第6話.フリート・カスティネッタ ―1
僕は物心つく頃から、「頭が良い」だとか「優秀」だとかの言葉で周りの大人から褒められることが多かった。
実際、彼らの言うとおり頭は良かったのだと思う。どんなことでも学ぶのが好きで、勉強の時間は苦じゃなかった。歳の近い友人と遊ぶよりも、外に出るよりも、机に向かう方が好きで性に合っている。
だからといって、同世代の人間との社交的な付き合いも軽んじているわけじゃない。そのおかげか、聞こえてくる評判は良いものばかりで両親からも信頼されていた。
魔力が使えるようになってからは、腕も磨きつつ新たな魔法の研究にも取り組んだ。いずれは魔法省かそれに準ずる研究機関に入って、更なる文明の発展に貢献したいと思っている。その点についてまだ父には話していないのは、「そんなことは将来考えればいい」とかそういう風に言われるのを嫌ってのことだった。
そんな僕には一人だけ妹が居る。
――リオーネ・カスティネッタ。
それが僕の妹の名前だ。
僕は妹のことがあまり好きではない。
というよりどちらかというと、嫌いだと思う。あまりにも外聞が悪いから、口に出して誰かに言ったことはないけれど。
あの妹のことを考えようとすると、僕はきまってあの可哀想なメイド……ルーシー・ソウのことを思い出す。
ルーシーは地方貴族の娘で、カスティネッタ家には花嫁修業のためにやって来た。仕事上の失敗も多かったがいつも健気に働いていて、僕は他の使用人達と比べると歳の近い彼女に親しみを抱いていた。
しかしある日、事件が起こった。
ルーシーが父の大切にしていた壺を割り、屋敷を出て行くことになったのだ。
父は優しい人なので、頭ごなしにルーシーを叱りつけはしなかったようだが……ルーシーは自主的に屋敷を出る、と決めたらしい。
だけど僕は思った。妹の所為ではないかと。
妹は性格が悪く、不手際の多いルーシーを罵ることがあった。
そんな妹が、ルーシーを追い出すためにわざと壺を割ったんじゃないか……僕はそう考えたのだ。
他の使用人やメイド達も、口には出さなかったが何人かはリオーネの仕業だと思っていたはずだ。
リオーネは優しい父と生真面目な母の間に生まれたとは思えないくらい、我儘で高慢な娘である。
貴族とは生まれではなく、その生き方こそが貴族たらしめるものだが、妹はそんなことは欠片も理解していない。自分のもののように大きな力を振りかざし、弱者をいたぶる。
赤ん坊の頃はその小さくぷくぷくとした手を握ったり、抱いてやったこともあったが……気がつけば、僕はリオーネとは距離を置き、挨拶を交わすだけの冷え切った兄妹となっていたのだった。
そんな妹の様子が、ある日突然おかしくなった。
この国の第二王子であるユナト・ヴィオラスト殿下との婚約が決まってはしゃいでいたくせに、王子を招いた昼食パーティーの後にこんなことを言い出したのだ。
「お父様、お母様。王子はとっても素敵な方だったけど、わたくしに彼の婚約者としての器はないと思います!」
それを聞いた僕は驚いた。
何かとんでもない粗相でもしでかしたのかと思いきや、別にそういうわけでもないらしい。ただ、「自分では王子には不釣り合いだ」と妹は一点張りで主張しているのだ。
前日には「わたくしに釣り合うのは王子レベルくらいだ」みたいな言葉を吐き散らかしていたのに……僕はビックリしたが、それだけだった。
きっと次の日になったら、元通りの高慢な娘になっているだろう。そう思っていたのだが……
「お兄様、お兄様。今日こそリオーネと遊んでくださいますか?」
妹の様子は変わらなかった。
というかむしろ、変な方向に悪化していた。
以前は僕を見ると冷え冷えとした顔をしていたのに、今では会うたびに顔を輝かせ、そんな風に一緒に遊びたいとねだってくる。
それだけじゃない。使用人達が何かする度に「ありがとう」と微笑むし、ひどい我儘も口にしなくなった。
リオーネのこの静かな変化には屋敷中が、お嬢様は何かの病気ではないかとか、変な物を誤食してしまったのではとか、そんな騒ぎになったが原因は分からなかった。
僕は構ってと寄ってくる妹をうざったく思い、態度を変えずに接したが、何度もめげずに話しかけてくるのでだんだんと辟易としてきた。
いったい何を考えているのか分からない……また何か悪さをするつもりなんだろうか。
そんな日々が続く中、父の提案で久しぶりに家族で旅行することになった。
旅行といっても、カスティネッタ家所有の別荘で過ごすだけだが、僕もそれに参加することになってしまった。
でも僕にはやりたいことがある。魔法省に勤務している父の友人に論文を見てもらうのだ。父は僕が論文なんて書いていると知ったら唖然とするだろうから、まだ詳細は伝えていないのだが。
だから別荘に着くとすぐ寝室に籠もり、しばらく作業に明け暮れた。構成が出来ただけなので、やることはまだいくらでもある。
午後三時頃、さすがに集中力が切れたので僕は一度寝室を出ることにした。
すると妹が真っ先にぴゅんっと駆け寄ってくる。
「お兄様! よく眠れましたか?」
どうやら僕が出てくるのをずっと待っていたらしい。
父に言われ、僕は妹を連れて近くの森に散歩に行くことになった。
その間もずっと妹は何が楽しいのかご機嫌で、僕はそんな様子を見ていて思わず――訊いてしまった。
「ここ数年、僕に近づいてこなかったよね。それなのに何で最近になってそんな風に絡んでくるんだ?」
「わたくし、お兄様と仲良くなりたいのです。ただそれだけですわ」
……意味が分からない。
僕はそんな妹にルーシーの名を告げた。
どうせルーシーのことなんか覚えてもいないのだろう、と思ったが、意外にも妹は驚いた顔をしていて、そのことを覚えているようだった。
そして僕が、お前がルーシーに罪をなすりつけたんだろうと言うと、弁解するでもなく妹は小首を捻って言った。
「どうしたら今のわたくしのこと、ちゃんと見てもらえるでしょう?」
僕はかなり驚いた。
気に入らないことがあるとすぐに叫ぶ妹と、目の前の人物はまったく似つかない。
妹は間違いなく理性的で、むしろ僕より落ち着いていたくらいだった。
そのせいか、僕は思わず言ってしまった。
課題に一段落ついたら、話をする時間を取ると約束してしまったのだ。すると妹は喜色を浮かべ、森の中の小屋で待っているからと笑って言った。
……自分でも、何であんなことを言い出したのか分からない。
別荘に戻ってからは、そのことを忘れるように一心不乱に課題に取り組んだ。
そうしている内に、次第に外から雨の音がし始めた。
窓に目を向けると、いつの間にかずいぶんと空が暗くなっている。雨雲に覆われているのもあるだろうが、それなりの時間が経っていたようだ。
もう妹は小屋に居ないだろう。何時になっても待つなんて言っていたが、実際はすぐに飽きて小屋を飛び出したに違いない。
僕は気にせず論文に取りかかることにした。そうしている内に、妹との約束は朧気になっていった。
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