女王に甘言を囁き続けた男
女王に甘言を囁き続けた男 パトリック・ローランド
――王国を支配した隻眼の傀儡師がその生涯をかけて演じたのは、栄光と破滅の人形劇だった
【悲劇が生んだ隻眼の悪魔】
ブランタンジェン王国ディオン朝最後の女王、アレクサンドラ。その夫パトリック・ローランドは、国を裏で操る稀代の策謀家であった。
パトリックが伸ばした支配の糸は、まるで蜘蛛の巣のように王国全体を覆っていた。国という舞台の上で、民衆という名の人形を巧みに操る姿はまさに傀儡師と呼ぶにふさわしい。女王でさえも自らの傀儡としていた彼は、王配でありながらも事実上の国の頂点に君臨していたと言えるだろう。
パトリックは旧暦九七六年、菊ノ月十五日に当時の宰相デニス・ローランドの次男としてローランド侯爵家に生を受けた。
そして彼は十歳という幼さで、ローランド侯爵家当主の座についた。ローランド家の嫡男だった実兄が乱心し、両親を惨殺したうえで自ら命を絶つという凄惨な事件を引き起こしたからだ。パトリックの左目は、この時に失われたものと考えられている。
その事件が起こった経緯については諸説があるが、サイコパスだったパトリックが兄を唆した、という説が一時期通説として定着していた。
しかし近年の歴史学者達の多くは「パトリック・ローランドは先天的な反社会的人格障害、いわゆる
【果たして彼らは悪だったのか】
紀元前一世紀頃から旧暦一〇〇〇年代初頭にかけてのエウラピア世界で信仰されていた『神』、それが今は失われたジュデオ教だ。
エウラピア世界で最初にジュデオ教を異端とみなして国家単位の弾圧をはじめたのはブランタンジェン王国だが、その実現のために暗躍していたのが当時王女だったアレクサンドラと、彼女の許嫁であったパトリックだった。
アレクサンドラが王位についてからも、ジュデオ教に対する冷遇は続いた。神殿の腐敗などの理由によりジュデオ教徒が減少していたのもあり、その宗教改革は成功したと言えるだろう。しかしそれがのちの新教徒革命の引き金になったと思うと、いささか皮肉でもある。
即位と同時に絶大なカリスマ性を発揮し民衆の心を惹きつけたアレクサンドラだが、その華やかな治世の裏にはパトリックによる血腥い粛清劇があった。光の裏には影がある、彼らの統治はまさにそれを体現していたのだ。
だが、王国の栄華も長く続かない。アレクサンドラの即位わずか六年後、ディオン朝は反王室派と当時新興宗教として台頭していたクェイリター教の教徒達による義勇軍によって幕を下ろされ、陰の実力者もまた二十四歳という若さで処刑された。
しかしアレクサンドラとパトリックの統治はどれも近代的で合理的なものだった。エウラピア世界における啓蒙君主制の先駆けとなったのは、間違いなくこの二人だろう。
また、やり方は非人道的なものだったとはいえ、彼らがジュデオ教という悪しき慣習を打破し人々に光をもたらしたのも事実である。もしも時代が彼らに追いついていたのなら、そして運命が少しでも違っていたら、二人は歴史に名を残す名君として讃えられていたのかもしれない。
――――――――カーシー・キャンベル(新暦1987)『歴史を狂わせた暴君達』より一部抜粋
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