第3話.仲良くなりたいです



 馬車から降り立った私は身体を伸ばし、ふぅーっと息を吐いた。


 いよいよやって来たぞ、家族旅行!

 今日という日をどれほど待ち望んでいたことか!


 家族四人と数人の使用人でやって来たのは、カスティネッタ家所有の別荘のある避暑地だ。

 ここならば邪魔するものもなく、私の兄――そして『恋プレ』攻略対象の一人である、フリートと距離を縮められるはず。


 そう考えた私はやる気に燃えていたが……別荘に着いた途端、兄がこんなことを言い出した。


「少し疲れたから寝室で休むよ」


 えー!? 着いてすぐ寝ちゃうの?!

 私は慌てたけど、疲れている人を無理に引き留めるわけにもいかない。

 早々に寝室に退散してしまったフリートの背中を見送り、私は父と母に呼びかけた。


「わたくし、お兄様のためにリンゴを剥きたいですわ!」


 それを聞いた両親はきょとんとした顔をする。


「フリートは疲れただけだから、リンゴはいらないだろう」

「それにリオーネちゃんに包丁なんて危ないもの使わせられないわ。自分が食べたいなら使用人に言いなさい」

「それなら枕元で子守歌を歌いますわ!」

「……何もしないのが一番、フリートさんのためになるわよ」


 喚く私を母が無理やり引っ張り、テラス席へと連れ出される。


「さぁ、ここでお母さんとランチをいただきましょう」


 そ、そんな。誰も私の味方はいないのか。

 私は愕然としつつも母と共にサンドイッチとポテトフライ、食後のヨーグルトをいただいた。というか、母はほとんど食べなかったので私がほぼ全部食べた。


 外で食べるといつも以上に美味しく感じるのって何でだろうね?




 午後三時頃、ようやく兄が寝室を出てきた。


「お兄様! よく眠れましたか?」


 と私が声を掛けると、兄は微妙な表情で「ああ……」と頷く。

 うー、やっぱり警戒されてるなぁ。と思っているとお気に入りの椅子で読書をしていた父が、


「最近のリオーネは、以前よりも朗らかというか……優しい女の子になったね」


 なんてことを甘いマスクで口にした。


 ちなみにカスティネッタ家の嫡男である父――マオルス・カスティネッタは、青髪青瞳のとんでもないイケメンだ。兄は父によく似ていて、端正な顔立ちや理知的な瞳はそっくりである。

 そして母のロゼ・カスティネッタは別の上級貴族の家から父の元に嫁いできた。私達を産む前は"社交界の華"と呼ばれ、男女問わず憧れを集めていたのだそう。

 私は母に、髪と瞳の色以外は似ているとよく言われる。

 母はツンッと尖った近寄りがたい美人、という雰囲気なので私としてはそんなに似てないと思うけどね。リオーネ・カスティネッタは親しみやすい令嬢を目指してますので!


 上級貴族の場合は政略結婚が珍しくないけど、父と母は若い頃に夜会で出会い、そこで恋に落ち……ゆっくりと恋愛関係を育みながらゴールインしたのだという。我が両親ながら実に羨ましい。


 夫婦仲が良いからか、父の言葉を思いきり否定したりはせず母はボソッと付け加えた。


「食事量と睡眠量は以前の倍以上ですが……」


 だってさ。さては褒められてないな、別にいいけどさ。

 でもこれは使えるかも? 兄にも私が以前のリオーネとは違うってことをアピールできそうだ。

 私はそれっぽく首を傾げてみせる。気持ち的には、乙女ゲー主人公の天然ボケをイメージだ。


「そうでしょうか? 自分ではよく分かりませんわ……お兄様はどう思われます?」

「僕は別に何とも」


 な、何とも思われてないだと! ショック!


「フリート、妹に意地悪はよしなさい。お前らしくもない」

「……すみません、父さん」

「そうだリオーネ、フリートと森で遊んできたらどうだ?」


 ナイスアシストですわお父様。

 私は大袈裟にその場で跳ねて喜んでみせた。


「わぁ、うれしい! リオーネ、森だいすき!」


 兄がバカを見る目でこっちを見ている気がした――。




 別荘を出た私と兄は、すぐ近くの森を散策することになった。


 というのも、悪気無く父と母がこっちに手を振っているので兄も逃げられなかったのだ。私は笑って手を振り返しながら別のことを考えていた。

 あの二人、子供達を追い出して別荘でイチャつくつもりなのでは……?


「何してるの。行くんだろ」

「はっ、はい」


 兄の歩幅は大きく、私は小走りにならないとついていけない。

 そして私には絶望的に体力がない。何せ公爵令嬢リオーネちゃん、基本的に移動は馬車一択なのである。

 小さい森といっても、子供の目からすれば立派な樹海レベルだ。


 顔を上げる余裕もなく、ぜえぜえ言いながらどうにかついていくと、


「あのさ。何のつもり?」

「え?」


 しまった。疲れてちゃんと聞いてなかった。

 私が慌てて首を正面に戻すと、数メートル先で立ち止まった兄がこちらを睨むように見つめている。


「ここ数年、僕に近づいてこなかったよね。それなのに何で最近になってそんな風に絡んでくるんだ?」


 私はどう答えたものか一瞬迷う。

 だって前世がどう、乙女ゲームがどうどう……なんて説明するわけにはいかない。一歩間違ったら精神病院送りになるかもしれないし。

 頭の中で考えながら、私はなるべく素直な気持ちを伝えることにした。


「わたくし、お兄様と仲良くなりたいのです。ただそれだけですわ」


 そう、主人公がフリートと良い感じになった場合は破滅する未来を回避しなきゃだし、そして何よりフリートとは仲良くなりたい! 個人的に!


