第13話~13
「生きていられますか?」
思えば生きていられなかった。。
あの頃、自殺と言えば?睡眠薬。。手首を切る。。そんな情報ぐらいがあったような気がする。。そして決行もした。。
私は思春期、アイドルに対してファン意識と言うものが薄く、それでもひとりにだけ芸能人のファンになった事がある。。
「沖雅也」
そしてファン意識もとうに薄れた頃、私が21歳の6月に彼は自殺した。。その死に方がセンセーショナルだった。
彼がそうしたからと言うより、飛び降りれば死ねる。。
私にとって1つの情報となった訳だ。。
当時私はマンションの11階に住んでいて、時折窓の柵に足を掛け、身をのりだした事がある。。
「嫌な感触」に苦しみ続け、とんでもない性癖を抱え、自暴自棄になり、中絶と言う自傷行為をするため、わざと妊娠するように仕向け、心変わりもあり、産みたいと願うも叶わず、
私にとって最大に自分を追い込む自傷行為となった時、
あの日、あの中絶の日に私は恩師と出会っている。
約束をすっぽかそうとしていた私は、麻酔と酒で行き倒れるように眠っていたけれど。。どうして数時間で目が覚めたのか?それでも朦朧とする中、どうして面接に行ったのか?今でも不思議。。。心の深いところで生きたかったとでも言いたげに目が覚めたのか?
もし、あの日、目が覚めず、行かなかったら?私はダンサーにはならず、あの日の夜中辺り、麻酔と酒からも完全に目が覚めた時、消失感という絶望から這い上がれず、自分のしでかした罪に飲み込まれ、きっと飛び降りていたのだと思う。
生きるか死ぬかは紙一重。
親は自分の命より子供の命が大切なのだろうか?
世間ではそう言われていても、私にとっての親は私を所有物にしかしておらず、
その私も自分の分身を物扱いにして殺すために授かり殺した。
そんな押しつぶされそうな罪から逃れ、まるで滑り込みセーフのように私はその後を生きた。。。
「生きていられますか?」という問いにあの頃の私だったら
「生きていられるわけが無い。」そう答えたのだと思う。
私にとっての「嫌な感触」とは。。父から受けた傷だけではなく、
後遺症のように自分のしでかした罪や傷。。
そういった事も含まれた過去の出来事の象徴なのだ。。
「嫌な感触」から解放されたのは、ダンサーになり、恩師の励ましの言葉が
私の心にひびき、知らぬうちに開放されていた。そして、仕事の流れで、母が私に強いた「歌」の技量がその後の私の生きる意欲をかきたてる事になる。
いつから?「歌」が邪魔になったのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます