思い出はグレープ味ガムの香り

ホームルームが終わると教室から駆け出していくクラスメイトたちがいる。

楽しそうな笑い声とシーブリーズの匂い。

青春の雰囲気が漂ってくる。


帰宅部の私がいつも通り彼女たちの背中を見送っていると、その内の1人の一穂という少女がふと立ち止まって振り返った。 長いツインテールがふわっとなびく。

一穂さんは「そういえばさ、砂羽さん」と、私の名前を呼び、「バトミントン部に興味があるって言ってなかったっけ?そろそろ新学期から1ヵ月だったけどまだ入部するか迷ってる感じ?」と聞いてきた。


返答に困った私が曖昧な表情で笑っていると、一穂さんの取り巻きたちが「まぁまぁ」と言って一穂さんを私から引き離した。

「あの子、つばめさんと放課後いつも一緒にいる変な奴だからほっとこ!」と私から離れた所で一穂さんにひそひそ囁いている。

声を潜めていても丸聞こえだ。

それとも、私に聞こえるように言っているのか?

ドロドロした空気に耐えられなくなって私は教室を飛び出した。


廊下に出ると、グレープの香りを右の方に感じた。同じ方向からはクチャクチャという咀嚼音も聞こえてくる。

原因はカチューシャをつけたショートカットの女の子が、グレープ味のガムを噛んでいるからだ。小顔のまわりをカールがかかった髪が囲む。

この美少女がつばめだ。

顔は可愛いのに、みんなから不気味な女の子と陰口を叩かれることが納得できる程に暗いオーラを感じる。目つきとか猫背が原因かもしれない。


「何?」私が少し不機嫌な声でつばめに尋ねると、いきなり彼女は私の腕を強く引っ張った。

突然の暴挙に、私は「うわっ」という奇声とともに、前方につんのめることしかできない。

なすすべなく地面に転がりながら、何するんだよという抗議が喉元まで出そうになる。


しかし、その言葉を実際に発することはなかった。


私の背後でガラスが砕けるような鋭い音がしたからだ。 振り返ってみてみると天井の蛍光灯が落ちてきていた。ちょうど私が立っていた場所だ。今つばめが私の手を引かなければ蛍光灯は私の頭上に直撃していただろう。

いきなりの大事故に近くにいた生徒たちが集まってくる。

「もし私が手を引かなければあなたの頭上に蛍光灯が割れるんだよ」やじ馬たちを無視してつばめは説明を始めた。「その後、破片があなたの頸動脈に刺さりあなたは出血多量で死ぬはずだったの。でも私が防いだ。良かったね」


これが25回目だ。

改めて思えばとんでもない回数だが、つばめに命を救ってもらうのは25回目にもなる。はじめは交通事故だった。次は食中毒。工事現場からの落下物。プールの授業中の溺死。

ありとあらゆる死亡事故が私に向かって起こりかけそのすべてをつばめが防いでくれた。

そして今日、砕け散った蛍光灯が私の後ろに散乱している。


彼女曰く、時間旅行して私の死を回避しているらしい。

私もはじめは信じなかった。

でも5回命を救われたあたりから彼女の言葉を信じるようになり、10回目あたりから彼女の行動に心底感謝し、そして20回目を過ぎたあたりからつばめのことがウザくなった。 


わかってる。命を助けてもらっておいてあまりにも恩知らずだと。それでも、「永遠に私はつばめから離れられないのか。部活を楽しむような普通の学生生活を、いつになったらできるのか」と考えてしまう。つばめに嫌みを投げつけずにはいられない。


「今日さークラスメイトに陰口を言われたんだよね」私を助けた後に黙って私から離れていくつばめの背中に向かって大声で尋ねる。「なんでつばめなんかと一緒にいるのかって。ねぇ私からも聞きたいんだけど、なんで仲良くもない私を25回も助けるの?」

「さぁ」嫌いな授業を聞いている小学生みたいに、興味なさそうにつばめは言った。「なんとなく」


その無気力な返答に、私は手を強く握りしめた。

つばめにとって私の気持ちなんてどうでもいいのか?

苛立ちがさらに膨らんでいく。


「もういいよ。もう、つばめさんは私を助けなくていい」

気がつくと口から言葉が出ていた。

「え?でも」

「つばめさんだって大変でしょ?明日から私を無視して帰ってよ。私は自分で気を付けるからさ」

「でも」つばめは苦笑を浮かべた。戸惑いながら忠告してくる。「私みたいに未来を見てないと避けれないと思うけど」

その薄ら笑いすら私をバカにしているように感じられて、心の中の怒りがさらに沸騰する。


「黙ってよ。正直言って、あなたとずっと一緒にいるのが嫌なんだよ。何考えてるのかわからないし、クラスでも浮いてるし。あなたと一緒にいるせいで、私、入りたい部活に入れてないんだよ」

怒りのままにまくしたてる私に気圧されたのか、つばめが沈黙する。


「そうか、それは申し訳なかった」

数秒して、蚊の鳴くような声で、つばめが謝罪の言葉を絞り出す。

そして、背中を丸めて立ち去った。


一方で私は、その日清々しい気持ちで家に帰った。もちろん、これから訪れる死の運命への恐怖もある。だがそれよりも、つばめにつきまとわれない学校生活への期待があった。



次の日の朝。

小鳥がチュンチュンと飛んでいる快晴の中、私は冷汗をかきながら登校を開始した。

家から学校は徒歩で20分しかない。普通だったら快適な通学路だが、今の私にとっては、違う。いつどんな形で死の危険が降りかかってくるか、わからないからだ。


一歩進むたびに、前後左右と足元をしっかり確認する。

普段なら5分で進む道のりを30分かかっていた。でも、怪我もしていない。


やっぱり気をつけていたら、つばめいなくても大丈夫じゃん。


と思ったその時、頭上でバチンという大きな音が響いてきた。

慌てて見上げると、電線が切れて落ちてきている。頭上は盲点だったと後悔してももう遅い。

落ち着いて避ける余裕はなく、私はがむしゃらによけようとして、その結果車道に飛び出してしまった。

そしてそこにちょうど、狙いすましたかのように、中年女性が運転するスクーターが飛び込んでくる。私ははねられながら、「これが死の運命か。今まで25個も避けてきたつばめはすごかったんだな」と思った。

そして意識が暗転した。



走馬灯という物だろうか?