「とてもじゃないけど信用できない。そもそも、僕はお前と仲良くなりたくない」


 ……ど、どうしよう。とりつく島がない。

 私が沈黙していると、兄はそっぽを向いてから続けた。


「……お前は覚えてないだろうけど。二年前、お前はあるメイドをカスティネッタ家の屋敷から追い出した」

「!」


 兄はそう前置きしたが……私はもちろん覚えている。

 正確に言うなら、前世の記憶が甦る前のことだが――五歳のリオーネは、一人のメイドを辞めさせているのだ。


 メイドの名前はルーシー・ソウ。地方貴族の娘で、カスティネッタ家には花嫁修業として奉仕していた十二歳の少女だった。

 我儘なリオーネの世話にはかなり手こずっていて、ルーシー自身も仕事上の失敗が多かった。そしてあの日……


「あのメイド――ルーシーは父が大切にしていた広間の壺を割ったことを謝罪し、屋敷を出て行った。

 だが僕は真相は違うと思っている。壺を割ったのは本当はリオーネ、お前だったんじゃないか? そして父の怒りを買うのを恐れたお前は、ルーシーに罪を押しつけて逃げたんだ」


 ……私はこの話のことをよく知っている。

 というのも、前世――村瀬理音である頃からよく知っていた。


 これは【冬 ~フリートルート~】で初めて明かされる、カスティネッタ兄妹の不仲の理由が語られるエピソードである。

 実の兄妹であるにも関わらず、顔を合わせば激しく口論をする関係……主人公が「何かあったんですか?」とフリートに聞き、好感度が足りていた場合はその理由を教えてもらえることになるんだ。


 といってもリオーネの方は、たぶん最初からフリートのことが好きだったと思うんだよね。

 素直になれないからこそ、気を引きたくて、構ってほしくて意地を張っていたというか……でもそういうリオーネの態度じゃフリートには伝わらなかった。だからリオーネはますます意固地になっていったんだ。


 そしてもちろん、乙女ゲープレイヤーとしての記憶と、小生意気な幼いリオーネとしての記憶を併せ持つ現在の私は、その件について兄とちゃんと話したいと思っているのだが。


「どうしたら今のわたくしのこと、ちゃんと見てもらえるでしょう?」


 私が令嬢らしからぬ腕組みをして小首を捻ると、兄が不審そうに「え?」と眉を寄せる。


「わたくし、お兄様と向かい合ってお話がしたいです。たくさんお話したいことがあるのです」

「…………」


 そう、私一人が話したいと思ってもどうしようもない。

 リオーネを嫌っているフリートにもそう思ってもらわなければ、意味がないんだ。

 でもなぁ……これ以上私が何を言っても逆効果というか、ますます怒らせちゃう気がするよ。


 そう思って困っていると、兄が小さく呟いた。


「課題があるんだ」

「課題、ですか?」

「父の友人で、魔法省に勤めている方がいて……その方に今度、論文を見てもらえることになった。それが一段落しないと、落ち着いて話は出来ない」

「論文を!? すごいですわ、お兄様!」


 私が目を輝かすと、兄は少しまごついた様子だった。


「別にそんなに大したことじゃ……まだ出来てもないし」

「でも去年、魔力の才に目覚められたばかりなのに既に魔法学の本格的な勉強を始めてらっしゃるなんて! しかもご多忙な魔法省の方がお兄様のために時間を取られるのは、その価値を見出してらっしゃるということでしょう? 素晴らしいと思いますわ」

「……ずいぶん難しい言葉を知ってるね」


 うっ! 確かに今のは七歳児っぽくなかったな……。


「こ、こほん。そういうことでしたらわたくし、お兄様がいらっしゃるまで――あちらの小屋で待っていますわ」


 私はごほごほ誤魔化しながらそう提案した。

 別荘では両親や使用人に話を聞かれる可能性がる。それならと、すぐ近くに一件の小屋が建っていたのでそれを使うことにしたのだ。

 この一帯はカスティネッタ家の所有地なんだから、私が使っても特に問題ないはずだしね。


 しばらく小屋の方を見遣っていた兄は視線を戻し、私のことを見下ろした。


「何時になるか分からないけど」

「何時になっても待ちますわ! わたくし、暇の潰し方は心得ておりますので」


 そう、暇なときは睡眠するに限る。これぞリオーネ流ライフハックです。

 外だってこんなに晴れているんだし、しばらく寝ているくらい何てことないだろう。


 私が譲らないと分かると兄は頷き、こちらをちらっと見てから再び来た道を引き返していった。

 私は離れていく背中に笑顔で手を振った。



「お兄様、論文ファイトですわ!」




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