iv

――――九八三年 雛罌粟ノ月七日



「……暑いなぁ」

「しょせん人間なんて、自然の前では無力でちっぽけな存在ですのね……」


 頭上でさんさんと輝く太陽を忌々しげに見上げ、パトリックは小さく呟く。その言葉に、傍らに立っていたオリビア・チェンバレンも力なく頷いて、緩く巻かれた濡れ羽色の髪を重たそうに払った。

 思わず視線が向かう。オリビアの黒い髪は昔から羨ましかった。彼女の髪がアレクサンダーの髪と同じ色だからだ。パトリックの髪は父譲りの銀灰色だった。父と同じこの髪の色は気に入っているが、幼馴染三人組の中で一人だけ違う色というのはあまり面白くない。

 アレクサンダーとオリビアの母は異国人だ。海の向こうからやってきた皇女ルゥリはこの国の王のもとに輿入れし、彼女の側近達もその多くがこの国の有力貴族達と縁づいた。チェンバレン侯爵夫人シャクリャもそのうちの一人で、もともとルゥリの侍女だったが今はアレクサンダーの乳母をしている。


「大げさな事を言わないでください。ほら、僕もひがさに入れてくださいよ。ひざしがちょくせつ当たるせいで、余計に暑いんです」

「だって、近づかれると暑いんですもの。ひがさをさしていても、すずしくなるわけではありませんのよ?」


 オリビアは文句を言いながらも、差していた白いレースの日傘をパトリックも入れるようにずいと動かす。パトリックは苦笑しながらもオリビアの手から日傘を取り、ちゃんと二人が入れるように持ち上げた。二人の背丈にそこまで差はないが、オリビアが非力なせいで日傘はぐらぐらと揺れていたのだ。オリビアに任せるよりもパトリックが自分で持ったほうが安定するだろう。

 彼らの周囲に付き添いの大人はいない。六歳の少年少女は二人きりで貴族街へ繰り出していた。しかし物陰には、ローランド侯爵家やチェンバレン侯爵家の使いが潜んでいる。パトリック達に気づかれないように二人を護衛する彼らは、子供だけで街に行こうと思い立ってしまった上級貴族の令息と令嬢をはらはらしながら見守っていた。


「しかし、街にはたくさんの店がありますね……。この中からサンディの気に入るようなものを見つけるのはほねがおれそうだ。どこかあてはありますか?」

「ええ。以前、うちの侍女に教えてもらったお店に行こうと思っていますの」


 サンディというのはアレクサンダーの愛称だ。いくらここが貴族街とはいえ、さすがに街中で殿下、殿下と連呼するのはまずい。贈る相手が王子だと他人に知られてはならない、何となくそんな気がしたからだ。あくまで自分達は、同じ貴族の子供に贈り物をしようとしている貴族の子供として振る舞わなければいけない、それがパトリックとオリビアの考えだった。

 侍女の話を思い出したのか、オリビアは嬉しそうに笑っている。彼女が自信満々に言うのなら、その選択に間違いはないのだろう。パトリックは深く考えないまま、早く店に行こうと足早になるオリビアにならって歩調を早めた。

 その店に行くのがよほど楽しみなのか、軽やかな足取りのオリビアは弾む声音で歌を紡ぎ出す。聞こえてきたハミングは、パトリックの耳に心地いい刺激をもたらした。

 雛罌粟ノ月。夏も真っ盛りのこの時期は、アレクサンダーの誕生月だった。そんな時期に、アレクサンダーの乳兄弟であるオリビアと、アレクサンダーの親友であるパトリックが求めるのは一つしかない。アレクサンダーに贈る、誕生日の祝いの品だ。

 上級貴族の家にはそれぞれ出入りの商人が存在する。ローランド家やチェンバレン家にも、ひいきにしている商人達が何人もいた。しかし今回はそんな商人達に頼らず、自分達が直接店に出向いて品定めをするつもりだ。購入のための資金も、自分達のお小遣いの中から用意した。側近として、上級貴族の子供として王子に贈り物を贈るのではなく、パトリックとオリビア個人として友人に贈り物を贈りたいからだ。

 貴族御用達の商店が立ち並ぶ地帯は、パトリック達の家がある貴族街の中心地からは少し離れている。だが、治安はいいし活気もある場所だ。さすがに下町まで行くとなれば多少のためらいを覚えるが、貴族街の店なら子供二人で赴く事についてもあまり抵抗はなかった。貴族街なら危険は少ないと認識しているからだ。

 それに二人は気づいていないが、二人から少し離れたところではそれぞれの家から遣わされた護衛達がぴったりとくっついている。互いの存在に気づいた彼らは苦笑交じりの目くばせをかわし合いながらも、友人のために買い物に行く子供達を微笑ましげに眺めていた。彼らがいる限り、パトリック達の身がおびやかされる事はないだろう。

