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――――九八三年 雛罌粟ノ月二十七日
舞踏会など子供にとってはそこまで楽しいものではない。いくらそれが友人の七歳の誕生日を祝うものだったとしても、だ。
大人達に囲まれながらも堂々と振る舞うアレクサンダーを眺め、パトリックは退屈そうな顔で壁際に立っていた。彼のすぐ近くではスティーブンとオリビアが楽しそうに喋っている。しかし、とてもパトリックが割り込めるような空気ではない。
ほどなくして、父に呼ばれたスティーブンが名残惜しそうな顔をしながら父のもとに行ってしまった。オリビアはその背中を残念そうに見送って、どこか緊張した面持ちでパトリックを窺う。
「ねえパット、スティーブン様は十の洗礼を終えましたのよね? もういいなずけは決まっていますの?」
「いや、父様も母様もそんな話はしていないぞ。十五の洗礼か、二十の洗礼まで待つんじゃないか?」
自分の事は愛称で呼ぶくせに兄の事は様づけで呼ぶオリビアに呆れながら、パトリックは彼女の疑問に答える。オリビアはあからさまにほっとしたような顔をした。
この国では、十歳と十五歳、そして二十歳を迎える者に対して洗礼と呼ばれる儀式が執り行われる。一種の通過儀礼のようなもので、これを行う事で一人前と認められるのだ。
今年で七歳になるパトリックにはまだ先の話だが、今年で十歳のスティーブンは年の初めに一つ目の洗礼を終えていた。神官の話を聞く以外に子供達は特別な事はこれといってしないが、洗礼を節目にして親が許嫁の発表をしたり、めったにないが家督の相続手続きなどを行ったりする事もある。しかしスティーブンに許嫁ができたという話は聞いていないので、オリビアが危惧するような事態にはならないだろう。もちろん、今後どうなるかはわからないが。
結婚する相手すらも神に決められるこの世界において、オリビアに下された神託による結婚相手は『裕福な家柄の男性』という貴族令嬢としては限りなく緩く、そして達成がたやすいものらしい。
他にこれといった条件はないそうなので、かなり自由度の高い選択肢を与えられたと言えるだろう。そんなオリビアが淡い恋心を抱いているのが、パトリックの兄であるスティーブンだった。
一方のスティーブンに下された結婚相手に関する神託は、パトリックにもわからない。オリビアには教えてくれとせっつかれるが、そもそもスティーブンはもちろん両親も、スティーブンに下された神託を何一つとして教えてくれないのだ。教えたくとも教えられるはずがないし、オリビアの想いが一方通行かどうかなどパトリックにわかるはずもなかった。
それに、仮にスティーブンに下された神託による結婚相手の条件がオリビアに合致していたとしても、問題はまだある。オリビアは将来に関する神託により、二ヶ月後には他国に行かなければならないのだ。
いくら名門侯爵家の令嬢とはいえ、オリビアは一度他国に行ってしまえばもう祖国に帰ってくる見込みがないという。そんな少女と、政治的要職を多く輩出する家の嫡男の婚約が成立するはずがなかった。チェンバレン家と姻戚になるのはローランド家にとっても悪い話ではないが、家どころか国にすらいない妻を娶ってもあとあと面倒になるだけだろう。
しかしオリビアはそれに触れない。どうせこれは今だけの感情なのだと割り切っているからだ。スティーブンに許嫁がおらず、自分がまだ国内にいる間なら、スティーブンに想いを寄せていても咎められる事はない。ませた少女の脳内は同年代の友人達よりも色恋沙汰で埋め尽くされていて、それと同時に打算的だった。
「そのころにはわたくしも、知らないとのがたとお付き合いしているのかしら……」
それでもオリビアは、どこか切なそうな眼差しで遠くを見る。その時、アレクサンダーが大人達の波を掻きわけてこちらにやってきた。
「ねえ、わたくしが他の国に行ってしまっても――わたくし達、友達ですわよね?」
「人は成長する生き物だ。何年か経った時、僕らが僕らのままでいられるとは限らない。お前だって、色々とへんかがあるだろう。……でも、リビーは僕らの友達だ。たとえ何があっても、それは変わらない」
「その通りだ! リビー、さびしくなったら神託なんて忘れて、いつでも帰ってくればいい。私もパットも待っているからな」
「……ありがとう」
オリビアは花が咲いたように笑った。次の瞬間には、垣間見えていたしおらしさは鳴りを潜め、いつも通りの勝気で快活な少女に戻っている。パトリックはほっと胸を撫で下ろした。オリビアがしおらしいと調子が狂うし、大切な友人にはいつも笑っていて欲しい。
