んで、通話を切る。


「西住くんの助言通りね。電話して正解だったわ」

「仲良くなれたみたいで良かったよ」

「でも霧崎さんに頼りすぎるのも駄目ね。私も頑張って探さないと」

「なら一年生は霧崎さんに任せて、夏彦くんと仲の良い三年生に当たってみるのがいいかもね……家出するなら同級生より頼れる先輩の元へ向かう可能性は十分にありうるから」

「それなら由紀に聞いてみようかしら」

「明智さんは夏彦くんと仲が良いの?」

「私が由紀を家に連れてくることが多いから。それで時々話す場面を見かけるわ。とにかく電話してみるわね」


 美冬は明智の携帯に電話をかける。何回かコールが鳴ったあとに通話が繋がる。


「もしもし」

「私よ、私! 実は困ったことが起きたの!」

「……新手のオレオレ詐欺?」

「違うわよ」

「ははは、冗談よ。それで何の用?」

「実は夏彦が家出しちゃって……」

「また喧嘩したの? なら謝りなさいよ。どうせ美冬が悪いんだから」

「話を聞く前から結論出さないでよ」

「でも間違いないわ。だって夏彦くん、イイ子だもの」

「うっ、それは私も同意するけど……」

「まぁいいわ。それでどんな理由で喧嘩したの?」

「実は……私が西住くんとバイトすることを気に入らなかったみたいで……」

「西住くんかぁ……確かに彼は色々とよくない噂があるものね」

「……西住くんは優しい人よ」

「でもあやかしが見えるんでしょ。霊能力者を自称している人を疑うのは当然だと思うけど……」

「そ、それでも……」

「それに西住くんに悪意がなくても、あやかしの呪いが美冬にも被害を与えたらどうするの?」

「実は夏彦も同じ心配をしていたわ……私が土蔵どぞうに閉じ込められたのも、あやかしのせいだって……」

「閉じ込められたの!?」

「うん。唯一の鍵は私が持っていたのに、なぜか鍵がかけられちゃって……夏彦はあやかしの呪いだっていうの」

「私も同意見よ。呪いから逃れるためにも、やっぱり西住くんとは距離を置いた方がいいわ」

「でも……」

「ふぅ、まぁいいわ。呪いよりも先に夏彦くんを見つけないとね。彼の行きそうな場所を私の方でも当たってみるわ」

「由紀……ありがとう。だから好き♪」

「はいはい。ありがとね」


 明智との通話が切れる。これでまた弟の行方に一歩近づいたと達成感を覚えていると、西住が申し訳なさそうな表情をしていることに気付く。


「西住くん、もしかして通話の内容が聞こえてた?」

「ごめんね。聞くつもりはなかったんだけど……」

「謝るのは私の方だよ。西住くんは何も悪くないのに」

「いいや、悪いのは僕だよ。僕が原因で君たちに姉弟喧嘩を引き起こしたんだ。本当にごめん」


 西住は頭を下げて謝罪するが、彼に落ち度はない。美冬が何度か頭をあげるように促し、ようやく顔をあげる。


「夏彦と仲直りするためには、閉じ込められたのが呪いのせいでないと証明しないといけないわね……」

「呪いか……その話、詳しく聞かせてもらってもいいかな」

「もちろんよ」


 美冬は土蔵どぞうに閉じ込められた話の顛末を聞かせる。西住は話の中で何かに気づいた素振りをみせるも、口を閉ざしたままだった。そんな時である。美冬のスマホが着信音を鳴らす。


