神酒臭い毒言霊

神社から聞こえる祭囃子まつりばやしに、助手席の松坂教授が舌打ちした。

非科学的な雰囲気に吐き気がする、のだそうだ。「なんでこんな田舎くさい祭りなんか見なきゃいけないんだ。くだらない……」とグチている。

「そうですか? 私には風情があっていいと思いますけどね」と私が軽く反論しただけで、

「ふんっ!」と鼻を鳴らし不機嫌になった。


いつもこんな感じだ。

S県立大学の教授の中でも、トップクラスに傲慢。パワハラすれすれの言動。

部下に敬意の欠片もない。

今だって私が山奥の調査地まで車を運転しているのに、感謝の言葉1つもない。


あー、うざい。本当にこの人は苦手だ。

ギスギスした空気のまま、一時間ほど車を走らせ山の奥へと進むと、目的の洞窟に着いた。


極めて非科学的な言い方をすれば、マイナスイオンが出てそうな感じ。

地面を覆う青々とした草も岩肌につく苔も、市街地では味わえない自然の美しさがある。


この周辺で不審死が、起こったらしい。村人が3人毒物によって死んだのだが、摂取経路がわからないのだとか。


この不審死に関して、大気のガス組成分析装置を持ち込み、我々が所属する有機化学研究室を擁護するレポートを書くのが、今日の仕事だ。まぁ、何を見つけても、レポートには「我々の研究室の廃液は無関係でした」と書くので調査装置のデータなど、どうでもいいのだが……。

それと同時に、研究施設から逃げた少女の確保もミッションだった。

私たちが所属する未来化学研究室で少女を監禁して人体実験していたのだが、その「実験体」が逃亡したのだった。

もちろん人体実験なんて違法だが、深く考えなければ罪悪感を感じずにすむ。


だから今まで何の実験をされてるかも知らずに少女に餌をやってきたし、今日だって作業的に少女を捕獲して連れ戻すつもりだ。


何も考えず多くを望まない。

これが幸せの秘訣だと思って今まで生きてきた。


そんな事より、さっきから私が気になっているのは、洞窟の入り口近くに停められた神輿の方だった。

車を停めてからずっと、目で追ってしまう。




いかにも怪しげな連中が集まっているせいで、松坂教授ですら近寄りたくないらしい。

「おい! お前一人で見てこいよ」と言ってきた。私は仕方なく、おそるおそる近づいていった。

近づくにつれて、妙な違和感を覚えた。

その正体はすぐにわかった。

「これって……人間?」

神輿の上に座っているのは普通の人ではなかった。

大きな頭。小柄な体の全てが隠れる程の長い髪の毛。そして体表を覆う鱗のようなもの。

スカートをはいているので辛うじて少女だとわかる。


これは「人ならざるモノ」なのではないか。ここの村人から崇められている神に近い存在なのでは。


と、考えていただろう。もしも、私が科学者じゃなかったなら。

科学的な知識がなければ、ここの村人と同じようにこの少女を崇めていたかもしれない。


実際は生物学医学の知識があったので、神輿の上の少女が単なる皮膚病患者であるとわかった。

魚鱗癬。

先天的な皮膚病だ。頭が大きいのも、先天的な奇形だろう。


そして何より、この少女は研究施設から逃げた、例の少女だ。髪の毛が伸びていて遠目ではわからなかったが、近づいてようやくわかった。


つまり教授の言った通りだった。神秘も、結局、科学に対する無知でしかない。

私がこの実験体を研究施設に連れ戻せば、私の仕事も終わりだし、この村の「神秘」も終了する。


その時少女は私に気づいた。当然研究室になど帰りたくないのだろう。「来ないでよ」と大声で叫んだ

その瞬間とんでもないことが起きた

神輿を担いでいた男たちが全員倒れたのだ 。口から血を吐き、地面に転がり、水揚げされた魚のように身をくねらせている。

聞かされていた謎の毒の症状。

この少女はしゃべるだけで周囲の人間を毒殺していた 。



そして少女が神輿から降りてこちらに近づいてくる。

私は混乱して足が動かない。



少女の目には明確な殺意がある。

私を言葉で殺すつもりなんだ、とわかるが、どうすればいい?



