第5話.仲良くなれました
「お――お兄様!」
そこに息を切らして立っていたのは私の兄――フリート・カスティネッタだった。
雨避けのコートを着て、ぜえぜえと肩で息をしている。
それに、なぜか私のことを幽霊を見るような目で見ていて……。
というか、どうしてフリートがここに? って……あっ、そうだった。
私、もともとフリートとこの小屋で待ち合わせしてたんだった。
課題の論文はもう終わったのかな? それならようやく二人で腰を据えて話せるぞ!
そう思った私はまだ頬をぽろぽろ伝う涙を適当に拭って、フリートににこっと笑いかける。
するとフリートが大きく目を見開き……一歩後ろへと下がると、ようやく口を開く。
「ここでずっと……僕を待ってたの?」
「はいっ、もちろんです!」
実は何で自分が小屋に居るのかは、居眠りしてる間に忘れてたけど……余計なことは言うまい。ますますアホって思われちゃうだろうし。
「リオーネ様! こちらですか!」
すると立ち尽くすフリートの後ろから、家の使用人がばたばたと駆け込んできた。
どうやらみんな、私のことを心配して近くを捜索してくれていたらしい。
私はすぐ彼らに救助され、結局旅行中は、ほとんどフリートと話すことができずに終わった……。
カスティネッタ家の本邸に戻ってから、私にはしばらくの外出禁止令が下された。
というのもあの嵐の日、私がひとりで小屋で遊んでいたのを知った母は大激怒で、父でも宥めるのに苦労したくらいだったのだ。
「公爵令嬢としての自覚が足りない」と数時間に渡る説教を受け、当面は安全な屋敷内で過ごすように、なんて言いつけられてしまった。
しかも元気が有り余ってるようだから、なんて理由で七歳にして家庭教師をつけられてしまった。嘘でしょ! 私まだ七歳の子供だよ?!
そのおかげで最近の私は礼儀作法、ピアノ、ダンス、裁縫に乗馬のレッスン、それに家庭教師から毎日この国の歴史を学び……とてんてこ舞いだ。
忙しくて時間が足りず、十三時間の睡眠時間は、何と十二時間にまで減らされてしまった。もう心身共にボロボロだよー。
私は毎日ぐったりしながら心に誓った。
今後はちょっとした悪さをするときは両親にはバレないように気をつけよう。表向きは完璧な公爵令嬢としての姿を貫き通すんだ……。
そんな疲れる日々が続く中、部屋に戻るため長い廊下をふらふら歩いているとフリートが前からやって来た。
フリートはあの後、父の友人である魔法省の方からも論文を評価され、ちょくちょくそちらの家に呼ばれては勉強に励んでいるらしい。外行きの格好をしているので、今日もこれからそのために出かけるところだろう。
毎日のように刺繍針を指にぶすぶす刺してる私とはレベルが違いすぎるね。おかげで指先は包帯だらけだよ。
「ごきげんよう、お兄様」
「……ああ、リオーネ」
そういえばフリートと顔を合わせるのはかなり久々かも。
というか何か、あの日以降避けられているというか……旅行帰りの馬車でも素っ気なかったし、家に帰ってきてからもそうだ。フリートと話すチャンスはほとんど無かった。
しかし私は疲れ切っていた。
破滅エンド回避は私にとって大事な任務だけど、今はそれどころじゃない。死ぬほど寝かせてほしい。
「……何か顔色が悪い気がするけど。大丈夫?」
顔色? 私、顔色悪いの?
「ええ、平気ですわー」
私はそう答え部屋に戻ろうとするけれど、そこでふらっと足がもつれた。
あれ? あれれ? なぜかうまく立てないんだけど……
「リオーネ!?」
焦ったようなフリートの声を最後に聞いて。
私の意識は、完全にブラックアウトした――。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
……目を開けると、見慣れた天井……ではなくピンク色の天蓋が私をお迎えしてくれた。
この天蓋付きベッド、可愛いけどやっぱりちょっと子供っぽいよね。十歳くらいになったら、もうちょっと落ち着いたデザインのベッドがいいってお母様に言ってみようかな。
そんなことを思って起き上がろうとするが――なぜかうまく身体に力が入らない。
妙に身体が怠かった。
「あら?」
不思議に思っていると、右横のカーテンが控えめに引かれる。
「リオーネ。目、覚めた?」
えっ、フリート? 何故私の部屋に?
という私の疑問を感じ取ったのか、フリートが状況を説明してくれた。
「廊下で突然、気を失ったんだよ。体温を確認したらひどい熱さだったから……それで人を呼んで部屋まで運んでもらったんだ」
私はフリートの言葉に驚いた。
でも言われてみれば、確かに額とか頬とか結構熱いかも。
そうか、私は繊細な公爵令嬢、リオーネ・カスティネッタ……詰め込み式のスパルタ教育は肌に合わなかったということか。お母様に待遇改善を要求しとこっと。
なんて考えていた私だったが――そうだ、それどころじゃない!
「ご迷惑をおかけしました、お兄様。お出かけする所でしたのに申し訳ございません」
そう、私が倒れたせいなんだろうけどフリートが出かけていないのだ。
これはまずい、ただでさえ最低の好感度を下げるわけにはいかない。
慌てて上半身を起こそうとするけど、そんな私をフリートが押し留める。
「いいよ、気にしないで。先方には断りの連絡をしたから」
「ですが」
「それより話したいことがあるんだ」
私は息を呑む。至近距離から私の顔を覗き込むフリートの顔がとても真剣だったから。
九歳だというのに、既に顔が整いすぎてて格好良い。さすが未来の乙女ゲームの攻略対象だね、眼福眼福。
こんな格好良い兄が間近に居て、その成長を一日ごと追えるってある意味すごい特権かも。
ああ、なんか今後のフリートの成長が待ち遠しくなってきちゃった……これじゃ妹っていうより母目線かも?
