第31話 願いを叶えてあげましょう-ミア-

それからジョシィはルートンにいる間、私を北の間に呼び休ませてくれた。

歌の褒美は支援金という形に名前を変え、"体を大事にするように"と言ってくれた。


それでも私は歌う娼婦として働いていた。だって、たまに来るジョシィの支援金で旅の一座全員を養える訳でも無い。

一座に属する私の収入は一座に吸収される。稼ぎの低い引退した年長の者や幼い子どもを養うために、稼げる者がその分働くのだ。そうやってみんな育ててもらった。それが私のコミュニティで、家族だった。私は一座のために稼ぎ、生きるのだ。生かせてもらったように。


"歌う娼婦の私"は変わらないけれど、ジョシィが見つけてくれた"ミア"はジョシィのものだった。



ジョシィがルートンにやって来て、なんでもない話しを聞くのが楽しかった。

ほとんど王都にいる婚約者の話しだけど、まぁそれでも楽しかった。


侍らずとも認めてくれる。

自分を偽らなくても怒られない。

求められていなくても、ただ存在を許された。


涙が出るほど嬉しかった。

一人の人間として接してもらえる時間が、私の癒しだった。




そして季節は冬から春になる頃だった。


「王都に戻ったらやっと式を挙げる。これで一安心だ」


そう言ったジョシィは、今までで一番気が抜けた様子だった。


「安心、なんですか?」


「ひとまずね。やっと、クリスティーナが手に入る」


──クリスティーナ。

心の中で何度も何度も嫉妬の炎で焼いた女の名前を、やっと知った。


私の心の内で愛しい女を燃やされているとも知らず、ジョシィはワインをゆらゆらと傾けご機嫌な様子だった。いつもよりワインの量が多いと思ったら。理由はこれか。


「──本当に俺で、クリスティーナはよかったのだろうか」


ご機嫌だったジョシィの口から、消えそうな小さな声が零れた。


「……何か悩み事ですか?」


「あぁ。いや、まあ。……そうだな。悩み事、かな」


歯切れ悪く言い淀むジョシィのグラスへワインデカンタを傾けた。


「どうせここには私とあなた様しかおりません。しかも私はこの部屋から一歩出ると記憶を失ってしまうのです。お話ししても大丈夫ですよ」


君はうまいな、と苦笑いの後にゆっくりと口を開いた。


「クリスティーナは──俺の婚約者なんだが、他に好いた男がいたんだ。事情が重なって、好いた男と結ばれる道もあったのに、俺が娶ることになった」


言葉を切ってワインを飲み込む音が聞こえた。


「それで、クリスティーナは……好いた男では無くて……俺で……その……」


「幸せにする自信が無い、と?」


「いや、ある! 俺は相手がクリスティーナで嬉しいし、幸せだ! しかし、肝心のクリスティーナがどう思っているかなんてわからないだろう。嫌われないようにするので忙しい」


酒が回っているのかジョシィは赤い頬を更に染め拗ねたような顔をしつつも、その婚約者のことを思い出しているのだろう。とても幸福そうな顔をしていた。


その女が私だったらいいのに。

私だったら……私の全部でジョシィを幸せにするのに。


でも、私は所詮、定住しない歌う娼婦だ。

ジョシィとは交わることのない世界で生きている。


ジョシィの世界では私は息ができないし、私の世界ではジョシィは息ができない。


黒いものが腹の中でうねり、暴れ、膨れ、叫びたくなるほどの怒りが体を駆け巡る。


それを押し留め、「そうですか」と相槌を打った。



式を挙げに王都へ戻るジョシィを見送った後。

ベールを取り、部屋で身も世も無く大泣きする私を慰めてくれたのは旅の一座のお姉さま達だった。


「あぁ可哀想なミア。貴族様を好きになってしまったのね」

「貴族はだめよ。どうせ私たちのことは道具か家畜にしか思っていないんだから」

「そうよ。用が済んだらポイ。旬が過ぎたらポイ、なんだから」

「まぁ、今の美味しい時に美味しい思いをしておくのは大事よね」

「売れる時に売る! それが商売の基本よね」


私の家族──この旅の一座「オリンポス」の通称マーメイドと呼ばれる姉さま達は、一番年下の私を殊更可愛がってくれている。


「失恋した時は新しい恋が一番の薬よ! そうだ、みんなでクピド様の所に行くのはどう?」

「あぁ。あの最近噂になっている行商人ね。なにアナタ、信じてるの?」

「だって、運命の人がわかるって言ってたもの!」

「他人に見つけられちゃったらつまらないじゃない」

「また姉さまは。姉さまはいっつも目の前の人が"運命の人"なんでしょ」


いつの間にか泣いている私のことはそっちのけで、恋や運命などと盛り上がっている。


私の運命の人はジョシィじゃなかった……

私はジョシィが欲しかったのに……


この溢れる涙が止まるなら、クピド様でも悪魔でも魔物でも何かに縋ってしまいたかった。



そして、いつまでも泣いて仕事にならないからと無理やり連れていかれたのが、お姉さま達が話していた噂のクピド様のところだった。


花街の出入り口辺りの細い道を少し入った、奥まったところにそこはあった。なんとも普通な家で、存在を知らなかったら通り過ぎてしまうぐらい普通な家だった。


しかし、その普通の家の中に一歩入ると空気は一変した。

お姉さま達は気付かないのか。

この変な空間に。


家の奥側に座るクピドと名乗る男は、目元を仮面で隠した陽気な男だった。口元は常に微笑んでいて、一見すると顔を隠しているのに話しやすい雰囲気すらあった。


でも私は仮面から垣間見える瞳が、不思議と光っているように見えて怖かった。心の奥底を、覗かれ暴かれ沈められてしまいそうで。



クピド様とやらは一般人に向けて「美女になるお茶」だの「運命の相手がわかる菓子」だの、はては「惚れ薬」なんてのも売っているという。

しかし、娼婦や花街の住人には媚薬から避妊薬、堕胎薬、面倒な客を眠らせる薬など……そういった商品も売っているらしい。


お姉さまたちは一番目立つところに並べてあった「美女になるお茶」を選ぶのに集中しているようだった。私はそんなお姉さま達の後ろで、あほらしいと冷めた目をして立っていた。本当にそんなものが存在するのならば、こんなところでそんな値段では売らないだろう。普段のお姉さま達が言っていたことだ。「素敵なお金持ちが娼館で永久の愛を囁いても本気にしてはいけない。本当に素敵な人はこのような娼館で身元が不確かな娼婦に会わないし、寝台の中で永遠の愛など誓わない」というのがお姉さま達の口癖だ。


そして、いつの間にか近くにいたクピド様に言われたのだ。

私にしか聞こえないような小さな声で。


「私にはわかりますよ。あなたが本当に欲しいもの」


私はどんな顔をしていただろうか。

振り向くと、クピド様の仮面の中にある瞳が金色に光って見えた。


「あなたの願いを叶えてあげましょう」


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