 パトリック達が入店のベルを鳴らしたのは、可愛らしい外装の小さな商店だった。どうやら小物の類を売っている店らしい。しかし外装はもちろん内装でさえも少女趣味で統一されている。店内に漂う甘い香りを嗅ぎながら、パトリックは怪訝そうに首をかしげた。


「……リビー、本当にここでサンディへのおくり物を買う気ですか?」

「当たり前でしょう。それがどうかしましたの?」


 そんな彼の反応が理解できなかったのか、オリビアはきょとんとしながらも商品を手に取る。綺麗な硝子の瓶に入れられた香水だ。可愛い……と呟いてしげしげと眺めながらも、オリビアはすぐにそれを棚に戻した。どうやら購入するほど興味をそそられたわけではないらしい。


「しかし、その……しんしがよろこぶような品はなさそうですよ? ちがう店に行ったほうがいいんじゃないでしょうか?」

「パット、目がくまさんにくぎづけですわ。せっとく力がありませんわよ」

「そ、そんなものは見ていません!」


 壁際の棚に並ぶつぶらな瞳のくまのぬいぐるみから慌てて目をそらし、パトリックは赤い顔で否定する。アレクサンダーの乳兄弟という事でパトリックとも親交があるオリビアは、そんな見え透いた照れ隠しにやれやれと首を振った。


「とにかく、ここでサンディへおくり物を買うのです! サンディだって、かわいいものがほしいはずなんですもの!」

「まったく、そのこんきょはなんなんですか?」

「サンディは、わたくしのドレスや宝石が好きだって言ってくれますの。だから似たものをおくれば、きっとよろこんでくれるはずですわ」

「……そんなものをおくられても、あつかいにこまるのでは?」


 可愛いものが欲しいのはリビーのほうだろう……と、パトリックはため息交じりに店内を見渡す。オリビアにからかわれないように、くまのぬいぐるみは視界から外していたが。

 しかし見れば見るほど、ここにアレクサンダーが喜びそうなものがあるとは思えない。教養があって礼儀正しく上品な、立派な王国紳士はこの店に並ぶような品々を持つのではなく、こういった品々の似合う婦女子を守るものだ。侯爵令嬢であるオリビアへの贈り物ならこの店ほど適したものはないだろうが、王子のアレクサンダーにこの店の品々を贈るのはあまりいい選択とは思えない。

 せめて実用品を贈ろうか、とパトリックは茶器の並べられた棚の前に移動した。紅茶も王国紳士のたしなみの一つだ。煌びやかな装飾品や、部屋に飾るための置物よりはましだろう。そう考えて、パトリックは棚に並んだ商品を睨むように見上げた。

 しかし、王子であるアレクサンダーはここに並んでいるものよりも高価な茶器を日常的に使用しているはずだ。第一、ティーカップはともかくティーポットを実際に使うのはアレクサンダーの侍女達であり、彼女達には彼女達のこだわりがある。茶器を贈ってもあまり役には立たないだろう。

 これでは何も贈れないと頭を抱えるパトリックとは対照的に、オリビアは嬉々として商品を物色している。彼女の頭を悩ませるのは、財布に入れてきた資金と欲しい品につけられた値札の釣り合いだけだ。家の金ではなく自分のお小遣いで買うので、いつものように好きなものを好きなだけ買う事ができない。しかしそれでもオリビアは楽しそうだった。


「やだ、パットったらまだなやんでいるのかしら?」

「もういっそ他の店に行きたい……」


 なんとか予算と折り合いをつける事ができ、あとは会計を済ませるだけになったオリビアは、店内をうろうろと彷徨うパトリックのもとに近寄った。

 オリビアが持っているのは花をあしらったブローチだ。それはさすがにどうかと思う、とパトリックは思わず口を挟んだが、肝心のオリビアは「可愛いからいいじゃない」と取り合ってくれない。


「人に何かをおくる時は、自分がもらってうれしいものをおくればいいんですのよ?」


 自信満々にオリビアは言うが、少しぐらいは相手の都合を考慮してもいいんじゃないか、とパトリックは心の中で呟いた。しかしそれでも一応助言を受け止め、パトリックはもう一度棚に向き直る。


「うれしいもの……むずかしいなぁ」

「だったら、ぬいぐるみにしたらいかが? パットもあのくまさんが、」

「ほしくないっ!」


 見るからにふかふかそうで柔らかそうな、あの大きなくまさんが欲しいなんて思っていない。そもそも、大きなくまのぬいぐるみは棚の高いところに飾られている。背の低いパトリックが取ろうとすれば、店員に頼まなければならないだろう。まだ子供とはいえ自分は王国紳士なのだ。王国紳士がそんな事を頼み、あまつさえ購入するなどできるはずがない。

