第4話~4
さて、女(同性)からの性被害。
その話の前に、今回、私はある思いが沸き起こっている。勿論今回の事は本当に災難だったと思う。ただ、本社の方に随分と動いていただき、且つ、思いもよらない結果を決断していただき、その実りは私にとってかけがいのないものになりました。その事については深く感謝しています。
思えば、時代は随分と変わった。そんな実感を得られた時、数年前、自助ミーティングと離れようと思った事。。間違いでは無かった。。と今回の事であらためて実感する事が出来た。。
あの時、いつまでも被害者同志で吐き出し合っても何も世の中かわりはしない。。安全な場所だけでは物足りない。。何故?一般の社会に溶け込みその中で自由に自分の過去を話せないのか?何故?隠さねばならないのか?
被害者なのにどうして加害者扱いを受けるのか?社会に飛び出してこそなんぼのもんじゃないか?生きにくさ?そんなもんいつか払拭してみせる。。そんな気持ちで自助ミーティングにはもう行かない!と決断した。
勿論もう一つの事がキッカケでもあったのだけれど。。
それは近親姦に愛があるかないか?
あそこの人たちは愛があると言う。。おまけに性的行為の中にも愛の有るやり方?みたいなのがあって?そうはしてくれなかった事が悲しいとまでいう者までいるのだ。。(これは会の動画でも語られている。私も出ていたが私の分は消去してもらった。その後全部消したみたいだが。。)
この自助の中心的メンバーと私の違いが明確になった瞬間でもあった。
幼少期から親族から性的に手懐けられた被害者と幼少期から暴力と暴言の檻にねじ込まれ後から近親姦を強要された被害者と根本的に違うという事。。
その中心的メンバーがファシリテータ(進行役)をして会は運営されている。しかも他人の被害と自分の被害を比べるな!比べることは回復に繋がらないばかりか他者(被害者)を傷つける事になるというのだ。これでは口を塞がれ、違うと思う事を黙れと言われたも同然。勿論黙りはしなかったが、自分がマイノリティの中の更にマイノリティのような気がしたのを覚えている。
ここは自助ミーティングという檻ではないか?私はわざわざ、檻に通うのか?と自問自答し、その頃の主治医に相談したことがある。。
私は近親姦に愛なんかある筈もないと言うのが根本だけれど、私の考え方は被害者たちの中でマイノリティなのだろうか?と。。
すると。。主治医は彼女たちの方がマイノリティだと言う。。だからあそこに集まってるんですよとも言われた。。その言葉を聞いてあそこへ行く必要は無くなったと思えた。。
さて。。話を戻すと、今回の出来事を
書く前にまず、携わった本社の方に対する気持ちをはじめに書いておきたかったのは、社会(すなわち会社)に私の過去を洗いざらい話したうえで、今回フラッシュバックした事が相当に苦しかったという私の気持ちを穿った取り方をせず、きちんと被害者は私の方だったのだという事を配慮していただいた事。。
大きな実りと感謝しております。。という事。。
過去に何度も性被害を受けた。。その時代と、今とでは世間の許容力が大きく変わってきているのだと実感できた。。
やはり被害者は社会に紛れてこそ、世の中の人の心が変わるのだと思った。。
何故変わるのか?は。。。
最初から私に寛容であったわけでは無かったから。。
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