便所飯と花子さん

私は便所飯が嫌いだ。

だって、トイレはご飯を食べる場所じゃない。トイレと言う空間に、お弁当は似つかわしくない。

トイレの花子さんとしての私のアイデンティティが、汚されたように感じる。


だから花柳雪華が便所飯をしに来た時、私は心底イラついた。

便所飯にくる奴として典型的なことだが、猫背で前髪ぱっつんな女の子だ。目は大きくきちんとオシャレしたら可愛いのだろうが、伏し目がちなので印象が悪い。


だが、雪華が誰かから逃げていることに気づいて、戸惑った。


便所飯に来た奴を追いかける奴なんているのか、と訝しんでいると、トイレに別の人が入ってきた。

関奈緒美だ。たしか雪華のクラスメートだったはず。

雪華とは対照的に、明るく陽キャな雰囲気で長い髪にカールをかけるオシャレをしている。

「花柳さーん。一緒にご飯食べようよ」

雪華を大きな声で明るく誘う。


しかし雪華はトイレの個室から「いや…です」と首を振る。

ただ残念なことに、声が小さくて関さんに届いていない。

「どうしたの雪華さん?トイレ中?だったら終わるまでここで待ってるね」

関は、唇に微笑を浮かべ、個室の外に陣取る。


どうしたのだろう?と、雪華の体を観察して、腕や足に殴られた跡を見つけた。

あぁイジメか。

学校ではありふれた、残酷な光景。

私はうんざりして、興味をなくした。

雪華の隣の、誰も入っていない個室に移動して、まどろむ。


ほっとけばいじめが終わり、そこで雪華もトイレから出ていき、平和になる。

そう予想していた。

確かに関さんは十数分したら、トイレから出て行った。

しかし雪華は予想外の行動を始めた。

「花子さん、花子さん」とトイレのドアを叩き始めたのだ。

驚く私をよそに雪華の呼びかけが続く。「どうか関奈緒美が私に近づかないようにしてください」


「なるほどな」

冷静になった私は思わず呟いた。

花子さんに願い事したら叶うっていう噂を信じているのか。


誰がいったか、10年ほど前から囁かれはじめた、学校の怪談。

トイレのドアを叩いて花子さんにお願い事をすれば叶うという。

もちろん、ウソだ。私はそんなことしない。

でも雪華は「どうか花子さんお願いします」と涙声で、祈り続けている。

愚かだ。


心の中でバカにしながらも、私は霊力を貯めて、トイレから出た。そして職員室に行ってみた。

願い事を完全に無視すると、罪悪感があるからだ。

「一応お願いごとを叶えようと努力はしました」という言い訳がしたい。


もちろん私はトイレの地縛霊なので、学校の外にはいけない。

しかし、私はトイレの中で生徒が話す噂を小耳に挟んだことがある。


――雪華さんの親はこの学校の教師で、生徒指導担当として関さんをよく叱ってるらしいよ


その噂を真に受けて、職員室へ霊体を飛ばして正解だった。

ちょうど、さっきの関という少女を、マッチョな生徒指導の教師が叱っていたのだ。

教師の机を見ると花柳と書いており、雪華の父親なのだろうとわかる。

プリントが積み重なる机の横で、関さんに「おい、関さん。キミに対して本屋から学校に苦情が出ているんだぞ」と、怒声を浴びせる。


しかし、関さんは平然としている。

「え?私なんか万引きでもしましたっけ?」と首をかしげた。

「立ち読みだよ」という先生からの指摘にも、

「立ち読み禁止って書いてませんでしたよー。それに私以外にも立ち読みしてる人いましたし」と、あっけらかんとしている。


「お前は3時間も、医学の専門書を立ち読みしてただろ?」花柳先生は顔をしかめた。関さんの生意気な態度にイラつきながら叱る。「読みすぎなんだよ」

「でも店員から注意されませんでしたし」

「お前のその時の私服が、不良っぽくて話しかけられなかったそうだよ」

「見た目で人を決めつけるんだ」教師の失言をあげつらうことが心底楽しそうに彼女は言った。「最低な店員っすね」

