影と光のミックスジュース


私は影だ。光世さんという、光の反対側にできた黒だ。


河辺光世さんは本当に、まぶしい存在だ。

いつも元気で、明るくて、誰にでも優しい。

性格もいいのに顔もよい。

強い意志を感じさせる目、軽くウエーブがかかった髪。

男女問わず愛される女性ニュースキャスターみたいな、上品なオーラがある。

さらに、光世さんは「影絵ダンスという独特なパフォーマンスができる人」としても大学では有名だ。文化祭で披露したときは、拍手喝さいだった。

そんな風に光世さんはいつもキラキラして大勢の友人に囲まれた大学生活を送っている。根暗で引っ込み思案な私とは何もかもが違う。光と影のように。


だから私は、1週間前に光世さんに高齢者施設から、「老人たちを喜ばせるパフォーマンスをしてくれませんか」という依頼が来ても驚かなかった。

光世さんの大学での評判が外にまで漏れていったらしい。当然、光世さんが断ることはなく、アシスタントの私とともに老人ホームを訪れることになったのだった。


光世さんは初めから、完璧にふるまった。

高齢者施設のホールの舞台上で、多くの入居者さんの視線を浴びてる中で、「こんにちは!影絵ダンスパフォーマーの河辺光世です」と素敵な笑顔とともに自己紹介しながら登場した。

もし私がその場に立っていたら、老人たちの視線に怯え縮こまってなにもしゃべれずに終わっていただろう。


しかし、流ちょうな光世さんの自己紹介はまだ続く。

「影絵ダンスという芸を知らないひとも多いでしょう。そんな人は、この写真を見てください」

光世さんは、写真を大きく印刷した紙を掲げた。白いスクリーンの真ん中に黒い影がある。何も知らない人が見たら、ウサギの影にしか見えないだろう。

実際は「私の」影なのだが。


「ここに写っているのは私、河辺光世の影なのです。白いスクリーンの向こうで体を柔軟に曲げることで、普通じゃない形の影を映しそれを観客の皆さんに見せるのです。どうです?」そう言いながら光世さんは、観客の全体に笑顔を向けた。「見てみたくなったでしょう」

この時点でホールに集まった老人たちの雰囲気はもう変わっていた。

――この素敵な女性がするという影絵とやらを見てみたい

そんな期待が充満している。


光世さんのカリスマ性に舌を巻きながら、私は老人たちの後ろをコソコソと歩き、機材を持つ「スタッフのフリをして」、白いスクリーンの後ろに入った。

カモフラージュの機材を床におき、準備運動を始めた。

私が準備している間に、舞台の準備も整ったようだ。

光源とスクリーンが、セッティングできたらしい。

「それでははじめます。ぜひ最後までお楽しみください!」という挨拶とともに、スクリーンのこちら側に光世さんが入ってきた。


私と光世さんの目が合う。


それで十分だった。

私は光世さんの視線を背中に感じながら、踊り始めた。

右にはライト、左にはスクリーン。そのスクリーンに私の影が映る。

右腕を思いっきり曲げてウサギの耳を形作る。胴体をまげてウサギの胴体だ。スクリーンに完璧なウサギが映ると、スクリーンの向こうからお客さんのどよめきが聞こえた。

そこから、いつもの影絵ダンスを踊り続けた。

犬、白鳥、桜の木。

様々な影がスクリーンに映る。


その影絵を作りながら「この犯罪を何と呼ぼうかな」と考えていた。

ああでもない、こうでもないと考えて最終的にゴーストライターにちなんで「ゴーストパフォーマー」と呼ぼうと決めた時、予定していた影絵パフォーマンスが終わっていた。

踊り終わると、観客の拍手が響いた。もちろんこの拍手は光世さんに向けられている。それでも嬉しかった。


パフォーマンスが終わった後、光世さんは、私を居酒屋に誘ってくれた。

駅前の裏の通りにある、知る人ぞ知る名店といった趣の店だった。

「お疲れさまー、乾杯!」

光世さんはご機嫌な様子で、笑う。

「光世さんもお疲れ様です」

「ありがとう。利美の影絵ダンス、今日もよかったよー」

「ありがとうございます」

「そんな固くなくていいのに」光世さんは、ペコペコ頭を下げる私を見てほほ笑んだ。「よし、リラックスして話すために、お酒おかわりしようか」

「まだ飲むんですか」

「あれ、嫌だった?」

心配そうにされて、私は「いえ、飲みます。お酒は嫌いじゃないですし」と慌てて首を横にブンブン振った。


「じゃあ、まずはもう一杯のもうよ。どうぞどうぞ」光世さんは私にお酒を注いで、「いやー、毎度のことだけどゴメンね。利美のパフォーマンスを私のものみたいに言ってさ」と突然謝罪してきた。

「今更そこ謝ります?もし私単独だったら、今日の舞台上でのあいさつとかできなくて詰んでますよ」

「はは、サンキュー。確かに利美ってそういうの苦手だもんねぇ。でもね、やっぱりゴーストライターみたいなのって、基本悪いことじゃん」

少し顔をしかめて、光世さんが私の方を探るように見た。


いつも自信満々な光世さんがゴーストパフォーマーについて罪悪感を感じた様子初めて見たかも、と思いながら「なら、やめますか?」と、その目をまっすぐ見つめながら聞いてみた。