 しかし、オリビアはパトリックの反論を軽く受け流す。手の届く高さにある小さなくまのぬいぐるみを取り、彼女はにやにやと笑った。


「パットはほしくないかもしれませんけど、サンディはよろこんでくれるかもしれませんわ」


 サンディはうさぎさんが好きなのよね、とオリビアはうさぎのぬいぐるみにも手を伸ばした。茶色いくまと白いうさぎがオリビアの腕からつぶらな瞳をパトリックに向けている。


「まあ、このねこさんもかわいいわ!」


 さらに黒いねこまで追加された。オリビアは幸せそうにぬいぐるみ達を眺めている。三体のぬいぐるみの首にはお揃いの意匠の黄色いリボンが巻かれていた。

 アレクサンダーはうさぎが好きだというのはパトリックも知っている。しかしそれはあくまで狩猟対象であり、食用としてだ。鑑賞用として愛でるかどうかまではわからない。


「でも、もしもわたくし達がこの子達を買わなかったら、この子達はどうなるのかしら?」

「!?」

「もしかすると、お店の人にいらない子あつかいされて、捨てられちゃうのかもしれないわ」


 先ほどまでの幸せそうな様子とは一転し、オリビアは哀しそうにワインレッドの瞳を伏せる。彼女が呟いた一言は、幼いパトリックの心を的確に抉っていた。


「なんてかわいそうなのかしら。だけど、もうわたくしにはお金がないし……」

「ええい、僕が買えばいいんでしょう、買えば!」


 オリビアの手からぬいぐるみをひったくるように奪い、パトリックは値札をちらりと見る。なんとか三つとも買えそうだ。棚に並んだ他のぬいぐるみには申し訳ないが、少なくともこの三つは助けられるだろう。

 二人は会計を済ませ、ぬいぐるみやブローチが包まれていく様子を眺める。店員はそんな二人を微笑ましげに横目で見ながら、丁寧に包装して二人に渡した。


「よかったですわね、パット。おくり物が決まって」

「何もよくない。どうして僕は三つも買ってしまったんだ……?」


 つい勢いで、アレクサンダーの贈り物を買うための資金をぬいぐるみを助けるためにつぎ込んでしまった。オリビアの言葉に従ってよかった事があった事などめったにないのに、だ。

 追加の予算を親にねだるのも気が引けるし、もうこのぬいぐるみをアレクサンダーに渡すしか道はない。しかし、三つ全部渡してもいいものだろうか。うさぎだけならまだ受け取ってくれるかもしれないが、そもそもアレクサンダーがぬいぐるみなどいらないなら、ねことくまはどうしようもない。


「あら、いらないの? なら、一つわたくしにくださらない? わたくし、あの黒いねこさんがほしいですわ」

「は、はかったな!」


 最初からそれが目的だったのかと、パトリックは三つのぬいぐるみが入った袋を抱きかかえる。オリビアはくすくす笑っていた。


「うさぎさんはサンディでねこさんはわたくし、そしてくまさんはパットが持つ事にしましょうよ。こういう風にわければ、おそろいみたいでサンディもよろこんでくれるんじゃないかしら?」

「むぅ……」


 パトリックは唸るが、オリビアの言っている事にも一理ある。三人一緒にいられるのは今だけだし、確かにそれならアレクサンダーも受け取ってくれそうだ。それにお揃いのぬいぐるみという大義名分があるから、自分がくまのぬいぐるみを持っていても何も問題はない。

 しばらく悩んだ挙句、パトリックはそれを承知した。お揃い感を出すためにわけるのはアレクサンダーに渡す時にしよう、と二人で決め、彼らは店を後にする。それにあわせて、店の中までついてきた護衛と店の外で待っていた護衛も動きだした。

 パトリック達が入ったのは、大の男がぞろぞろと連れ立って入店するには気後れするような場所だ。心情的にも入りにくいし、何より目立ってしまう。せっかく隠密に行動しているというのに、周囲の目を引くような事をするわけにはいかない。

 しかし、護衛というのは何もいかつい男衆ばかりではなかった。どこにでも違和感なく溶け込めるように、一見するとか弱そうで、貴族の護衛には到底見えないような女性も混じっている。チェンバレン家はもちろん、ローランド家からついてきた護衛の中にも当然のように女性がいた。店内に入ったのはそんな女性の護衛達だ。

 その中に一人、ローランド侯爵夫人の側近である女性がいた。彼女は商品棚の陰に隠れながら手帳に何かを記していたが、それが活かされるのはまだ先の話だ。

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