ガザ地区の天使とチョコレート
目が覚めると、まだミサイル爆発が続いていた。
夜空の上の方で、ハマスのミサイルとイスラエルの迎撃ミサイルがぶつかり合って、吹き飛ぶ。2つのミサイルは消滅する時に残した爆音が夜空を揺さぶり、地面に到達する。最終的に一軒のボロ民宿にまで衝撃は伝播し、私が横たわるベッドを軋ませた。
しかし実害はそれだけ。
ここはガザ地区の内部なので、どちらのミサイルが落ちてくることもない。
イスラエルのミサイルが狙っているのは、空中のハマスのミサイルなのだ。
注意するべきなのは、イスラエルの空爆なわけだけど…
布団の中から手を伸ばし、枕元のスマホを手に取る。
ツイッターのニュース欄をみると、イスラエルの空爆予定が報道されていた。
あと1時間で空爆があるが、狙われるのはここから100メートル東にあるハマスの施設だ。
じゃあ、二度寝しても安全だよね。ふぁー。
布団にもぐりリラックスした気分で欠伸をしていると、「油断しすぎだろ」という声が、頭上から聞こえた。
めんどくせぇな、と首を振りながら、布団からゆっくりと這い出る。
顔を上げると、白髪白髭で中年太りのおじさんが私を見下ろしていた。
右手には銃。左手には、ピッキング専用の器具。
その道具で私の部屋の鍵を開けたのだろう。用意の良いことだ。
「あら、スミスさん。戦場の噂できいたことがありますぅ。何の御用?」と、できるだけフランクな口調で彼の目的を探ってみる。
しかし彼は私の詮索に顔色一つ変えず「取りあえずついてきてよ」と機械的に繰り返す。
私は諦めて、抵抗心を放棄する。
いくら私が尋問のプロと言っても、スミスさんに質問しても全てはぐらかされてしまう。
戦場にはたまにこういう奴がいる。
どっちつかずの立場を保ち続け、両方の陣営から金を貰う。裏を返せば、両陣営から恨まれるということにもなるのだが、なぜか死なない死の商人。
そんなやつに逆らっても無駄なので「はいはいわかりましたよ」と、頷いて、素直にスミスさんに言われるがまま宿をでて、玄関前に停まっていた車に促されるまま乗り込んだ。
そうして走ること30分。
空襲で所々アスファルトが剥がれた道路を、振動しながら突き進んできた車が突如停車し、私は前のめりになった。
窓から外を見ると、三階建ての塗装が剥げかかったビルがある。
ここが目的地のハマスの拠点らしい。
ここまでの1時間ほどのドライブで、車内で一言の会話もなかった。
目的地に近づくにつれて、何のために連れてこられてるのかという疑念が膨らみ続けた。
しかし目的地に着いてもなお、何かを説明しそうな気配がない。
「1つだけ質問してもいい?」
「いっとくけどここはハマスだぞ」痺れを切らした私の質問に、スミスはイライラしたようだった。声をひそめて注意してくる。「変な質問をするなよ 」
「なんでみんな防空壕へ逃げてないの?あとなんで私はここに連れてこられてるの ?」
「質問は1つだけと言っただろ?」絶望的にバカな生徒を見た教師のように、スミスは大きいため息をついた。「 まぁいいそれらの質問に対する答えは同じだから。ここに天使がいるからだ。天使がいるからみんな逃げてなくて、天使がいるからお前が呼ばれたんだ」
「あー宗教的な感じのやつね、、申し訳ないんですけど私神様に興味ないんですよね」と私は素直に答えた。
スミスは私を見て、呆れていた。「エルサレムに来てそんなことを言う強さがすごいな。さすが数々の難民地域で小銭を稼いできただけあるな 」
「じゃあこっちもはっきり言おう。これは依頼だ」と言うと即座に、私に銃を向けてきた。
私は静かに立ち止まった。
私が紛争地域で兵士を尋問するプロであることをスミスは知ってるらしい。ならこっちも、隠す必要はない。
「依頼内容は」
と、ストレートに訊いた。
「今説明した天使、正確に言えば、天使と名乗っている戦争孤児の少女を尋問してほしい。そして天使が本当に天使なのか、お前に判断してほしい」
今までで一番意味が分からない依頼がきたな、と戸惑いながら「それは宗教家の仕事じゃないの」と、はっきりツッコんだ。
が、スミスはひるまない。
「嘘を見抜くのはお前の仕事だろ」と、こじつけてくる。
「でも私が嘘を見抜くのは人の嘘だよ。天使の嘘見抜いた経験なんてないよ。 そもそも天使がついた嘘人間が見抜けるのかと言う問題があるよね神学論争になりそ…」
「グダグダうるさい」
私の冷静な説明をさえぎって、彼は私の頭に銃を向けてきた。
「時計を見てみろ」
言われた通り時計を見てみると、空爆の予定時刻を過ぎている。
私は戸惑った。
確かにツイッターでは、この時刻にイスラエルが空爆すると報道していたのに。
「これで分かっただろ」私に言い聞かせるようにゆっくりと、スミスは言った。「現に天使の予言は当たってるんだよ。天使の予言によると、イスラエル軍はわざと偽の空爆情報をマスコミに流したらしい。それでハマスの反応を観察してたとか。天使の予言でイスラエルの策略は潰れた。これでわかるだろ?ハマスはこの天使の検証に全てをかけている。お前に拒否権はないんだ」
確かに天使の予言は当たっているらしい。なにより、ここで私がごねても状況は変わらないだろう。
「わかったよ。あんまり期待しないでよね」
と、予防線を張って、私はしぶしぶ建物の中に入った。
取調室は1階にあった。
薄暗い部屋の中央に銀色の机と、デスクスタンド。
刑事ドラマの取調室を彷彿とさせる部屋だ。
中には12歳ほどの少女が、ちょこんと座っていた。
天使と呼ばれるからには、頭の上に輪っかがあったり、空を飛んでいたりするのかと思っていたが、予想と違い羽などは生えていない。
しかし、なぜか、一目見て「この少女は確かに天使だな」と思ってしてしまった。
どうして天使などというバカげた概念を受け入れたのか自分でもわからない。
少女の現実感がないほどに色白な顔に見とれたからかもしれない。
天然パーマなのに不思議と美しい栗色の髪が、現実離れしていたからかも。
とにかく、私は少女に見惚れて、数秒間動けずにいた。
いやいや、早くしゃべりかけないと。
「はじめまして私はアリアです」
我に返った私はできるだけ人懐っこい笑顔を作りながら天使ちゃんの手を握った
天使ちゃんは「アリアさん初めまして、私は天使です」と、礼儀正しく頭を下げたが、私に手を握られる直前体が硬直していたのを私は見逃さなかった。
イスラエルの兵士に虐待されたことがトラウマになっているのだろう。しかしそれを大人に悟られると不利になると思って強がっている。
さてどうしようかと私が考えていると、天使ちゃんが机の上に5個のチョコレートを並べ始めた。
「好きなの食べていいよ」と言ってくる。
尋問の出鼻をくじかれた格好の私は、戸惑いながらも「ありがとう」と言って1つ選んだ。
一瞬試されているのかと思ったがこれは自分の持ち物を机の上に広げることでパーソナルスペースを増やす心理テクニックだ。
「残り4個は私のものだから」といって慌ててチョコを回収する仕草は子供っぽかったが、実際この心理テクニックにより尋問は彼女のペースになっている。
直感でこの方法編み出したのか。それともこれも天使の力と言うやつなのだろうか。
この少女が人間だろうが天使だろうが、頭がいいのは間違いない。
私が心理テクニックを仕掛けても、見抜かれて心を閉ざされるのが関の山ではないか。
それならもう、もう策を弄さず素直に聞いてみようかとも思えてくる。
「あなた、未来を教える神の声が本当に聞こえるの」
「 うん」
「 じゃぁ軍隊なんかに来ずに宗教施設にいけば良かったんじゃないの?」
と、愚直に訊いてみた。直球で、だけど優しい声で。
「じゃあ逆に聞くけど、お姉さんはなんでカウンセラーの才能あるのに軍隊のところで尋問しているの」
天使の質問返しに、私は言葉に詰まった 。
答えられなかったからじゃない。うっかり答えてしまいそうになったからだ。
ハマスの軍人に父を殺された過去を。幼少期の頃から滾らせてきた憎悪を。
今までずっと隠してきたのに。
弱みにつけ込まれると死につながる戦場で、誰にも言ってこなかった自分の本音をこの天使ちゃんにはうっかり話してしまいそうになった
なるほど本当に天使なのかどうかは別にして、強いカリスマ性があるのは本当だ。そして用心深い。
天使ちゃんが何らかの秘密を抱えていたとしても、今日この尋問で聞き出すことなど絶対にできない。
そう悟った私は「出来る限りの予言を書いてくれない?」と提案した
「イスラエル軍が 明日と明後日にどこに区分けするのかできるだけ多く予言してほしいの。そして私は明日もう一度尋問する」
天使ちゃんは「それならいいよー」と、ノリノリで爆心地を地図に書き始めた。
迷いがない。
本物の天使なのかも、という思いが心の中で膨らむ。
なら「天使かどうか」という個人情報を訊く私は、彼女に自分の秘密を言うのが礼儀なのでは、と思えてくる。
「ハマスの味方のフリをしながら実は私はイスラエルと通じている」ということを告白すべきなのではないか。そうすれば天使ちゃんも私を信頼してくれるのではないか。
そんな、あまりにも馬鹿なことを夢想していると、いつの間にか予言を書き終えた天使ちゃんが私を見ていた。
天使ちゃんは「やっと私を対等に見てくれる気になった?」と私の心を見透かしたように私を見つめる。
「と言うよりも仕事とか関係なくあなたと話したくなったって感じかな」
「嘘くさいな」私のお世辞で、やっと天使ちゃんは笑ってくれた。「私を喜ばせようとしてるんでしょアリアさん上手だな」
私も笑った。両親を戦争で亡くしたという境遇が同じだからだろうか。私と天使ちゃんはとても心の波長が合うのだった。
スミスと一緒に宿屋に帰った私は、イスラエルとの定期連絡を開始した。
夜空の上の方でミサイルがぶつかり合ういつもの音を聞き流しながら、イスラエル軍人と暗号で話す。
その時の会話でようやくスミスもイスラエル側であることを知らされた。
イスラエル軍は私を信用していない。
情報を後出しされるのも、いつものことだ。
業務連絡の最後に、私はさりげなく、イスラエル側に空爆予定地点を訊いてみた。
天使ちゃんの書いた地図と見比べる。
案の定、天使ちゃんの予言は1つもあっていない。
やはりペテンだったか。
私は「ここに空爆するべきです」と提案して、天使ちゃんの予言があたるように仕向けた。
その様子をスミスが部屋の隅から、不審そうに、覗き見ている。
何なのだ、その目は?
暗号通信を終えた後に、気になって訊いてみると、
「天使と名乗る少女を助けるのが意外で。だってお前は俺と同じで、資本主義のルールになって動けるやつだと思ってたから」
という答えが返ってきた。
「天使ちゃんに会う前まではそうだったかもね」
「分かってるのか?」スミスはやれやれといった感じで肩をすくめた。呆れた様子で教えてくる。「ハマスの味方のフリして、イスラエルに情報流すって、相当ヤバい橋渡ってるんだぞ。そして明後日にも、俺たちはイスラエルから捨てられる」
「なんで」
「ハマスにダメージを与えすぎるからだよ。イスラエルのネタニヤフ首相は賄賂疑惑で、政治生命の危機だ。でも戦争を続ければ、国内の保守層からの支持がもらえるってわけだ」
「呆れた。金のことしか考えないんだね」
「そりゃ当たり前だろ」スミスがそんなことも知らないのかと言いたげな口調で、上から目線で質問してくる。「アリアさんよ、なんで俺が多方面から戦場で恨みかって、長生きしてるかわかるか?」
「さあ」
「金の事、目の前の事に集中してるからだ。これからの時代、正義とか神とか愛とか平和とかそーゆー大きい目標は持ってる奴から死ぬんだよ。だから俺は何にも拘らず素早く戦場から逃げて生き延びる」
「なるほど。じゃぁ私はだめなやつだね。忠告ありがと」
と私は口だけ感謝の言葉を伝えた。
ハマスに親を殺された恨みはお金に換算できないんだよ、と心の中で愚痴りながら。
もしかしたら天使ちゃんも同じ気持ちなのかも。とふと思った。
次の日。尋問二日目。
さすが逃げ足が速いスミスはもう部屋にいなかった。きっとこの国内にすらいないのだろう。私は自分の足でハマスの尋問施設へ向かった。
初日と同じように、天使ちゃんのチョコを私が1つ選ぶところから尋問が始まった。
まるで何かの儀式のように。
ただ前回と違い今日は残りの4つを天使ちゃんが食べたので、私もその場で食べた。
2人でしばらくモグモグした後、私は「天使ちゃんはハマスから逃げた方がいいよ」と切り出した。
「私の独自の情報によると、イスラエル軍があなたの存在を知ってしまったらしいのよ」
しかし私の必死の忠告も、天使ちゃんには響かない。
突然天使ちゃんは無表情になり、私を凝視し始めた。
数秒の沈黙、そして。
「アリアさんて私のこと馬鹿にしてますよね」
突然、冷たい声を投げかけてきた。まるで天使が罪人を裁く宣告のように。
「そんなことないよ」
慌てて否定しながら笑っていた私は、天使ちゃんが次に「イスラエル軍に私のことを教えたのアリアさんでしょ」
と、言ったのを聞いて体が硬直した。
どうしてそれを知っている?いつバレた?
「アリアさんは勘違いしているみたいだけど、昨日の予言は全部的中してるからね。だって私の予言を見たアリアさんがイスラエルに連絡して予言通りに空爆位置を変更することまで私は予知していたんだから」
私の背中を冷汗が流れていく。
得意そうに語る天使ちゃんの、くりくりしたかわいい瞳の奥に殺意があることに私はようやく気付き、戦慄していた。
殺意そのものが怖いのではない。
12歳という年齢でありながら、殺意を隠していたことが恐ろしいのだ。
彼女は天使などではない。戦争が生んだ悪魔だった。
深呼吸して、冷静に考える。
もう、私の死は決定した。せめてイスラエル軍のためにも、この悪魔を殺さなければ。
こんなふうに出会わなければ友人になれていたかも、と思いながらも私は隠しナイフを取り出し、天使ちゃんに向けた。
「もとはといえばお前たちハマスが悪いんだからね」と心の中で言い訳を呟きながら、刃を振り下ろす。
しかし、その手は、途中で止まった。
私の胸に激痛が走ったからだ。
呼吸が、できない。
周囲が暗くなっていく。
苦痛のあまりその場にうずくまった私の耳に響く天使ちゃんの声は、どこまでも冷たい。
「あなたが私を殺そうとすることは予知できたからね。あなたが選ぶチョコにだけ毒をいれておいたんだよ」
天使ちゃんは、本当に「天使」だった。
どうして、と薄れる意識の中私は神に問うた。
神よ。どうして、ハマスの側に天使をお遣いになられたのですか。
―――これからの時代、正義とか神とか愛とか平和とかそーゆー大きい目標は持ってる奴から死ぬんだよ。
スミスの忠告を思い出し、自嘲の笑みを浮かべた私は、最期に、天使の声を聴いた。
「恨まないでね。もとはといえば、あんたたちイスラエルが悪いんだから」
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