少女は私に接近したタイミングで大きく息を吸い何か言おうとする。

私は必死で頭を回転させる。



「死ね」

少女がそう叫んだのと、私がガスマスクを装着したのは、同時だった。

マスクをつける瞬間、少しお酒の匂いがした。


そして、私は死ななかった。


村での毒殺事件のデータとして、気管支線維芽細胞選択的毒かもという分析があったので、毒ガスかと予想したら正解だったようだ。


「いやー、危なかったね」

あたかも私と一緒に少女に立ち向ったかのような言い草で、松坂教授が背後から声をかけてきた。私がマスクをつけるのを遠くから確認して、教授もマスクをつけたらしい。恐る恐る私のいるところまで接近すると、吐血して気絶している少女を見下ろした。

「それにしても、この少女はどうやって言葉で人を毒殺しているんだろうね」


腰抜けのくせにと思いながらも、「さっきガスマスクをつける直前お酒の匂いがしました。この少女は腸発酵症候群なのではないでしょうか 」と研究者らしい理性的な発言を心がけた。


腸発酵症候群。

体内の消化管に住む微生物によって、食物から酒が生成される特殊体質。


「だとすると我々の研究結果である蒸気作動性超分子アクチュエーターか作動するな」

その教授の指摘でようやく私は気づいた。


我々が作っている蒸気駆動式超分子アクチュエーターが関係している可能性に。


蒸気駆動式超分子アクチュエーター。

それは、特定の有機化合物蒸気に反応して変形する物質。

人工筋肉などに応用しようとして、私たちの研究室で作っていた。

アクチュエーターが作動して分子形状が変化した結果、気管支を傷つけることも起こりうる。

すると、何が起こるか。


おそらくこの地域は気管支の内部の細胞にだけ聞く毒ガスが充満していたのだろう。その状態で我々の研究室から超分子アクチュエーターが漏れ出した。


これだけでは、人間の体に害はない。

気管内部の細胞に入れないからだ。

しかし、この状態の空気で少女の口からアルコールが出ると、話は別だ。まず超分子が 作動して気管支を傷つける。次に毒が気管支内部に届いて人が死ぬのだ。


もちろんこの作用は少女自身にも働いているのだろう。文字通りの呪詛の言葉とともに、少女は繰り返し吐血し気絶していた。


教授は私の仮説を聴いて、「なるほど、とても興味深い現象だな」と頷きながら、さりげなく、私のマスクに手を伸ばした。

「何するんですか?教授!!」

慌てて私が手で押さえつけて、剥ぎ取られるのを寸前で阻止する。


教授の表情は変わらない。

いつもの実験の準備をするように。

冷静かつ効率的にプロセスを実行している冷徹な眼差しで。

作業的に私を殺そうとしている。


きっと、研究室から、人体実験の秘密を知った私を殺せと言われているのだろう。

そうなると、もう、私は実験動物のラットと同じだ。

殺すことに躊躇など生まれない。


しばらく私と教授はマスクを取り合っていたが、数秒後にマスクは取られてしまった。


…私のではなく、教授のものが。



いつのまに起きていたのだろう?

教授の背後に、腸内発酵症候群の少女が、立っていた。

そして、私のマスクを取ろうとしていた教授のマスクを取ったらしい。

教授が毒ガスでのたうちながら死んでいく。

それは別にいいのだが、そもそもなぜこの少女は毒ガスで死なない?


色々な疑問を胸に、私が顔をあげると、少女と目が合った。

地面に付くほどボサボサの髪の奥、鱗が生えているようにみえる瞼に囲まれた少女の瞳が見える。

怒りと強い意志が混ざり合った視線を感じた。


ふと「この少女の毒に科学的説明など必要なのだろうか」という疑問が胸の中に沸き起こってくる。

少女は神秘的な存在だから、ヒトを呪うことができ、その結果呪われた人は毒死する。

この理屈の方が、超分子アクチュエーターと気管支内部選択的毒を前提にした説明よりも、シンプルじゃないか。


シンプルな説明の方が正しいという「オッカムのカミソリ」は科学の基本だ。そうだ、やはり少女は神なのだ。間違いない。


一人で納得している私を見下ろして、少女は「お前は私のことを被験体番号で呼んできたが、私の名前は神酒みわだ。これからはそう呼べ。お前のことは嫌いだけど、研究室から逃げるには大人の協力者が必要だ。これからは私の奴隷になれ」と仰った。


私は「かしこまりました」と言いながらひれ伏す。

これから私は巨大な組織から神酒みわを、神を、守らなければならない。

身の回りの世話もしなければいけないのだろう。

酷くこき使われているという感覚。

それ自体は教授にパワハラされている感覚と似ているのに、なぜかこっちの方はとても心地よかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る