「…………あの、聞いてる?」
「き、聞いてませんでした! もう一度お願いします!」
私が言うと、フリートは小さく溜め息を吐いてから口を開き直した。
「……ルーシーから手紙が来たんだ。旅行から帰ってきてすぐ」
「えっ」
ルーシーというのは、二年前にリオーネが辞めさせたとされる一人のメイドだ。
その出来事はフリートとリオーネの間に大きな溝を生むことになったけど……。
「ルーシーの手紙には、僕にとって驚くようなことが書いてあった」
「…………」
「でも僕はその内容がどうしても信じられなくて、『リオーネに脅されてるのか?』って返事を送ったんだ」
私は心臓に深いダメージを受けた。
……ひょっとして私、実の兄に嫌われすぎ?
「だけどついさっき、またルーシーから返事が届いて……逆に僕が怒られてしまった」
「ルーシーにですか?」
「ああ。リオーネ様は、フリート様が思うような方じゃありません――って」
苦笑したフリートは、私に二通の手紙を見せてくれた。
そこに書かれていた内容は、私自身にとっては驚くような内容じゃない。だって前世の頃から知っていたことだから。
手紙に書かれていたのは、ルーシーがカスティネッタ家のメイドを辞めることになった原因の事件のことだ。
そう、父が大切にしていた壺を割ったのはルーシー本人だった。
あの日ルーシーは少しぼんやりしていて、壺を拭いている時にリオーネに話しかけられ、驚いて壺を台座から落としてしまったんだ。
まぁ、だから半分リオーネの所為とも言えるのだが……真っ青になって慌てふためくルーシーに、リオーネはこう言い放った。
「わたくしにおねがいするなら、このつぼはわたくしが割ったことにしてもよろしくてよ!」
言い方は小生意気だが、つまりルーシーの罪を被ってもいいと言ったのだ。というのも、実はリオーネは素直で純粋なルーシーのことをとても気に入っていたから。
そしてリオーネには自信があった。何せ父親からは目に入れても痛くないほど可愛がられているリオーネのこと。壺を割ったのが自分であればそんなに怒られないはず、という目算があったんだろう。
でもその申し出をルーシーは断った。理由は、
「お仕えするお家のお嬢様に、自分がやったことを押しつけるなんて出来ません」
という至極まっとうなものだった。
しかしそれを聞いたリオーネは激怒した。せっかくの提案を断ったルーシーが許せなかったのだ。
リオーネは両親にルーシーの非を強く主張し、ルーシーは釈明しなかった。そしてそのまま、荷物をまとめて屋敷を去ったのだ。
……という、事件の真相が分かる唯一のルートがフリートルート、しかもそのハッピーエンドの場合である。
あの高慢ちきで我儘お嬢様のリオーネにも、実は可愛い時代があったんだ! とファンに衝撃を与えたことで、このルートは一部では【壺エンド】なんて呼ばれていたりもする。
それを知っていた私は前世の記憶を取り戻してすぐ、ルーシーに謝罪の手紙を書いていた。
確かに壺はリオーネが割ったものじゃなかったけど、その後リオーネが逆ギレしてやったことはルーシーにとっては手酷い行為だっただろう。
そのことを、今さらだけどキチンと謝っておきたかったのだ。
本当は手紙じゃなく直接会いに行きたかったけど、さすがにはるばるルーシーが住む町まで遠出する許可は得られなかった。
ルーシーは怒ってなんていない、むしろ気に掛けてくれて有り難い、今は婚約者も出来て楽しく過ごしている、みたいなお返事をくれたけど……読んでみると、フリートへの手紙にも同じようなことが書いてあった。
つまり社交辞令というわけじゃなく、本当にルーシーはリオーネの行為を許してくれていたらしい。何て心が広いんだ。
「ごめん、リオーネ」
私がその声に顔を上げると、ベッドの脇に立ったフリートは暗い顔をしている。
「僕はルーシーの件を誤解して、君に冷たい態度を取ってた。それにこの前の旅行の時もそうだ。君はずっと嵐に怯えながら小屋で待ってくれていたのに、僕は約束を破った……」
「そんな。お兄様は何も悪くありませんわ」
だって事実として、私――リオーネがルーシーを追い出したようなものだし。
それに小屋で待っている間も、ほとんど寝てただけだし……。
「僕は君にどう償えるだろう、リオーネ。何をすればいい?」
何やら必死にそう言い募るフリート。
う、困ったな。私としてはただ誤解が解けて、兄妹仲がちょっとは改善すればいいな~くらいに思ってただけなのに。
フリートは私が何か要求するまで引かなそうな様子なので、私は困った末に――ぽろっと言った。
「……頭を撫でてほしいです」
それを聞いたフリートはぽかんと口を開けた。
ああっ、違うんです!
決して、やましい気持ちがあるわけじゃなくて! ただ「お兄ちゃん」っていう存在にずっと憧れてただけで!
別に夢願望があるわけでもなくて~! と私が頭の中で必死に言い訳している内に、なぜかフリートはくすっと笑った。
「今日は疲れたろう。もう、このままお休み」
「は、はい……」
私は頷き、またベッドに横たわる。
すると横からそっとフリートの手が伸びてきて……私の熱い額に、おずおずと触れた。
ぎこちない手だった。
汗で額に張りついた髪を、その手がそっと剥がして濡れタオルで拭ってくれる。
冷たくて気持ちいいなと思っていたら、次はそっと頭を撫でられた。何度も何度もゆっくり。
フリートの――お兄様の優しい手の感触にほっとして、私の意識は再び夢の中に落ちていった。
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