第18話 元通り

「……それで、クリフ。この度の一連、お前はどう思う」


普段は開放的で自然光が差し込む応接室も今だけは窓を閉め切り、厚いカーテンが室内の光を一筋も漏らさないように下されている。室内には私とクリフと…皇太子であるマクシミリアン殿下のみとなった。

扉の外、窓の外には殿下の護衛騎士が眼光鋭く立っているだろう。今だけはミア嬢に入られてしまっては困るのだ。





報告のため王宮へと戻ったクリフは、約束通り夜半に邸に戻った。客人を伴って。


「久しぶり」


明らかにただ者でない体つきの男たちの間から、前に進み出てきた客人がいた。

地味な外套を少しだけずらしたことで、中からプラチナブロンドの髪が見て取れた。次いで精悍な顔つきの美丈夫がこちらを覗き、目が合うと表情を緩ませた。


我が皇国の現皇太子殿下がいらしたことに気付き、簡素なドレスを捌きながら膝を折る。


「我が皇国の若き太陽マクシミリアン殿下におかれましては……」

「いいって、普段通りお願い。マックスでよろしく。ティーナ」

「ええ。……いらっしゃい、マックス。久しぶりね」


伏せていた顔を上げ、ゆるりと笑みを交わす。


マクシミリアン殿下はお忍びの際、愛称である”マックス”という名を使う。

幼馴染である私たちも、公式の場で無いときは彼のことをマックスと愛称で呼んでいた。


マックスとは教会で執り行われた、私と旦那様の人前式で顔を合わせたのが最後で

最後に愛称で呼び合ったのは去年、婚約が決まるまでだった。


また愛称で呼び合うことが出来て──許されて

少し心が温かくなった。


普段のお忍びでは外套も服装も地味で目立たないものにするのに、今日は執務が終わってからそのまま来たのだろう。外套の中は執務服のままだった。


人払いを済ませた応接室に腰を下ろすと、クリフとマックスはワインで。私は温かいハーブティーで喉を潤した。


マックスは去年、私と同じ時期に隣国の姫と婚約を交わした。

公示では来年の春に婚姻する運びとなっている。


婚約者である隣国の姫との最近のやり取りや、プレゼントの話しなどをしてマックスの相変わらずな話しを聞けて安心した。


さて、と話が一段落すると空気がガラリと変わった。


「クリフから今回のあらましは聞いたよ。

 派手な怪我は無かったが一か月姿を見せず、やっと見つかったと思ったら偶然にも現地で贔屓にしていた歌姫に助けられ、愛妾として伴い帰宅。そして、妻より先に愛妾に子が出来た……なるほど。ひどい話だな。芝居だったら中座してるぞ」


マックスが頬杖をしながら、うんざりとした顔で投げかけた。


「芝居だったらどんなによかったか」


思わず乾いた笑いが出てしまった。

芝居だったのなら、これが夢ならば。


私の旦那様はあの日、予定通りに戻っただろう。

馬車から降りてきた旦那様の蒼い瞳には私が映り、腕の中へと飛び込んだ私を『クリスティーナ。ただいま』と抱きしめてくださったことだろう。

そして、ルートンでの出来事を話して聞かせてくださり……それで


他の女性と床を共にしていたのは……まだ、どう気持ちを処理してよいのやら考えあぐねている。


『許してくれ』と懇願されたら許すのだろうか

そもそも今、私は許す側なのだろうか

私以外に触れないで! と、求めるのはわがままなことだろうか

心を通わせた夫婦とは、お互いをどこまで求めてよいのだろう。


ぐるぐると思考の渦に呑まれていた私をじっと見ていたマックスに気づき、視線を返す。

マックスはすっかり皇太子の顔を脱ぎ、普通の青年のような表情になっている。

その親しい者にしか見せない顔でニヤリと口端で笑うとからかうように言った。


「では、この芝居のラストは何がいいと思う?

 怪しく邪魔な愛妾は子どもごと目の届かないところに捨てるか……

 旦那は愛妾と別宅で暮らし、公爵家の実権は妻が握り各々の恋人と仲睦まじく暮らすか…


 はたまた──まぁ苦しいが離縁して歌姫が公爵家の女主人となるか……

 はは、これは市井に受けそうなラストだな」


「マックス!」


今まで口を閉ざしてワインを飲んでいたクリフが声を荒げた。


「すまない、冗談だ。まぁ、現実では愛妾を別宅で囲って元通りだろうな。つまらん」


マックスは本当につまらなそうな顔でワイングラスを傾けた。

グラスの中で長い年月をかけ味を変化させた深い葡萄色の液体が形を変え揺れる。


「……本当に元通りになるかしら」


ポツリと口の中から思考の一部が零れた。


「うん?」


口に出すつもりはなかったが、随分と気が抜けていたようだ。

漏れてしまった言葉をどうやら幼馴染は聞き逃してはくれないようで、先を促されてしまった。


「現実の──私の旦那様は変わってしまったわ。いえ、私は本当の旦那様を知らなかっただけなのかも。ルートンでそんなことが起きていたなんて知らなかったわ。このことが起きなかったら、私は一生、彼女の存在──旦那様の気持ちに気づかなかったわ。今後の方針が決まって元の生活に戻った時、本当の旦那様は私を受け入れてくれるかしら……」


そして、知ってしまった私は受け入れられるだろうか


「受け入れるさ。でなければこの婚姻の意義が問われる」


マックスの持つワイングラスに映る私は、歪んで揺らめいていた。


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