「お前なぁ」

何も言い返せない花柳先生のバカさに呆れたように関さんは「体罰したら、教育委員会にチクりますよ」と、さらに強力なカードを切ってきた。


「イジメこそ教育委員会にチクることだぞ」

「イジメ?」

「とぼけるなよ。」

「何すか」

「イジメ調査アンケートだよ」憎悪すら感じる気迫で、花柳先生はアンケート用紙を関さんに突きつける。関さんをやり込めたいという願望が滲んだ表情だった。「ここにお前が雪華を苛めてると書かれてる。前にも言ったよな。これは2回目の指摘だ。言っとくが、雪華は私の娘だぞ」

「知ってますよ」

「それでよくそんな態度を取れるな、関さん」

「それは私が無実だからですよ」

「じゃあこのアンケートの結果は何だよ職員会議にチクるぞ!!」

そう言って先生は激しく机を叩き関さんの肩を掴んだ。


しかし関さんは怯まない。

「今の先生の行為体罰ですよね。先生が職員会議にチクるなら私は教育委員会にあなたの体罰をチクりますよ」と、へらへらと笑いながら馬鹿にしたような目で先生を見上げる。

先生はチッという大きな舌打ちを残して、職員室から出て行った。


ちょうどそのタイミングで私の力が切れた。私は地縛霊の運命によって、トイレの中に強制的に戻ってきた。

力尽きたように、その場に座り込む。

正直言ってほっとしていた。あの職員室はお互いが敵意を向け合ってとてつもなく息苦しかったから。

あのギスギスした空間と比べるとやっぱりここのトイレは静かで心落ち着く。


私は戦意喪失していた。

関さんのメンタルが強すぎる。

私が頑張って怪奇現象を起こしたところで、面の皮が厚い関さんにとっては痛くもかゆくもないだろう。どうしようもない。


そんな風に落ち込んでいたので、私はこの時、トイレの入り口を警戒するという普段の習慣を忘れていた。

もちろん大部分の人には私は見えない。しかし中には霊感のある人もいる。

万が一に備えて私は人が入ってきたらトイレの奥に隠れるようにしていたのに。


気づいた時には、トイレの入り口まで人が来ていた。

もう、間に合わない。

自分の迂闊さを後悔しながら顔を上げる

トイレに入ってきた人と目と目が合う。私は驚いた。


雪華だったから。


一方で雪華も目を見開いていた。私が見えていたからだ。

昼休みにトイレの扉をノックした時、確かに彼女は私が見えていなかった。しかし今幸は私を確実に見ている。

つまり、今日いきなり霊感が覚醒したということだ。

そんなことあり得るのか。

私は混乱した。

そしてそれは、今初めて幽霊を見た雪華も同じだったらしい。

数秒間沈黙が続く。


先に沈黙を破ったのは雪華だった。

「もしかして花子さんですか?」

怯えと期待が入り混じったような顔をしている。

恐怖の表情が和らいだ理由は明らかだ。


花子さんが本当にいるのならば学校の噂も本当と言うことになり、花子さんが昼休みに言った願いを叶えてくれると言うことになるからだろう。

つまり雪は期待しているのだ。花子さんである私に。

私はとても困った。

私は誰かの願い事を叶えたことなどない。関という少女に危害を加えることも、さっき失敗に終わった。

「願い事を叶えることはできないよ」という言葉を、喉元で飲み込む。雪のキラキラした瞳を見てしまったから。

ピュアな気持ちで私に期待する彼女を裏切ることなどできない。

仕方ない、もう一回関さんにチャレンジしよう。

私はため息まじりに「願い事と言うのは赤さんはトイレに来られなくすることだね?」と確認した。

しかし驚くべきことに雪は首を横にぶんぶんとふった。


赤さんに危害を加えないでほしいのだと言う。


意味不明だった。「便所飯に行ってきてほしくない」と言うのと「便所飯に来れないように危害を加える」と言う事の違いがわからない。もしかして雪は、自分をいじめる人さえも傷つけたくないと言う博愛主義者なのだろうか?