半分冗談で、半分本気だった。このままの流れでゴーストパフォーマーを止めてくれないかなと期待した。光世さんと違って小心者の私には、ぶっちゃけ大きな隠し事が精神的につらいのだ。


「確かにそれも一つの選択肢だと思うよ」光世さんは一度は頷いてくれた。「でもね、利美の素晴らしい影絵ダンスが埋もれるのはもったいないと思うんだ」

「いやいや、そんなこと、、、」

「ううん、本当だよ。2年前大学の手品同好会で利美の影絵ダンスみてから、私は利美のファンだよ。あのダンスは、見ている人を感動させる。今日だって多くの人が拍手してたでしょ?やっぱ、あれだけの人を感動させるのっていいじゃん?」

「うん。私も、今日拍手されて、うれしかったです。達成感っていうか」


嘘をついた。本当は客のことなんかどうだっていい。光世さんが嬉しそうにしていることが、すべてだ。はじめ私に声をかけた時から光世さんが私のファンだったように、私だって光世さんのファンだ。

コミュ力だったり、エネルギッシュさだったり、何より大学で孤立していた私に声をかけてくれた優しさに惚れている。


「そっか。それはよかった」

もちろん光世さんはそんなこととは知らず、「利美もやりがいを感じてる」と思って嬉しそうだった。ニコニコしながら、光世さんは私の目を見つめてくる。「じゃあさ、もっと大きい舞台でやってみようよ」

「大きい舞台?」背筋が冷たくなっていくのを感じながら、私は聞き返した。「何の事ですか?」

「うん。実はテレビのバラエティー番組から出演オファーが来ててね。みんな知ってる『衝撃映像事件簿』だよ。」


店内が冷えていく。


「全国の人に見てもらえたら、その分達成感も大きいと思うんだ」

とても嬉しそうに光世さんは、笑う。

だけど私の耳に、光世さんの熱意ある言葉は入ってこない。私はただウンウンと首を縦にふる作業に集中していた。



その夜、夢を見た。

全国の新聞、週刊誌に光世の名前が載っている夢だ。それはもちろん良い意味ではない。

「人気パフォーマーの不正発覚」「近年まれにみる詐欺」のような罵詈騒言とともにだ。

利美のやっている事がバレた未来が、夢の中で生々しくシミュレーションされていた。

「光世さんはいい人なんだ。私のことを思ってやったんだ」そんな言葉が通用するはずもない。優しい光世が悪人として世間に知られていく。そのことが何より辛くて、夢の世界で利美は泣いた。



そこで目が覚めた。昨日と同じタイミングでの目覚めだった。

昨日だけじゃない。この種の悪夢は1週間連続だった。

手で頬を触ると、涙で濡れていた。

「とりあえず、今日の練習しないと」

自分でもほとんど意識がない状態で、そうつぶやいて今日のパフォーマンスのための練習を始めた。

私は心の限界を自覚した。


次の日の朝。

新しい依頼をしてきた高齢者施設の、スタッフルームで私が待機していると、遅れて光世さんが入ってきた。

「おはよう。今日もがんばろうね。」

「うん」私はできるだけ元気なフリをしてうなずいた。「がんばろう」


だけど、一瞬で光世さんに気づかれてしまった。

「ん?どうしたの?元気ないじゃん。」

ばれてしまったら仕方ない。

私は「あの、、さ。今日」とまで言って、しかし、それ以上の言葉が出ない。

「今日のパフォーマンスで全部終わりにしよう」といいたかった。だけど言えなかった。光世の屈託のない笑顔を見るともうなにも言えない。

「今日の朝、ここに来るまでに日本酒買ったんだよね。今、車に乗せてる」

私は頓珍漢なことを言ってごまかした。

「へぇ、利美が買うなんて珍しいじゃん。」

「水筒に一部を入れてみたんです。どうです?」

「ふふっ」光世さんは愉快そうに笑った。「水筒にお酒入れるなんてやっぱり利美は面白いな」

光世さんは飲んで、「うまい」と言ってくれた。

「気に入ってもらえてよかったです。じゃ、先に行ってきます」

私はスタッフっぽい服に着替えて会場へ出発した。


そこからは昨日とおなじだった。

光世さんが観客の前でしゃべり、私がスタッフの振りをしてスクリーンの後ろに入る。


異変がおこったのは、光世さんが舞台袖に来た時だった。

「利美、お願い、、」と言ったところで、光世さんがそのまま倒れたのだ。

私は、ホッとした。

酒に入れておいた遅効性の毒がちゃんと効いたらしい。



そして光世さんの死亡を確認した後、悲しみが押し寄せてきて、私は泣いた。

泣きながら私は影絵ダンスを踊りはじめた。

私は光世さんが嫌いになったから殺したのではない。消去法の結果だ。


光世さんの頼みを断れない。

光世さんに黙っていなくなることもできない。

光世さんの悪事が発覚する恐怖におびえ続けるのも、イヤだ。

だとしたら、光世さんを殺すしかない。それ以外にどうしようもないのだ。

私は影だ。影を消すにはまず光を消さなければならない。

光世さんという光が消えて、初めて私という影は自殺することができる。

だからこれは、影である私にとって、正しい理屈なのだ。


影として正しい。影として正しい。影として正しい。影として正しい。


何回も自分に言い聞かせながら踊っていると、私の影絵ダンスの時間がいつのまにか終わっていた。

音楽がとまり、ライトがオフになった。

それと同時にスクリーンに映っていた私の影も消えた。

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