第36話 協力

前半 ミア視点

後半 クリスティーナ視点

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「──それで、そのクピド……魔法使いか? その欲しいもの、とは一体なんだ」


騎士様は私が聞かせた話にも一切表情を変えず、黙ったまま耳を傾けていた。やっと返事をしたと思ったら……せっかちな男ね。女の話は経緯が重要なのよ。


「ふふ、それは内緒よ。まずは私に協力して」


求めた答えが得られず焦れたのか、騎士様は凛々しい眉をしかめ偉そうに続けろと顎をしゃくった。あの女の前ではそんな不遜な態度を微塵も見せなかったくせに。偉そうな男は嫌われるわよ。


「そうね──では、ジョシィの寝室に入れるように協力してほしいの。そうすれば、あなたの欲しい物も手に入るわ」


ジョシィの側にいなければ魔法使い様の欲しいものは手に入らない。そして、私が欲しいものも。


「それは出来ない。隣の部屋にはティーナがいるんだ」


魅力的な誘いだと言うのに、騎士様は一瞬の考えるそぶりも見せず鋭い声で断った。あの女が隣の部屋にいるからなんなのか。むしろ、聞かせて見せてやれば諦めがつくというものではないのか。それを見たあの女はきっと、この騎士様に泣きつくだろう。弱った女ほど落ちやすいものはないと思うのだけれど。


「それに、君は明日……もう今日か。本日早朝のうちに別宅に移動だ」


「な!! なんでよ!!! いやよ! 離れたくない!」


突然告げられた内容に喉から嫌な音が鳴った。そんなの許せない。部屋も分けられ、顔を合わせる時間が減ったことも耐えがたいのに、別宅なんて行ったら……!


「王太子殿下直々の指示だ。家があるだけ好待遇だろう」


「それじゃあ……でも、だって……」


ガタガタと手が震え出した。抑えが効かず震える手で、体を摩っても摩っても不安でどうにかなりそうだ。

もうどれぐらいお茶を飲ませていないだろう。ジョシィに、まだ私の歌は届くだろうか。あの私のジョシィが消えてしまうんじゃないか。あの貴族の顔のまま、そのままになってしまうんじゃないか


それに、クピド様の求めるものを手に入れられなかったら私は


「──では、ジョエルもその家に行けばいい」


はぁ、はぁ、と乱れる呼吸を掻き消すように。騎士様の這うような低い声がジワリと広がった。


「これで、協力になるかな?」


部屋の中は薄暗いのに、騎士様の仄暗い目だけが浮かんで見えた。





やっとミア嬢に移ってもらう別宅の用意と監視に充てる人選が整った。


まだ日が昇りきらない薄暗い朝方、知らされていた通りにクリフと騎士数名が簡素な馬車を邸まで連れて来た。その馬車で、王都の端にある別宅までミア嬢を運ぶのだろう。公爵家の紋が入った馬車を使って運んでしまえば、どのような人物がそこにいるのか知らせるようなものだ。


やっと、ミア嬢の存在を感じる生活が終わる。


気にしないようにしていたつもりだったが、やはりストレスを感じていたようだ。あともう少しなのに、出口が見えたかのような安心感があった。


エントランスにいるクリフに声をかけようか迷っていたら、クリフの方がこちらに気付き声をかけてくれた。


「おはよう、ティーナ」

「おはよう、クリフ。皆様もごきげんよう」


地味な外套に身を包んだ騎士達は折り目正しく礼を取った。その後、クリフの指示通り準備へと戻って行った。

クリフはまだ私に用事があるらしく、背で騎士達から壁をつくると声を落とした。


「ティーナ、今日は顔色が良いね。よかった」


あぁ、心配してくれていたのか。

優しい幼馴染の気遣いに、疲れていた心が少し軽くなった。心配してくれてありがとう、と一つゆるりと笑みを作り見上げると、一拍遅れてクリフがそっと私の頬に触れるか触れないかの距離まで指を近づけた。


