決意饅頭が覆う影

昔から都会の暮らしに憧れていた樹里の部屋には、高級な絵画が飾られていた。

現代アートらしい幾何学模様の派手な絵。

白で統一された家具が並ぶ部屋で、色鮮やかに目立っている。

綺麗な部屋であるとは、思う。でも。


「都会人の部屋っていう感じではないかなぁ。どっちかというと、金持ちの部屋って感じ」

と私は率直に評した。

「えー。やっぱダメかぁ」

と樹里は肩を落とした。長い栗色の髪が、垂れ下がる。手入れは適当で枝毛も多い髪、薄い化粧の顔。本人は都会人ぶりたいようだが、そういうファッションが良い意味で田舎の人らしくて、私には魅力的に映った。

「…でも樹里はかわいいよ」

正直に言うと、「ちょっとぉー亜美ちゃん。からかわないでよー」すぐに顔が赤くなる。

しばらく二人で笑った。

10年ぶりに話すとは思えない、和やかな空気だった。


そこからは、親友との雑談が続いた。

私がこの村を出て東京で雑誌記者になってた頃、この村にのこった子たちがどこで働いて誰と結婚していたのか。

数か月前から飼い始めていたペット。昔小学生の時に「また会おうね。それからはずっと一緒にいよう」と約束した思い出。殺人事件担当記者である私の上司の愚痴。

話は尽きない。


気が付くと、窓から見える空が赤くなっていた。

もう夕方だ。この村は街灯が少なく、夜道を歩くのは怖い。

「あぁそろそろ帰らないと」

「だね」樹里は首をかしげた。不思議そうに尋ねる。「っていうか、亜美ちゃんは仕事の話はしなくていいの。取材のために村に帰ってきたんだよね?」

「そうだったね。なんかせっかく楽しいおしゃべりしてたのに、最後に取材するの、後味わるいっていうか」

「それが仕事でしょ」

私は苦笑しながら頷いた。「それもそうだ」

「雑誌記者の仕事、嫌いなの?」

「ううん」と私は嘘をついた。


「ここはね、亜美ちゃん、確かに閉鎖的な村だけど、何か事件があったら警察でもマスコミでも積極的に受け入れて、優しく接する。その結果、この村はものすごく田舎なのに風通しがいい。だからあなたのことも歓迎してくれるよ。遠慮せずにきいて」

「…ねぇ」

「おっ、ついに質問くる?どうぞ」

「なんでそんなに村の風通しよくできるの?」

樹里は脱力して、下を向いた。「がくっ。そっちかい。」

「純粋に気になって。田舎はどうやったって閉鎖的になる。なのにここはそうはなっていない。この家にくるまでの軽い取材で、感じたの」

「それはね、決意したから」

「決意?」

「昔ね。村人全員で決意したの」とても誇らしい武勇伝を語るような口調で、樹里は言った。「この村を風通しの良い村にするってね。だから今、住み心地のいい村になってる」

「へぇー。ちゃんと努力したんだね」

私は感心した。


「この村人はね、みんな決意したらやり遂げる人ばかりなんだよ」

「…殺人でも?」

「いいねぇ」そう言って笑った樹里は、どこか不快感を楽しんでいるようだった。「マスコミらしい、意地悪な質問。質問の答えはね、、、たぶんそう。ここの村人はなんだって決意したらやり遂げると思うよ」

「…じゃあ最後に質問。一昨日の夜7時ごろ、つまり雑誌記者のさんが山道の交通事故で死亡した時、樹里ちゃんはどこで何してた?」

「おおアリバイ確認。ミステリードラマみたいでカッコいいね。私はアリバイないです。一人でこの家にいたから。証明してくれる人はいないね」

「質問は以上です。ご協力ありがとうございました。」

私が頭を下げると、

「こちらこそ。久しぶりに亜美ちゃんと話せて嬉しかったよ。じゃあね」と言って樹里は笑った。



樹里の家から宿への帰り道、「ずりっ、ずりっ」という何かを引きずるような音が背後からした。

振り返っても何もいない。

田舎の道なので、道の両脇はコンクリートが剥がれ、雑草が茂っている。その中に何かいるのか。

調べようとすると、スマホが震えた。

「もしもし」

「どう?取材は?」

上司からだった。


「順調に話をきいていますが、殺人とは思えなくて」

「じゃあ、嘘をかけ。こっちとしては、田舎の閉鎖的な村で殺人がおこった。村人全員で嘘をつき、殺人犯をかばっている。やっぱり田舎はクソだっていう記事が書きたいんだよ」

怒鳴るような勢いで、上司の苛立ちが滲む声が聞こえてくる。

「はぁ」

「それくらいやってくれよ」上司は受話器越しでも聞こえるように、大げさにため息をついた。「何年目だよ、全く。先日死亡事故でウチの記者が死んだし、その前にも匿名のタレコミで5人もそこの村に取材に行く羽目になってるんだ。嘘でも記事を作らないと、わりに合わない」