私が戸惑っているとトイレの入り口の方から足跡が聞こえてきた。

今度はちゃんと隠れよう。いつも通りに。


そう思った私は「また2人気になったら続きを話そう」と囁いて奥の個室へと走った。

そして個室に無事逃げ込んでホッとした私の背後から「何してるんだ雪華」という声がした。

さっき聞いた、苛立った力強い声。


花柳先生、つまり雪華の父親だ。娘を探しにきたのだろうか?

興味をそそられて、耳をトイレのドアにつけ、外の音に集中する。

しかし、実際は、集中する必要もなかった。頑張って聞き耳を立てずとも聞こえるほどのボリュームで、「何してるんだ雪華ぁぁ!!お前は俺の娘なんだから、虐められるような負け犬になるなよ」という怒号とペチッという平手打ちの音と雪華のすすり泣く声が聞こえてきたから。


何が起こっているのかは明らかだが、なぜそうなったのかはわからない。

雪華に暴力をふるっているのは、同級生ではなかったのか?

私が混乱していると、さらに女子トイレに関さんが入ってきた。

雪華さんを殴る教師の姿を見ても全く驚かない。


「やっぱり先生、娘の雪華ちゃんを虐待していたんですね」

関さんが汚いものを見るような目で、花柳先生を見ながら話す。

「雪華ちゃんは、私と仲良くなっても頑なに便所飯をしたがった。でもなんでだろ?不思議に思った私は本屋で医学書を立ち読みしたよ。そして、異所性尿道開口のせいだってわかったよ」

「異所性尿道開口?」

唖然としている花柳先生が復唱する。


「そうです」関さんは頷いた。「雪華ちゃんは異所性尿道開口という先天異常があります。それは腎臓で作った尿が膀胱に行かず、直接体外に流れ出るという病気です。その結果尿が常に体の外に出てきてしまう。その匂いに気づかれるのが嫌で、雪華ちゃんは便所飯をしていたんです。花柳先生、なんであなたの娘さんを、病院に連れて行かなかったの?小さいころに病院に連れて行って治せば、雪華ちゃんは便所飯せずに済んだのに」


「僕の娘は完璧であるべきだからだ。何の先天異常なのか、知らないが、今まで隠させてきた。それが我が家の教育ほうし…ムぐっ」

花柳先生の自己正当化は、途中で途切れた。

私が殴りつけたから。

ここは、トイレ。地縛霊「花子さん」のホームグラウンドだ。簡単に人を殴れる。

そして花柳先生視点では、何も見えないのに殴られるという恐怖体験になるのだろう。

いい気味だ。


私は何度も花柳先生を殴った。雪華さんの真意に気づかず、関さんを勝手に悪者だと思い込んだ自分への苛立ちもある。関さんは雪華さんのことを思いやっていたから、便所飯してる所に来て医学書を立ち読みして花柳先生を挑発したのに。


「後は、私がゴミ掃除するよ。このゴミが死ぬときに2人がここにいたら、キミたちが疑われる。私がこいつを殺す間、どこかでアリバイを作ってきなさい」

と、私は花柳先生の首を絞めながら、雪華に話しかけた。

雪華は頷いて、私が見えなくて戸惑っている関さんの手を引いて、走り出す。

2人の背中がトイレから遠ざかっていく。


雪華には、心の底から心配してくれる関さんが付いている。この先のいざこざも、2人で乗り越えていくのだろう。

そして、そういうキラキラは、トイレに似つかわしくない。


これからは便所飯なんかせずに、2人仲良く教室でお昼ご飯を食べてほしい。

花柳先生を殴り殺しながら、静かに祈った。

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