いきなり過去の記憶が頭の中で再生され始める。

それは幼稚園の頃。

「いっちょに遊ぼ」という舌足らずの声で、同い年の幼女に声をかけている。

声をかけられた子は嬉しそうに頷く。その顔には確かに、つばめの面影がある。


―――ああそうか、つばめと私は、昔は友達だったんだなぁ

ぼんやりと納得した直後、私は我に返った。


快晴の空の青が目に飛び込んでくる。スクーターにはねられた私は、コンクリートの地面に仰向けで転がっていた。スクーターを運転していたおばさんが、心配そうに私を見下ろしている。


なぜか私は生きていた。「運命」を回避できなかったのに。

もしかして死の運命というのは、ウソなのか?

混乱している私の耳にスマホのヴンという着信音が聞こえてきた。

カバンからスマホを出して、見ると、つばめからLIMEに長文メッセージが届いていた。



昨日のことだけど、ほんとにごめんなさい。

私の存在があなたの学校生活の邪魔になってることに気づいてなかった。

そして私が謝るべきことはもう一つある。これを読むころには、もう気づいているのかもしれないけど、あなたに襲い掛かってた運命は「死の運命」じゃなくて「大怪我をする運命」なんだよ。だからあそこまで必死に避ける必要なんてなかったの。

でもクズな私はこの運命と時間遡行を利用すれば、小さいころ仲良しだった砂羽ちゃんの近くにいられると思ってしまった。

ただ、それと同時に、ウソをついている罪悪感も抱えていた。だから運命を避けた後に砂羽ちゃんに近づくこともできなかった。それが私の挙動不審の理由。

砂羽ちゃんの運命を私の情愛のはけ口にして、ごめんなさい。本当に迷惑かけたよね。でも今日の夕方になれば私はもうこの世にいないから、これからは何があろうと砂羽ちゃんに迷惑をかけることはない。だから明日からは砂羽ちゃんは明るい学校生活を送ってください。



私はLIMEの文面を見ると、いそいで立ち上がり、そのまま学校の方へ走り始めた。

右腕が1.5倍の太さに膨れているし、吐きそうになるほどの激痛が周期的走っている。たぶん折れているのだろう。

これはきっと病院に行った方がいい。

私をはねたスクーターを運転していたおばあさんも「お嬢ちゃん、今救急車呼んだから、しばらくここで待っていたほうがいいよ」と引き留めてくる。


でもいそいでつばめのところに行かないと。

私はおばあさんの手を振り払って、学校に向かってダッシュした。




教室に到着した時、1時間目の授業が始まっていた。

普段の私なら授業の邪魔にならないようにコソコソ入るとかしていただろう。

でも、今は、そんな場合ではない。


私はなんの遠慮もなく教室の真ん中をズカズカと歩き、つばめの机へと向かった。

案の定、つばめは欠席している。今頃自殺の死に場所をさがしているか、もしかしたらもう死んでいるかも。


でも、まだ手はある。


私は、面食らっているクラスメートたちを尻目に、つばめの机の中に手をつっこんでまさぐった。予想通り、いつもつばめが噛んでいるグレープ味のガムが出てきた。

銀紙を剥がして、嚙み始める。「時を1日戻してください」と念じながら。


確信があったわけではない。

直感的に「つばめが時間遡行したことと、いつもグレープ味のガムを噛んでいることは関係があるのでは?」と思ったのだ。

そして結果的に、その直感は正解だったらしい。


私がガムを噛み始めると、教室の床に落ちていた消しカスが浮かび上がり、机の上の消しゴムの中に戻り始めた。クラスメートたちが後ろ歩きで教室から出ていく。窓の外が暗くなっていく。


時間が遡っていき、気が付くと昨日の夜になっていた。

教室は真っ暗で、誰もいない。


私はスマホからつばめの家に電話をかけた。


そしてつばめが受話器をとり「もしもし」と言ったので、「ねぇ、1つ聞きたいことがあるんだけど。私とつばめって小さい頃に友達だったよね。だけど、どうして私たちって疎遠になったんだっけ。友達だったことを思い出したから、気になってきて」と質問した。

つばめにとってもその質問は意外だったのだろうか。息をのむ音がスマホ越しに聞こえた。


でも、正直つばめに言いたいことは本当にこれだけだ。

自殺を止めたくて過去に来たわけじゃない。むしろ私の運命を弄んだことを償ってほしい。

でも、何も説明せずにいなくなるのは、モヤモヤする。

何を考えていたのか。過去に何があったのか。

私に説明してから死ね、というのが正直な気持ちだ。



スマホの向こうで、まだつばめは沈黙している。

ガムを口にふくんだまま、私も静かに返答を待ち続けた。


グレープ味のように甘くて酸っぱい時の流れを、噛みしめながら。

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