「あの」

言おうとした。もうやめたいと。これ以上殺人事件担当記者として嘘を書きたくないと。

辞意の伝え方は昨日の夜に5回くらい練習した。

「なんだ」

「…えっと取材はあと何日すればいいでしょうか」

「明日の夜に帰ってこい」

「分かりました」


通話が切れて、顔を上げると、「決意したらやり遂げよう」という道端の看板が目に入った。村の標語だろうか。さっきの「決意」についての会話を思い出す。

私は、「今仕事を辞めたら、同僚の負担が増えて、職場でたくさん陰口叩かれるんだろうな」ということが気になって、簡単に辞職の決意が揺らいでしまう。

かたやこの村では決意したことは絶対やるらしい。なんてカッコいいのだろう。

村人と比べて自己嫌悪を感じながら振り返ると、あのキモい音はしなくなっていた。



宿に帰ると、一人で宿を経営しているおばあさんが玄関で出迎えてくれた。

自己嫌悪が顔に出ていたのだろうか、おばあさんは「心が疲れていますね。ご飯できていますよ」と言ってくれた。

言われた通り部屋に戻って、夕食をとってみる。おばあさんの得意料理というハマチの刺身と豚汁の和食セットは、故郷の味がした。

クソみたいな仕事とはいえ、故郷に戻れたのは良かったと思えた。

美味しいものを食べただけで、気分は上向く。おばあさんの言うとおりだった。


あの「ずりっ、ずりっ」という奇妙な音を再び聞いたのは、食後のデザートが運ばれてきたころだった。

プリンを口に運ぶ手をとめ、窓辺に行く。

夜なのでカーテンも閉めているのだが、その向こうから確かに聞こえてくる。

今日の夕方に聞いた音だ。


私は意を決してカーテンを開けた。

そして見てしまった。

宿屋の前の細い道を、怪物が這っているのを。

それはかろうじて人の形をしていたが、裸で、肌の色が不気味なほど白く、なにより動きが四つん這いで体を引きずっているように見えた。


「ひぃい!」

悲鳴とともに、しりもちをついてしまう。その拍子に夕食の食器をかやして割ってしまった。


「いかがなさいましたか」

宿屋のおばあさんが、駆け付けてきてくれた。

「あの、あの、道を変な人?が這っているんですけど」

「ああ。あれは金石さんね。昨日亡くなったから、霊安室から出てきて畑を見に行ってるんですよ」

当たり前の光景を見ているかのような口調だった。

「なんで、ですか」

「だって畑を見に行くって決意したから」


――この村では、決意は絶対なんだよ


私は慌てて宿を飛び出した。

荷物も取材データもほったらかしだが、もはやどうでもいい。

これ以上この村にいたら危ない。

本能でわかる。

でも宿を飛び出した私の足は3歩で止まることになった。


宿屋の前に樹里が立っていたから。

「よっ。どうしたのそんなに慌てて」

と首を傾げている。

その背後を、金石さんがズリズリと這っている。


「この村は何なんだよ。色々異常だ。死亡事故も、実は殺人だったんでしょ!!」

「だから決意が絶対なんだよって言ったじゃん」バカな子供に言って聞かせるように、樹里は言った。「この村が普通じゃないっていうのは、最初から言ってるでしょ」

「だからって、死んでも決意したことはやるっていうの!?」

「この村はね、土着の神様が強力でね。饅頭供えてお祈りするだけで、人を呪ってくれる。より正確に言えば人の行動を言霊で操れるんだ」

「呪いなんて、非科学的な」

「これ見ても、科学気にする?」と言って、樹里は背後の金石さんを指さして笑った。


「それは…じゃあ、死亡事故も呪いなの」

「人を呪わば穴二つ。この村の呪いは他人には使わない。全て自分にかけるんだ。ダイエットのためにお菓子を我慢すると決意したら、お菓子を食べない呪いを。テスト勉強頑張ると決意したら、勉強するという呪いを自分にかける。そうやってこの村は呪いを平和利用して、決意したことをやり遂げ、幸せに暮らしてるの」

「じゃあ、あの事故は!」


「殺人だよ。そして犯人は亜美ちゃん、あなたです」と樹里は静かに告げた。


「私!?」

「亜美ちゃんは匿名でこの村の取材依頼を同僚にかけた。そしてその同僚が村に来る前に摂取した食べ物に、微量の睡眠薬を混ぜた。ガチで飲ませたらバレるからね。もちろん微量だから、すこし注意力が落ちる程度でしょ。確実に交通事故を起こすとは限らない。でも失敗したら同じことをもう一回すればいい。その結果、やっと先日の5回目の挑戦が成功して、記者が事故死した。そんなとこでしょ」

「私はそんなことしてない!!」

「もちろん覚えてないでしょうね。これは呪いの結果だから」


私も私自身を呪っていた?いつ?

――また会おうね。それからはずっと一緒にいよう。

小学生の頃。私はと再会を約束した。それは覚えていた。でも、どんなシチュエーションだったかまでは。

その時、脳裏に、赤い布が思い浮かんだ。そう、これはお地蔵さんが首に付けている涎掛けだ。

そういえば、お地蔵さんの前だったような。

そして、私との手にはお饅頭が…


「思い出した?」

樹里が私の顔を覗き込んでいる。心底嬉しそうに。

「亜美ちゃんが自分にかけた呪いは、私と再会することだったんだよ。だから亜美ちゃんは同僚をこの村で殺した。この村で殺人事件が発生すれば、事件が起きた時はマスコミを受け入れるという村のルールにより、殺人事件担当記者の亜美ちゃんはこの村に入れるからね」

そう言って私を抱きしめた。


私は茫然と抱きしめられながら、「いつからだろう」と考えていた。

いつから呪いに縛られていたのか。

思えば上京して、なぜ雑誌記者になったのか思い出せない。殺人事件担当記者になったのも、このトリックでこの村に侵入できるからではなかったか。

私が自分の意思で決めたことなど、今までの人生で何もなかった気がしてくる。


ただ一つ確かなのは、もう雑誌記者でいる意味などないということだ。

私は抱きしめられたままスマホを取り出し、上司に電話をかけた。

そして開口一番に「今日で雑誌記者やめます」と告げて切った。何か怒鳴っていた気もするが、どうでもよかった。


抱きしめるのをやめた樹里が、「今からは、ずっと一緒に私の家で暮らそうよ」と言った。

私は頷いて、樹里と一緒に帰り始めた。


もう私はこの村からは出ることはできないだろう。

その「決意の呪縛」が今はとても心地よかった。

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