第19話 二人きり
「三文芝居の筋書きは置いておいて、今回の件はそうだな」
マックスはワイングラスをテーブルに置くと、腕を組んでソファーの背もたれに体を投げ出した。
「歌姫に身ごもったまま行方をくらまされたら面倒が増えるし……かといって本邸をウロチョロされるのも、また面倒……そして、どうにも怪しい行動……。本件の落としどころは歌姫は別宅で産み月まで保護──という名の監視か。ジョエルの愛妾には笑えるほど不審な点が多い。諸々わかるまで泳がしておきたい。
ジョエル自身は本邸で静養しつつ記憶が戻るようアプローチと同時に、今回の面倒事の責任をもって餌として働いてもらうか……。
子どもの処遇については今後次第だな。はー、何から何まで面倒だ」
ずるりと更に深くソファーにもたれるマックスは、だいぶ酔いがまわってきているようだ。顔色は変わっていないが、晒された首筋が赤くなっている。
対比して、同じ量を同じペースで飲んでいたクリフは顔色も姿勢も最初から変わっていない。
「そうだな、ミア嬢を本邸に置いたままにするのは止めた方がいい。急ぎ、移す別宅を手配しよう。それまで俺もなるべくここに帰ってくるようにする。それでティーナは大丈夫か?」
「ええ、私は大丈夫よ」
クリフの視線を受け、大きく一つ頷いた。
「ティーナはすぐ大丈夫っていうからな~。最初に助けて! って言えば面倒が減るのに」
それを横目で見ていたのかマックスが、また面倒だとでも言うように肩をすくませ茶化した。
マックスはいつも面倒事を嫌がるが、決して起きてしまった面倒事に知らん顔をしたりしない。私の幼馴染は昔から二人とも優しいのだ。でも、やっぱり面倒な事は面倒だとぼやくのは昔から変わらない。
「面倒ってなによ」
忙しいだろうに王宮から執務服のままかけつけてくれた優しく面倒見の良い幼馴染へ、昔からのお約束のやり取りだというように軽く言い返すとニヤリといつもの笑みが返ってきた。
「ティーナ、面倒かは置いておいて何かあったら早く言ってほしい。いつでもいいから。マックスも素直じゃないな……」
「お、この三文芝居の要である、悲劇の公爵夫人の恋人は義弟か? もはや愛憎劇というよりミステリーだな! 真の黒幕は義弟で兄を退け長年の想い人を……」
「マックス。酔いすぎだ」
「ハハハ! 怒るなって。確かに久々にティーナに会ったら気が抜けて飲みすぎてしまったかな。……油断して魔に魅せられたら大変だ。ここでお暇するよ──ティーナも気を付けて。他人の言うことをすぐ信じてしまうんだから」
幼馴染たちとの語らいの時間はあっという間に終わり、マックスは護衛と共に王宮へ戻って行った。
*
「遅くなってしまったな。もう寝よう」
クリフと並び、暗い廊下を静かに歩く。
久しぶりに楽しい時間を過ごし、心が少し軽くなったのかワインを飲んでいないのに足取りがふわふわとしてしまう。
「ええ、クリフも早く眠って。もう明日になってしまうわ」
「あぁ。”長年の想い人”である”義姉上”を部屋まで送って行ったらな」
「やだもう」
ふふふ、と声を潜め静かに笑いあった。
静寂に包まれた邸。
クリフと私の存在だけが動いている。
本当に二人きりになってしまったかのような錯覚を覚えた。
*
自室の寝室に戻りベッドの上に腰をかけると、どっと疲れが襲ってきた。
ふー、と長く重い息を吐くと視線の先にドアを捉えた。
寝室の横にある、そのドアは旦那様の寝室へと繋がっている。
眠る前に旦那様の様子を見ておこうと、音を立てないようにそっと扉を開け身を滑り込ませた。
旦那様の消息がわからなかったとき。少しでも旦那様の気配を感じたくて、この部屋でしばらく寝起きさせてもらっていた。その部屋が今は旦那様の寝息だけが聞こえる空間になっていた。
昨日までは私しかこの部屋にいなかった。本来の主を取り戻した寝室は旦那様の香りに包まれていた。
いつもの旦那様の香りに、今日のことは悪い夢だったのではと錯覚する。
枕元に近づき顔をのぞき込むと、旦那様は眉間に皺を寄せ難しい顔で眠っていた。
「旦那様……」
深い皺が刻まれた額に手を近づけると、差し出した手を素早い動きで捕まれた。
驚き思わず手を引きそうになったが、それを許されないほどの力で握りこまれた。
「……ナ」
「はい」
「……クリスティーナ」
「はい」
「いるのか」
「はい」
「会いたかった……」
掠れた、ごくごく小さな声だった。
旦那様は目を開けない。
私が見ているのは夢か
「──旦那様」
「会いたかった……土産があるんだ……」
「旦那様……私も……旦那様に」
「早く帰らないと……寂しがらせてしまう……」
「旦那様」
「……」
「旦那様」
「……」
起きてください。
帰ってきてください。
私の旦那様
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