第27話 君は私の妻なのだろう
日差しが日ごと強くなっていくも、朝に限っては幾分か過ごしやすい。爽やかな風がそよそよと髪を揺らした。暫くいつものように少し開けたところで佇んでいると、期待していた通りの頃合で後ろから芝生を踏む音が聞こえた。
「──おはようございます、旦那様」
「毎朝、毎朝……君は早起きだな」
思った通りの人物が私の隣に立ったことを確認して、やっとそちらの方を見る。
「ええ。朝の庭が好きなので」
「……そうか」
あの日から、私が朝の散歩を始めると少し遅れて旦那様も庭に降りてくるようになった。
朝の短い時間だけれど、二人で歩く朝の庭の空気はとても澄んでいた。
お互い体が触れない程度の距離で、ゆっくりとゆっくりと歩いた。
とくに何を話す訳でも無かったが、ただ、ゆっくりと歩いた。
そんな静かな時間に、珍しく旦那様の声が耳に届いた。
「君は……あまり喋らないのか」
「はい?」
脈絡のない言葉に思わず、隣を見上げる。いつからこちらを見ていたのか、蒼い瞳と視線がぶつかったがすぐ逸らされてしまった。まだ私の瞳は落ち着かないのだろうか。
「クリフの前ではよく話すだろう」
また、クリフの話題だった。何度目かになる話題に小さくため息が出る。
私を忘れてしまった旦那様との共通の話題といえば、旦那様の弟であり、私の幼馴染のクリフしかないのだからしょうがないことなのかもしれないと、今日も自分を納得させた。
クリフの前では……とは、私とクリフが話すところを見ていたのだろうか。
思い当たるのは、昨日クリフが様子を見に日中に一度戻ってきてくれた時だ。
クリフは私が落ち込んでいると誰よりも早く気付いてくれる。昔からクリフには助けられてばかりだ。
その時のことをおっしゃっているのだろうか。見ていたのならば、出てきてくださればよかったのに。
「クリフとは……幼いころから親しいので」
「私とは親しくないのか」
つい言葉に詰まってしまった。
「──どうでしょうか。旦那様と初めてお話ししたのは婚約を結んだ頃……一年ほど前ですわ」
その頃を思い出し、左手でそっと旦那様から頂いた金の鎖を撫でた。その仕草を見ていた旦那様が唸るような声を出した。
「君は……いつもそのブレスレットをしているが大事なものなのか」
普段よりも低い声にピクッと体が跳ねてしまった。
旦那様の顔をまじまじと見ると、とぼけている風でもなく本当にただ聞いただけのようだった。
「──ええ。大事なものですわ」
そうか……と、またお互い視線を前に戻しゆっくりと歩く。
なのに、まだ旦那様はチラチラとこちらに話しかけたそうに見てくる。
それに気付かないふりをして、ただゆっくりと歩いた。
「──クリフとは……」
「旦那様は先ほどからクリフのことばかり気になさいますね。クリフとお話しになりたいのなら、戻られた時にお呼びしますわ」
つい、可愛くないことを言ってしまったと気づいているのに。それなのに、なんだかチリチリした心が止まらない。
「いや、そうじゃない。君がクリフとばかり居るからだろう」
「旦那様はミア様とばかりいらっしゃるではありませんか!」
クリフ、クリフ、クリフ。もう、うんざりするほどクリフのことを気になさっていらっしゃるのね!
旦那様も私とクリフの関係を疑っているのかしら。
苛立ちが私の中でうねり、つい旦那様とミア嬢の関係に対して、ついに爆発して言葉が出てしまった。
爆発から次の瞬間には、どんどん顔が赤く染まっていくように頬が熱くなった。こんなに声を荒げたのも感情のまま話すのも子どもの頃ぶりで、恥ずかしいやら後悔やら自分の中にこんなにも強い感情があった事に驚く気持ちが心を支配していく。
感情をぶつけられた旦那様は、目を丸くすると一転気まず気な表情になった。
「いや、最近は──そうじゃない。君の、そのブレスレットはクリフからもらったものなのだろう。だからそんなに愛しそうに……身に着けるんじゃないのか。──君は私の妻なのだろう」
驚いた。
「旦那様……それはヤキモチに聞こえますわ」
「そうじゃない。それに、ヤキモチは君もだろう」
旦那様は顔をしかめて横を向いてしまった。その様子がなんだが可愛らしくて、胸がくすぐったくなった。この方は、こんな表情もするのね……
ぎゅっと縮こまっていた肩から力が抜けていく。右手を旦那様の前に差し出し、手首のブレスレットをゆっくりと撫でる。
「このブレスレットは、旦那様から頂いたものですわ」
「俺が」
「はい。詳しい話は……旦那様に思い出してほしいので今は内緒です」
ふふ、と思わず笑ってしまうと旦那様は困ったような、でもなんだか照れているようなお顔になった。
今日は旦那様の色んなお顔が見れました。
「──それに私はクリフと居るより、執務室に籠っている時間の方が長いですわ」
先ほどはつい旦那様とミア嬢の関係に対して、当てこする様な嫌味な言い方をしてしまった。
実際、間違ったことは言っていないつもりだ。
当主代理として仕事をしていたらクリフとなんて……まして、愛妾と遊んでいる時間なんて私には無いもの
「……そうだな。俺も調子が戻って来たし、働かなければね」
「あ、いえ。失礼いたしました。まだ休まれていて大丈夫です。ステファンもいますし……」
「いや、本当に最近は調子が良いんだ。……早起きのおかげかな」
そう言った旦那様の表情は、以前よりも年相応の笑顔だった。
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