第26話 魅入られる
「──夫婦になる、とは」
少し思案するように視線を横に流したが、今度は体ごとこちらに向き直った。
話を聞いてくださるのだ、とほっと安心した自分に気づいた。
「そのままの意味です。私と旦那様はすでに書類上の夫婦ですが、今のこの状況は他人です。……もう一度、お互いのことを知って……また、夫婦になれたらと思いましたの」
心の通った夫婦になれるかはわからないけれど。
私の心の声が聞こえてしまったのか、旦那様は暗い面持ちで傷ついたように笑いを一つこぼした。
「お互いのことを知って……か。君は知っているのだろう。俺を」
私は旦那様のことを知っていると思っていた……けれど。
私の中の旦那様のイメージは最初からクリフから聞いていた、クリフの中にある”兄”の印象だったように思う。
婚約を結び、お互いのことを話す中で一度も旦那様の言葉を疑ったことは無かった。それは世間知らずだったからと言われればそれまでだけれど……。
私は本当に旦那様を知っていたのだろうか。本当の旦那様を。
本当は、本当の旦那様は。心から愛する人にはどんな表情で、どんな言葉を伝えるのだろうか。
「旦那様と夫婦となり同じ邸に住んでいたのは一月と少し……ほどですわ。まだ、お互いの本心を打ち明けるほどでは無かったのかもしれません。私はミア様の存在を知らなかったですもの」
あぁ、またチクリとした言葉が出てしまった。
そんなことを今の旦那様に言ってもしょうがないのに。
「ミアは……」
旦那様は気まずげな面持ちで、口を開いた。
その次の言葉はなんだろうか。ミア嬢の存在を知らなかった私に何か詫びるのだろうか、言い訳を始めるのだろうか、ミア嬢の存在が旦那様にとってどんな存在かと聞かせるつもりだろうか。
「ミア様は近いうちに別宅へと移っていただきます」
どんな言葉が続くのか待っていられなくて、遮るように言葉を重ねてしまった。
私たちの住む本邸には住まわせることが出来ないと、旦那様が不在の場で決めてしまったことにも罪悪感があった。自分の中に渦巻く黒い気持ちを見られたくなくて、旦那様へ背を向ける。
「別宅に……」
「王都の中にある、住み良いお住まいだと思いますわ。──旦那様もお元気になれば、通いやすいのでは」
邸に一人残りミア嬢の元へと出かける旦那様を想像して、また心の中が暴れてしまう。
旦那様に夫婦になりませんか? と声をかけ呼び止めたのに。お互いのことを知って、なんて自ら言ったのに。今の自分は見られたくないと背を向けて。
「ミアは……俺を助けてくれたんだ」
「はい。感謝を込めて、最大限の配慮をさせていただきますわ」
旦那様と私の間に初夏の風が、優しく吹いた。
*
「はあああ?」
「アビー。声が大きいわ」
あの後、旦那様を迎えに来た騎士が姿を現したことにより朝の一幕は幕を閉じた。
騎士に伴われ旦那様が邸へと戻っていくと、離れて待機していたステファンとアビーに何事だったのか詰め寄られたのだった。話を誤魔化そうにも上手くいかず、最終的に全てを話すことになってしまった。
「いい雰囲気だと思っていたのに、なぜそのような話に……」
「大事なお話よ」
「愛妾を可愛がるのもいいけど、私たちは政略結婚なのだから仲良くやりましょうって話をしてると思わなかったんですよ」
「そんな内容じゃ……」
アビーは頭を抱えて嘆いたかと思ったら、眉をぎゅっと寄せて不満気に語気を荒げたり忙しい。
「アビー、いいじゃないですか。夫婦のことは夫婦にしかわかりません」
ステファンはいつものように平時の顔のまま、アビーを諫めた。それがおもしろくなかったのか、アビーは普段は穏やかな目を鋭くしてステファンを睨んだ。
「あなた”理解してます”って顔してるけど、この中で一番ジョエル様のことを良く思ってないのはステファンでしょう」
「人聞きの悪い。ジョエル様にはしっかりして頂きたいと思っているに決まっている」
「ほら!」
ステファンとアビーが口調を崩してポンポンと言い合う姿を見ていると、肩の力が抜けた。
二人は実家の侯爵家で見習いだった頃からの付き合いらしく、とても仲が良い。仲が良いと指摘すると嫌がられてしまうけれど。
私と旦那様もステファンとアビーのように、もっと一緒にいる時間があれば……この二人のようにお互いの本心を打ち明けられるような、心の距離が近い関係になれるかしら。
そろそろ食堂へ向かおうと邸に続く道へ足を向ければ、南側の客間がある辺りの窓が開いているのを見かけた。
「そういえば、またあの歌が聞こえて来ましたね」
斜め後ろに立っていたアビーも私の視線を追っていたのか、同じ窓を見ていた。
「ええ。……少し気になることがあるのだけれど、あの歌が聞こえると旦那様のご様子が少しおかしくなるの」
窓から視線を戻し、二人に旦那様の様子が変わった状況と様子を説明した。あの、何も映っていないかのような昏い瞳は何が起きているのだろうか。
「奥様の話を聞いて思い出したのですが、先日ミア様に最初に付いたメイドも同じ様子でして。たまに、そのボーッとする時があって……そういえば、歌が聞こえて来た時だったなと……」
アビーの戸惑った声が耳をザラリと撫でた。
言いようのない不安に、とたんに心細くなる。
「でも、私たちはそんな風になっていないわ」
強張るアビーの表情につられ、励ますようにアビーの手を握った。
「……歌に魅入られる人間と、そうでない人間がいるということですね」
ステファンの静かな声が不安を広げた。
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