第28話 可哀想な人たち
前半 クリスティーナ視点
後半 ミア視点
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あの朝から、有言実行とばかりに旦那様は執務室にいらっしゃるようになった。そればかりか、食事の時間になると食堂室に現れるようにもなった。ミア嬢は今まで通り客室で食事を取っているらしい。
一人でとる食事の味気無さを知っているからこそ、今のミア嬢の気持ちを想像するとなんだだか素直に喜べない。
今の旦那様──妻である私との距離を埋めようと心を砕いてくださっている旦那様──は、私のことを思い出した訳ではない。きっと今もミア嬢のことを恋人だと思ったままだろう。その自分の子どもを身ごもった恋人を一人にしていいのだろうか、少し冷たいんじゃないか、と……己の立場から見ると複雑な気持ちだが、どうしても旦那様の変化を素直に喜べなくて──正直、戸惑っている。
そんな気持ちが私の中に渦巻いていても、仕事の手は止まらない。
執務室の特等席は旦那様に譲り、私はステファンが使用していた補助的な執務机を使うようになった。
その少し離れた机から先週まで私が使っていた執務机の方を盗み見たが、今日も旦那様は精力的に仕事を捌いている。以前はステファンを通してでしか執務中の旦那様と関わらなかったため、お仕事中の旦那様を見るのは新鮮だ。
このまま引き継ぎが終われば、私も本来の女主人としての仕事に戻れそうだ。領地経営などの執務に公に関われて少し楽しかったこともあり、寂しい気持ちもあったが私には私の仕事がある。そう自分を納得させ、視線を手元の書類に戻すと旦那様から差し戻された書類があった。
「旦那様、この書類は……」
「うん? 問題でもあるかな?」
「はい……」
当主代理として捌いていた時ならいざ知らず、今は旦那様がいらっしゃるのだからと遠慮する気持ちが先に行き、なんとも煮え切らない態度になってしまった。どう伝えれば生意気に見えないか試案していると、その様子を見ていた旦那様が書類をひらひらと揺らしながらニヤリと意地悪く笑った。初めて見る表情だ。
「問題がある時は、自分の意見を添えて改善案まで提案してくれるかな。……あぁ、君には少し難しかったか」
旦那様の挑発的な視線と言葉に先ほどまで生意気に見られないようにと考えていたことなどすっかり忘れて、ついムッとした顔をしてしまった。
「……いいえ。旦那様が不在の間、当主代理として問題無く執務を行っておりましたので問題ございません。ご心配ありがとうございます」
「はは、頼むよ。君の遠慮のない意見を是非聞きたい」
くしゃっと表情を崩し笑った旦那様をムッとした表情のまま軽く睨み踵を返すと、少し離れたところでステファンが面白そうに口を歪めていた。
以前の旦那様は模範的な紳士のような表情が常だったが、今の旦那様はとても色々な表情をするし……意地悪だ。そして私も、旦那様とミア嬢の関係に対し嫉妬心を露わについ怒って言い返してしまった、あの朝から心のブレーキが壊れたようで、表情を取り繕えなくなってきたように感じる。
その様子を近くで見守るステファンから見ると、このやりとりは毎回とてもおもしろいらしい。
「おもしろいことなんて起きていないわ」
「……大変、おもしろいですよ。ジョエル様も毎回意地悪な言い方をしますね」
「ええ。昨日なんて”これぐらいできるよな?”なんておっしゃって……私を馬鹿にしているわ!」
ステファンは目を細め、本当に愉快そうな表情だ。
「見ている分には以前の保護者と庇護者という関係より、今のご様子の方がおもしろいですよ」
「そう?」
言われてみれば確かに、以前の旦那様は私のことを真綿で包むように大事にしてくださった。雨風を遮るように慈しみ、世の中の傷や汚れから隠すように守ろうとしてくださっていた。厳しいことも言わないし、強くあることを求められてもいなかった。
今の旦那様は意地悪だけれど、言い返したり表情を取り繕えなくなってきた私に旦那様は呆れることなく、受け止めたり流したり意見を返したり……
以前よりも遠慮の無くなった距離感に、少しだけ旦那様を近くに感じている自分に気づいた。
*
窓から夜空を見上げてどのぐらいの時間が過ぎたか。
今日もジョシィは来ない。
最近、忙しいみたいで私に会える時間が減っている。
本当に可哀想なジョシィ。
貴族ってだけでやることに追われて、自分のことを後回しにして……
もしかしたら、クリスティーナ様がジョシィを引き留めているのかも。
クリスティーナ様もお可哀想な人。みんな素直になればいいのに。
心のままに。
──トントン
扉を叩く音が、静かな部屋に響いた。
こんな夜更けに誰……?
このノックの音はドア前で私を守ってくださる騎士様のものではないわ。
あぁ、もしかしたらジョシィが来たのかもしれない!
急に力を取り戻した足を急かすように足早にドアへと近づき力を込めて開けると、そこに居たのはクリスティーナ様と良い仲でありそうなクリフと呼ばれていた騎士様だった。
ジョシィよりも濃い金髪は薄暗い室内ではブラウンに見える。
同じく、明るい所で見た時には濃紺だった瞳は黒く、光なく底なしのように見える。
思ってもみなかった人物の訪問に驚き身を引くと、騎士様は鍛えられた体をしなやかに素早く部屋の中に滑り込ませた。素早く鋭い眼で中を見回し、確認が終わってやっと私の方を見た。
「騎士様、このような時間に……どうかしました?」
「ミア嬢に話しがあるんだ」
あぁ。その眼。
わかってしまったわ。
この騎士様も可哀想な人だということが。
「それは……どのような話ですか?」
「ミア嬢ならわかるだろう。俺には叶えたい願いがあってね──それは多分、ミア嬢の願いと少し似ている」
騎士様は精悍な顔つきを、少しだけ曇らせた。
「願い……ですか」
私にはわかる。
この騎士様の願いが。
その眼を見ていれば
「あぁ。俺はティーナが──クリスティーナが欲しいんだ」
騎士様の心の底から絞り出したような”願い”に、つい口端が上がってしまった。
本当に可哀想な人たち。
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