クリフのいつもとは違う表情と、胸騒ぎがするような感覚と、久しぶりの距離に驚き、体が跳ねてしまった。


私の反応に呼応するようにピタリと手を止めると、ゆっくりと手を下しクリフは一歩後ろへと下がった。


「──ごめん。兄上の様子はどう?」


何事も無かったかのように微笑むクリフはいつも通りのクリフだった。

見間違いだったのだろうか。


「旦那様はおかわりないわ。それに、最近……」



「おはようございます。騎士様」


エントランスに可憐な声が響いた。その声に誘われるように、視線がそちらの方へと集まっていく。エントランス中央の階段から一歩一歩降りるたびにドレスがゆらゆらとはためき、自然と目が離せなくなる。


「……ティーナ、詳しい話しは後にしよう。部屋に戻っていて」


視線を遮るように前へ立ったクリフは警戒を隠さず、厳しい目をミア嬢に向ける。


「クリフ……よろしくね」


クリフはステファンに目をやると、ステファンは心得ているとばかりにミア嬢とは反対方向へ進むよう促した。足をそちらの方に向けると、なぜかミア嬢が私の前に立ちはだかった。


高位の者の前を塞いではいけないという暗黙のルールをミア嬢は知らないのか、と戸惑っていると彼女はするりと膝を折った。どうやら出立の挨拶をするようだ。


「クリスティーナ様。短い間でしたが、お世話になりました。ジョシィが元気になるまでよろしくお願いしますね」

「──ええ。ミア様もお元気で」


短く返事を返し、ミア嬢が端へ寄るのを待った。しかし、彼女は顔を上げると言葉を続けた。


「ジョシィが元気になれば私と一緒に住むと思いますけど、いくら寂しいからって、引き留めたり我儘を言ってはダメですよ。最近、クリスティーナ様が我儘をおっしゃるからジョシィは仕事仕事で忙しくなっちゃったんですよ!」


ミア嬢の言葉の意図が掴めず困惑してしまう。

どうやら彼女の中では私の我儘で旦那様が自分と会えなくなったと思っているらしい。


彼女が私に言いたくなるほど二人は会っていないのか、と少し驚いた。

思い返してみれば最近の旦那様は、朝の散歩に始まり朝食、執務、晩餐まで私と同じ部屋にいる。休憩がてら護衛騎士と馬で駆ったり、剣を交えたり等している様子も窓から見えていた。


なぜ旦那様がミア嬢との時間を減らしたのかは答えられないが、仕事というのは嘘ではないと伝えることにした。


「旦那様の体調が回復された折に執務を再開したのです」


「しつ……仕事なんて、他の人がやればいいじゃないですか!そんなに無理しなくてもお金は入ってくるはずです! 私に会う時間も無いなんて、ジョシィが可哀想です…っ。クリスティーナ様は貴族として~なんて言って、ジョシィを縛ってばっかり。もっとちゃんとジョシィの気持ちを聞いてあげてください!」


ミア嬢の言い様にクリフが割って入ろうとする動きが視界の端に見えた。

それを視線を流すことで止め、ゆっくりとミア嬢に説いた。


「貴族も使用人も領民も、それぞれ己の仕事をします。そして旦那様と私の仕事は私たちを支える領民を守り、国を守る王家を支えることです。それが私たち貴族の義務と責任ですから」


ミア嬢の瑪瑙色の瞳の中を覗き込む。


「──私たちは貴族です。貴族には義務と責任があります。義務や責任よりも私欲を満たすようになれば、それは貴族ではございません。裏を返せば義務や責任を果たした上で、心の声に従うのは咎められることでは無いと私は思いますわ。ミア様とのお時間が心の支えとなるならば、旦那様がそちらに足を運ばれるのではないでしょうか。全ては旦那様のお心次第ですわ」


息を飲んだのは誰だったか。鐘が鳴るまで、誰もその場から動こうとはしなかった。


「──ミア嬢。時間だ。馬車へ」


クリフが部下に指示を出し、ミア嬢は大人しく手を引かれ馬車へ乗り込んで行った。



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