邪神均衡に捧げるオムレツ

オムレツ作りは、まず、封印森に足を踏み入れるところから始まる。


村長すら立ち入り禁止の、魔女だけの森。

奥へ入り込み、日差しが遮られるほど木が茂る深部にある湖で、水を汲む。

その水を片手に、さらに奥にある魔女小屋へ向かう。


これまでも、毎週繰り返してきた料理の前準備ルーティンを、いつも通り実行し、1時間ほど歩いていると魔女小屋が見えてきた。

気合が入ってくる。


よし、オムレツ、作るぞ!


意気込む私の目に、丸太小屋の壁に書かれた落書きが飛び込んできた。


――この魔女は、超バカ。3歩歩いたら忘れる


赤いインクで、デカデカと書かれた暴言。

悲しいことに、中傷は珍しくはない。


魔女を気味悪いと思う村人が、こっそり森に侵入し、こんな嫌がらせをするのもよくあることだ。魔女は村の守護者なのでほとんどの村人は感謝してくれるのだが、だからこそ、嫌悪感を抱くものはそれを誰にも話せず貯め込み、陰湿な形で発散してしまう。


気にしない。私はもう慣れているから。……でも、ちょっとだけムカつくかも。


「オムレツ作りの才能がなさ過ぎ!」

なんて昔は師匠によく言われてたけど、私だって今では一人前の魔女だ。邪神から村を守る使命がある。 たとえ一部の心無い村人から汚い言葉を投げかけられたとしても。


私は気合いを入れなおして、小屋の中に入った。


人一人が横になれるギリギリくらいの狭い室内。 机も椅子もなく、中央にコンロと黒いフライパンだけがある。 リビングもイスもない。キッチンだけの小屋だ。 そして、部屋の東側に一つだけある窓。


その窓に目をやった時、小屋の中を覗き込む魔物に気づいた。


小さい羽根の生えたヒキガエル。 邪神の眷属だ。


邪神の眷属が邪魔してくる前に、素早くフライパンに向かい、水の入った瓶を作業台に置く。 それから、両手を合わせて、魔力を込めた。


森の木々が流れ込んでくる様子を想像する。

するとヒキガエル特有のテカテカした皮膚が膨れ上がり、風船のように裂け、葉っぱが散乱した。


魔法とは、イメージの力。


この程度の眷属なら、倒すのも楽勝だ。

あまりにも余裕で倒せたので、ついでに、眷属を送ってきた邪神の魔脈を辿り、眷属の主人の邪神の状態を確認した。


人間の平和のために、邪神にオムレツを食べさせると言うと、オムレツに毒を混ぜるのかと思われがちだが違う。


大事なのは、均衡だ。


毎日戦っている2匹の邪神の力が釣り合っていると、力が相殺されて、人間視点では平和になる。

その状態を維持するために、1か月ごとに、負けてる邪神にオムレツを送り応援する。


だから今、不利になっている邪神を確認したのだ。


オムレツを送る相手を確認できたので、あとは作るだけだ。


ドラゴンの卵を割り、熱したフライパンの上に落とす。フォークとヘラで空気を混ぜ込みフワフワにする。


調味料は私の「記憶」だ。

邪神は人間を食べるので、人間の記憶が良い味付けになる。


はず、だったのだが。


味見してみると、美味しくない。


その理由も、わかっていた。

近年の私の生活は、師匠からの魔女研修で占められていたからだ。


「お前の美的センスは糞。子どもの落書きの方がマシなんだよ」という罵倒。

ちょっとでも、オムレツ調理ミスったら飛んでくる拳。


師匠は魔女としては珍しく大柄で、男性なみの身長があり、その体格でガチ殴りしてくるから、たまったものじゃない。


冷たい印象を与える師匠の無表情さも相まって、今振り返ると、毎日が恐怖と師匠への憎悪だけだった…


そんな風に、調味料に使える美味しい記憶を、何とかひねり出そうとしていた私の鼻の奥を、突然、悪臭が突き刺してきた。


汚れた魔力が放つ瘴気。


まずい、思い出すことに集中しすぎて、周囲への警戒を怠っていた。


気づいた時には、もう、遅い。


好戦的な眷属が、数十匹、小屋を取り囲んでいた。

オムレツ作り始める前に攻撃してきた雑魚とは、数が違う。


この数相手に、どうすれば、調理を継続できる?

そもそも、なぜこんなに、魔法陣を突破してくる?

オムレツを作り終えるまで、魔法陣をはっているはずなのに。


師匠は、何て言ってたっけ?


混乱する頭であれほど嫌っていた師匠に頼ろうとする自分の節操の無さに、苦笑していると、強烈な違和感をふと、覚えた。


そういえば、師匠は今、何してるんだっけ?


明らかに、ピンチの今考えるべきではない疑問。


しかし、痛切な孤独を感じる。師匠が今どうしているかを知って、安心したくてたまらない。


もしかして師匠は私に愛情を向けていたのか?

オムレツの具材にするうちに、その記憶が消えただけで。

そういえば、私は師匠との「お別れ」で涙を流していた気もする。


だとすると、師匠は、私に意味のあることを言っていたのでは?


――お前の美的センスは糞。子どもの落書きの方がマシなんだよ


――小屋の壁に「落書き」で「この魔女は、超バカ。3歩歩いたら忘れる」


――小屋に到達する眷属が、なぜか多い


私は、オムレツを放置して、小屋を飛び出した。

その瞬間、小屋に仕掛けていた時限爆弾魔法が炸裂した。


木片が飛び散り、森の一部はなぎ倒される。


オムレツに群がっていた魔物たちは、不意をつかれ、爆風の餌食となり肉片へと変わっていく。


(恐らく)私の計算通りに。


思えば、オムレツ作る前から、邪神2つの力はかなり近かった。

それは、今月のノルマのオムレツを作り終えていたから。


でも、私は「オムレツを作り終えて、魔法陣も解除し、爆弾魔法を仕掛けた」という罠を張った記憶を全てオムレツの中に捨てたのだろう。


敵を騙すには、まず味方から。

強力な敵を騙すには、まず自分から。


私を騙すことで、邪神を騙し、爆弾に眷属をおびき寄せる。この奇策を思い出す、私の安全を保障する仕掛けは師匠との記憶に置いたのだ。


結局、今日、私は師匠に助けてもらった。


それは偶然だったのかもしれない。


「オムレツの調理で記憶を失ったときのために、小屋の壁に落書きしなさい」という教えがあったのか、なかったのか。


師匠は私を罵倒していたのか、愛を持って指導していたのか。



答えのない問いを考えている内に、爆発の火はほぼ消えていた。

くすぶりながら、細い煙だけ出している。



師匠は本当はもっと優しい人だった、ような気がしてくる。

もしかしたら、楽しい思い出を持つのが辛くなった過去の私が、師匠との暖かい記憶をオムレツの中に捨てた、のかも。


師匠への愛と憎しみの可能性が、今の私の中で、均衡を保ち続けている。

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