スイカアイスの思い出は喪失してくれない

病室の亜希ちゃんは、やつれているのに美しかった。


ベッドに腰かけている状態でも目立つほどにスラっとした足。

守ってあげたくなるようなキュートな瞳。

長くて艶のある髪が大きな胸にかかり、私と同い年の女子高生とは思えない色気が漂っていて、私は息をのんだ。


「川島亜希は国民的アイドルなんだから、美少女なのは当たり前じゃないか」と人は言うかもしれない。しかしメイクも生気もない、入院している状態で美しいのは、凄い事なのだ。


幼馴染の亜希ちゃんがアイドルになってから、彼女の隣にいる私も芸能人のプライベートを目撃する機会が増えたのだが、TVの外にいる彼ら彼女らは想像以上に地味だ。


TVの中の美しさは、たいていの場合、メイク照明衣装、その他さまざまな「演出」に支えられている。一方で、亜希ちゃんの美しさは、演出なしでも輝く。


そんな別格な美少女である亜希ちゃんは、TVでも学校でも胸を張って颯爽と歩くような子だった。だからこそ今、病院のベッドで自信なさげな亜希ちゃんを見ると、違和感が凄い。


戸惑いすぎて病室の入口で立ち尽くし、上手く声をかけられずにいる私に「あの、もしかして、私の友人だった方ですか?」と亜希ちゃんは恐る恐る声をかけてくれた。


「あ、うん!あなたの幼馴染の大野瑠香っていうんだけど…亜希ちゃん、私の事、見覚えある?」


亜希ちゃんは私を見て「大野瑠香・・・?」と首を傾げて、そのまま沈黙してしまった。


やはり、私の事も忘れているらしい。


「うん、大丈夫!」私は、大きくうなずいて見せた。「覚えてないんだよね。交通事故に遭って記憶障害になってるって話はマネージャーから聞いてるよ」


「そうなの。色々大事な事、忘れちゃってるみたいで」


「あなたは日本トップレベルのアイドルで、数日後から全国ツアーがあるんです。早く記憶を取り戻さなきゃいけなくて、そのために幼馴染の私が呼ばれたって感じらしいです」


「へーそうなんだ。ありがとうございます。でも今の私は、自分の事で精一杯で、全国のファンのこととか、考えられないなぁ」と、亜希ちゃんは他人事のように、でも、礼儀正しくお礼を言った。記憶がない以上、自分事としての実感がないのは当然かもしれない。



ただ医師によると、交通事故による物理ダメージはそんなに大きくないので、ちょっとしたきっかけで記憶は戻るだろうとのこと。


つまり私ごときでも、亜希ちゃんの記憶を戻せるかもしれないということだ。

ポジティブシンキングで自分を奮い立たせ、私はカバンから写真の束を取り出した。


「家で思い出の写真を印刷してきたんだけど、どう?これとか幼稚園の頃の私たちだよ。何かピンときたりしない?」


――最近の事は思い出せなくなっていても、逆に昔のことは覚えてたりしないかな。

そんな淡い期待を胸に、私は一枚目の写真を見せてみた。


その写真の中では、ビニールに空気入れて作るタイプのプールで、幼稚園児の私たちが水遊びしながらスイカアイスを食べている。


元気に高くあげた、スイカアイスを持った両手。

はしゃいだ結果きらめく、水しぶき。

好物のスイカアイスを食べて満面の笑顔。


今となっては過去となった、無邪気な私たちが写っている。


その写真をしばらく見て「ごめんなさい。記憶にないの」と亜希ちゃんは頭を下げた。


ごめんなさい?

私は耳を疑った。

亜希ちゃんは、そんなこと言わない。もっと傲慢で、無遠慮な女の子だったのに。


私に対して、他人のようによそよそしい、それでいて弱気な亜希ちゃん。


こんなにグロテスクな光景を、私は見たことがない。

写真を見せて「見覚えある?」ときくたびに、この異様さを味わう羽目になる。


5枚目の写真を見せた辺りでそのことに気づき、そこから私は何も言わず機械的に、亜希ちゃんが腰をおろしているベッドの上に写真を置くようにした。


私が粛々と置いていった思い出の写真が、病院の白い布団を埋め尽くした頃。


もう諦め半分の私が、数日前にとった写真を見せた時、亜希ちゃんに反応があった。


「あれ?私たちってこの後、絶交しなかったっけ?」と言ったのだ。


正解だった。数日前に亜希ちゃんから私に言ったのだ。「私はスターとして生きていくから、凡人の空気感が移らないように一般人との交流は控えようと思うの。だから私たち友達やめない?」という提案を。


私との絶交は、亜希ちゃんのスターとしての価値観と結びついてる。


私との絶交の記憶を起点に、芸能人としての人生を芋ずる式に思い出していったらしい。


亜希ちゃんは数分間、「あーそっか。そっか」と1人で納得するように、頷いていた。


そして記憶を完全に取り戻した亜希ちゃんは「思い出させてくれてありがとう、大野さん。お礼のお金は、病室の外で待機しているマネージャーに貰ってください」と、アイドルらしいハイクオリティーな営業スマイルを見せることで、私を労ってくれた。


記憶が完全に戻った亜希ちゃんにとっても、私は(絶交済みの)他人なのだから、当然の対応といえる。


私は「ありがとうございました」と言って、平静を装ってお金を受け取り病室を後にした。


しかし、病院1階のロビーでメンタルの限界が来て、立っていられなくなってしまった。


私は、診察を待っている患者たちが座る長椅子に腰かけた。その椅子の前には患者たちが待ち時間中に見る大きいテレビがあるのだが、ちょうど、私が座った時に画面に亜希ちゃんが映っていた。


交通事故でここに入院する前に、収録が終わっていた音楽番組だったらしい。まぶしい笑顔とともに、ハイレベルな歌唱を披露している。


そんな亜希ちゃんの姿を見ていると、かつて普通の仲良し幼馴染だった頃の思い出が、頭の中に溢れてきた。


思い出すだけで辛くなる、それらの記憶は、喪失してくれないのだった。

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