第29話 淡い恋心
前半 クリストフ視点
後半 ミア視点
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俺はこのアドラー公爵家の次男として産まれた。家には既に跡継ぎとして兄のジョエルがすでに産まれていたし、両親は次の子どもは娘を希望していたらしい。しかし、産まれてみればまた男だった訳だ。政略結婚で当時からそれぞれに他に相手がいたのか詳しいことは知らないが──必要最低限で済ませたかった思惑があったのか──それはもう両親を落胆させたらしい。まあ男だったとしても、もしもの控えはあった方が良いと判断されたのか冷遇等はされ無かったと思う。
物心つく頃になれば、兄上は跡継ぎとして両親からの期待を一身に受けていることが理解できていた。次男の俺も兄上にもし何かあった時のスペアとして、同じ教育を受けさせてもらった。父から兄上と同じだけの期待は受けられなかったが、兄上よりも自由にさせてもらっていると──自分を納得させていた。
俺は結局、何か起きた時のための控えであり、”何か”が無ければ出番は無い。
兄上と同じ教育を受け、兄上の代わりが務まるように備えた。だからというのか、俺の目の前には必ず兄上がいた。何をしても、どこを見ても、先には兄上がいた。家庭教師の口癖も「ジョエル様が同じ年の頃には」と兄上が基準で目標で終わりがない。出口がない。どこまで行っても俺は兄上のスペアでしかない。
俺の人生がそれだけで構築されていたら、さぞ暗い人生になっていただろう。
しかし、俺には光があった。
十の歳の頃に知り合った、クリスティーナという名の可愛い八歳の女の子だった。
ふわふわの赤毛は柔らかく肩を包んでいて、同じ色の睫毛に縁どられた緑の目がつやつやと煌いて、肌は抜けるように白くうっすら発光しているように見えた。
──とても綺麗な存在だった。
まさに深窓のお嬢様といった雰囲気だったが、テーブルの下に潜り込んで来たり、よそ行きのドレスを持ち上げて一生懸命猫を追いかけるたり……まだ思い出は尽きない。
皇太子のマクシミリアンにからかわれて顔を真っ赤にして必死に言い返す様子だったり、先を走る俺たちに着いてきて転んでしまってポロポロと涙を流しながらも強がる様子だったり……
こうした幼い思い出の日々は輝き、温かいものだった。
俺はいつの間にか、ティーナに淡い恋心を抱いていた。
しかし、ティーナはマクシミリアン殿下──王太子殿下の婚約者候補筆頭だった。
ティーナはとても努力家で、まだ婚約者候補となっている段階なのに増えていく教育量にも真摯に向き合っていた。そんな彼女の魅力にマクシミリアン殿下も気付いていて、俺の目から見ても彼女には特別気を許していたと思う。
そんな二人の傍にいても。複雑に絡まる思惑と事情があっても。それでも俺の中にある淡い気持ちは、俺の手を離れて色と温度を増していく。
その日は王宮でマクシミリアン殿下と合同で剣術の訓練中、講師に兄と比べられ当てこすられたことで全てが上手くいかないと心が挫けていた時だった。丁度王宮へと来ていたティーナがしつこく訳を聞くもんだから、少し八つ当たり気味に全てを話すことになってしまった。
ティーナの前ではカッコいいと思われたかったのに。情けない部分まで話すことになり、もうやけっぱちだった。
兄上を尊敬する気持ちと、どうしても追いつけない、追い越せない焦燥。結局、自分はスペアであり、何も無かった時には今の努力や焦りはどこに行くのだろうという迷い。誰も俺自身の能力や気持ちを見てくれていないという孤独。胸の内にあったものを話し始めたら止まらなかった。年下の少女に言ってもしょうがないのに。
胸の中で重量を増していた黒いものを吐き出し終わった時、やっとティーナの様子を気にする余裕ができた。