「知らない番号だわ。いったい誰かしら?」

「電話番号を教えてもらってもいい」


 番号が映った画面を西住に示す。


「これは山崎くんの電話番号だね」

「そうなの?」

「研究室の数少ない男子生徒だからね。連絡先を交換したのさ。でも東坂さんに何の用だろうね?」

「出ない方がいいかしら」

「もしかしたら急用かもしれないよ」

「そうよね……なぜ私の電話番号を知っているのかも確かめたいし……」


 覚悟を決めて、山崎との通話に出る。繋がったかと思うとすぐに、軽薄な声が聞こえてくる。


「美冬ちゃんの電話番号で合っているよな?」

「合っているけど、どうして私の電話番号を?」

「そんなことはどうでもいいだろ」

「私の個人情報が洩れているのよ。どうでもよくないわ!」

「いいや、緊急事態の前では些末な問題だぜ」

「緊急事態?」

「弟が家出したんだろ。俺も探すのを協力してやるよ」


 山崎の申し出から情報元が霧崎だと察する。きっと電話番号も彼女から聞いたのだろう。


 素直に申し出を受けるべきだろうか。答えを出すのに、逡巡してしまう。


「感謝のあまり声も出ないか?」

「違うわよ! ありがたい申し出だけど、山崎くんのことだもん。何か裏とかないの?」

「ないない。百パーセントの善意さ」

「後で幸運の壺を売りつけたりしないわよね?」

「しないから安心しろ」

「それなら……でも山崎くんで頼りになるのかしら」

「俺はやる時はやる男だからな。それに俺だけじゃない。千鶴も手伝いたいってさ」

「千鶴ちゃんが?」

「あいつ驚いていたぜ。あの有名な東坂夏彦の姉が美冬ちゃんだったことにな」

「夏彦って有名なの?」

「千鶴が言うにはそうらしいぜ。俺は男に興味ないから、詳しくは聞いてねぇけどな」

「まさか駄目な姉の世話焼きをしているせいで有名なんてことは……」

「ないと思うぜ。千鶴の奴、顔を真っ赤にしてよ。あれは……いや、これ以上は止めとくか。無駄話よりもまずは捜索のために動きださないとな」

「そうね……山崎くんは思っていたよりも良い人ね」

「だろ。俺は美女には優しいのさ」


 なぜ明智が山崎に惚れたのかと疑問に思っていたが、たまに顔を出す優しさに惹かれてしまったのだろう。


 山崎との通話が切れ、スマホを耳から離す。西住は興味深げに美冬の顔をジッと見つめていた。


「会話の内容が気になる?」

「居場所を探るヒントになるかもしれないからね」

「山崎くんや千鶴ちゃんが捜索の協力を申し出てくれたの。私は本当に周りの人間に恵まれているわ」

「そう思えるのは、東坂さんが皆との絆を紡いできたからだよ。遺産の一件で信頼関係が得られていなければ、協力してもらえなかったさ」

「私の力なんてそんな……西住くんの推理のおかげよ」


 信頼は西住が事件を解決したことで得られたものだ。もし彼がいなければ、今頃、研究室の仲間たちからはペンダントを壊した悪党と認知されていたはずだ。


「東坂さん、また電話だよ」


 スマホが再び震え始める。恐る恐る画面を確認すると、相手は電話帳に登録されている人物だった。


「秋葉くんからよ。でもいったい何の用かしら?」


 美冬は通話ボタンをタッチし、秋葉からの電話に出る。彼はスピーカーモードにしているのか、周囲の環境音も拾っていた。


「よう、東坂」

「秋葉くん、どうかしたの?」

「山崎から聞いたぜ。弟が家出して、困っているそうだな」

「実はそうなの」

「フィギュアを壊された件では東坂に世話になったからな。その礼をさせてくれ……こっちは橋本と二人だ。手分けして夏彦が行きそうな場所を当たってみるよ」

「ありがとう……あれ? 橋本さんがいるの?」

「ええ。私も通話を聞いているわよ」


 スマホから橋本の声が届く。スピーカーモードにしていた理由はこれだったのかと察する。


「あの事件のあと、アッキーとの恋が結ばれたの。いまではラブラブのカップルなの」

「ラ、ラブラブじゃねぇよ」

「もうアッキーったら。照れ屋なんだから♪」

「二人が幸せになれたみたいで私も嬉しいわ」


 いずれ交際することになるとは思っていたが、まさか日も経たない内に恋人関係にまで発展するとは思っていなかったので、驚かされてしまう。


「あれ?」

「どうかしたか?」

「いま男性の悲鳴が聞こえなかった?」


 スピーカーモードにしていると、環境音を意図せずに拾ってしまう。秋葉とは違う若い男の苦痛を滲ませた悲鳴が聞こえてきたのだ。


「橋本と一緒に鬼娘ちゃんのアニメを見ていたんだ。悲鳴はドロップキックを食らった桃次郎の声だな」

「橋本さん、アニメに理解を示してくれるようになったのね」


 キャラクターに嫉妬してフィギュアを壊した橋本が、アニメ鑑賞するようになったのだ。彼女もまた大きく変わったのだと実感する。


「……反省したの。アニメはアニメ。現実とは違うって」

「橋本さん……」

「それにアッキーは私一筋だって知っているの……だからこそ好きな人の好きなモノを愛してみようと思うの……」

「私もその気持ちを理解できるわ」


 西住と出会うまでの美冬も、あやかしに対して好意は抱いていなかった。しかし現在の彼女は違う。あやかしのことを好意的に見ることができる。心境の変化は西住がいたからこそ起こりえたものだ。


「夏彦が見つかったら、また連絡するぜ。それじゃあな」


 秋葉との通話が切れる。出会った人たちが救いの手を差し伸べてくれることが何だか嬉しかった。


「さて、僕たちも捜索を続けようか」

「うん」


 二人は肩を並べて夜道を歩く。同じ道を歩いているにも関わらず、隣に西住がいるだけで恐怖や寂寥を感じなくなっていた。

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