チラリとティーナを見ると、彼女のエメラルドのように綺麗な瞳からポロポロと涙が次から次へと溢れてくる。本当に溶けてしまうのではないかという勢いで流れ落ちる涙から目が離せなかった。
こんな時にも、ティーナの泣き顔はとても俺の心を騒がせた。
『ティーナ。そんなに泣くなよ』
一瞬、俺が触れていいのだろうかと戸惑った。しかし、持ち上げた手は止まらなかった。ティーナの頬に伝う涙を親指で拭ってみても、すぐにまた次が流れ落ちてくる。
『泣いてないわ。怒っているの。』
彼女の絞り出すような声が、また俺の心をざわりと動かす。
怒っているというティーナは眉をハの字に下げて、口をほんの少しだけ尖らせている。
『俺のために怒ったり、泣いてくれるティーナがいてくれて嬉しいよ』
『泣いてないったら!』
本当に。本当に、心の底から嬉しかった。
俺のために流れる涙。俺の気持ちを聞いてくれ、一緒に怒ってくれるティーナ。
俺だけのために。
『じゃあ、これは俺の代わりの涙だな』
『……そうね。泣けないクリフの代わりに泣いてあげているんだからっ』
俯いたティーナを引き寄せ、強く抱き込みながら顔を隠した。
好きな子の前では情けない顔なんて出来なかった。
『ははは! そうだな。──ありがとうティーナ』
手から零れ落ち坂道を転がるように俺の淡い恋心はいつの間にか確かなものとなり、ティーナを愛する自分に気付くまで時間はあまりかからなかった。
ティーナが幸せそうに笑っていると、それだけで俺も幸せを感じた。
俺の幸せはティーナが連れて来た。
ティーナが俺の幸せだった。
ティーナさえ、幸せでいてくれたら。
*
騎士様は何かを反芻するように顔を伏せ、自分の剣の柄にはめ込まれた装飾の緑色の石を指で愛おしそうに撫でた。その緑色の石を見て、じわりと不愉快な気分になる。
その色を見ていると苛々するわ。あの女の瞳の色じゃない。
ついうんざりとした表情になってしまいそうになるのを堪え、出来るだけ庇護欲を誘うような”不安顔”を作る。
「──クリスティーナ様が欲しい……というのは一体」
「ミア嬢は、兄上……ジョエルとどうなりたいんだ」
騎士様はこちらを見ずに、軽く息をつくと剣を戻し長椅子に腰かけた。
お貴族様はこれだから、と溜息をついてしまいそうになった。お貴族様という人種はいつも遠回りで勿体ぶって、こちらから話をさせて足元を見ている。全くいけ好かない。
「私はジョシィのことを愛しているだけで……」
私はいつものようにシナを作り、か弱く見えるように声を震わせた。男が好きな女というのはどういうものか、私は知っている。何を求めているのか、どんな女に触れたいか、どんな女に許されたいか。
この男はあの女のように無垢で世の中の泥の存在にも気付かないような”綺麗”な女が好きなのだろう。
何か不都合なことが起きれば泣き、悲しみ、救いを待つような。救われる思ってその場から自分で動けないような女。いや、救う者がいるとわかりきっているから動かないのか。
ほんとに嫌な女。
しかし、騎士様は表情を変えず前を向いたままだった。
「もうそういうのはナシにしよう。夜は短いんだ。それに、あなたの”魔法”もね」
”魔法”という言葉に、つい体が跳ねてしまった。
「……何の事だか」
「見ていればわかるさ。兄上に何か飲ませているだろう。ハーブティーが怪しいな。それに”歌”か」
騎士様には咎めるような、糾弾するような雰囲気もない。
「俺はあなたを止めに来たり、捕まえに来たんじゃない。願いを叶えに来た」
ジョシィとよく似た顔で、酷く冷たく笑う騎士様に自分と同じモノを感じた。
自分の気持ちをわかってくれるような気がした。そう。私の魔法使い様のように。
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