用意した贈り物をアレクサンダーに渡すと、アレクサンダーは顔を綻ばせて喜んでくれた。
ぬいぐるみなど渡しても大丈夫だろうかと寸前まではらはらしていたパトリックだが、アレクサンダーが予想以上に喜んでくれた事でほっと胸を撫でおろす。オリビアの口車に乗せられていい事があったためしはほとんどなかったのだが、今回ばかりは成功だったらしい。
しかし、オリビアの贈ったブローチまで喜んだのは少し意外だった。飾って眺めているだけでも楽しいと言い、アレクサンダーはオリビアに何度も礼を言う。自分の贈ったぬいぐるみよりも喜んでいるように見えて、その事が少し、ほんの少しだけ面白くない。
「可愛いなぁ……。二人とも、ありがとう! ずっと大切にするよ」
うさぎにブローチをつけ、アレクサンダーは頬を緩める。それを見て、幼い嫉妬心はすぐに消えた。たとえどんな形であれ、アレクサンダーが喜んでくれたのならそれに越した事はないのだ。
やがてアレクサンダーは、周囲を窺うようにきょろきょろと見回す。そしてロイヤルブルーの瞳を悪戯っぽく輝かせ、パトリックとオリビアを手招きした。パトリックとオリビアはわずかな期待を胸に宿してそれに応える。
「こうして三人一緒にいられるのも、紫苑ノ月までだろう? だから最後に、何か思い出を作ろうと思うんだ。次に会える時までさびしくないように」
「それはよいお考えです。ですが、ぐたいてきにはどのような?」
パトリックが尋ねると、声を潜めたアレクサンダーは楽しげににっと笑った。彼がこういう顔をする時は、何かよからぬ事をたくらんでいる時だ。
しかしそれはあくまで大人達にとってであり、パトリックやオリビアにとっては楽しい事である事のほうが多い。アレクサンダーの悪巧みに抵抗を覚えながらもなんだかんだで流されるパトリックも、真面目ぶりたいだけで本当のところはそういう事をするのが好きなのだ。
「冒険だよ――三人だけで街に行こう!」
パトリックとオリビアは一瞬きょとんとするが、アレクサンダーの言葉の意味を理解した途端に慌てふためいた。
貴族街なら何度も赴いた事があるとはいえ、三人一緒なら楽しいだろうし思い出にもなるだろう。だが、わざわざ冒険と称するほどでもない。
それならアレクサンダーが言っている『街』とは、貴族街の事ではない。貴族街をぐるりと取り囲む城壁の向こう側に広がる下町の事だ。
「ほ、本気なのですか、でんか!」
「下町は、春に行ったゆうれい屋敷よりも遠いですよ!? あそこまで行くとなると……」
「だからこその冒険じゃないか。ちょうせんしがいがあるし、きっと心に残るだろう?」
貴族街の外は、パトリック達にとって未知の領域も同然だった。王侯貴族の住む貴族街と平民の住む下町は高い城壁によって明確に区別されている。下級貴族や傾きかけの名ばかり貴族、あるいは富裕な商人層にとっては城壁などあってないようなものだが、王子であるアレクサンダーはもちろん名門侯爵家出身のパトリックとオリビアが気軽に行けるような場所ではない。
「プラマー男爵の子息や、コール子爵の令嬢がよく下町に行っているそうだ。彼らに行けて、私達に行けないはずがない!」
だが、アレクサンダーはすでに行く気になっていた。彼が名前をあげたのは、パトリックの知らない家の名だ。恐らく、どちらも貴族とはいえあまり力があるとは言えないような家柄だろう。ローランド家はもちろんチェンバレン家とも親交はないはずだが、それはつまりプラマー家とコール家が弱小貴族だという事だ。
そんな家の子供だからこそ、下町に赴く事についても親はあまり口うるさく言わないのだろう。しかし、パトリック達は違う。下町にはどのような危険があるかわからないのだ。
「この二人だけではないぞ。なんと、オーウェン伯爵の長男もひんぱんに行っているらしい」
「……『騎士団長』ですか」
直接的な面識はないが、オーウェン家の名前だけなら知っていた。
他人の神託は本人かその近しい者に教えられなければ知りえないものだが、産まれた子に下された神託は必ず王家に報告しなければいけない。その過程で、将来有望そうな神託を下された子供の存在は有力貴族にも伝えられる。
パトリックの父にして現宰相であるローランド家当主、デニス・ローランドはその神託を知る事ができる立場にあり、次の『宰相』であるパトリックにもある程度は教えられていた。確か教えられた次代の有力者の中に、オーウェン家の名前もあったはずだ。
だが、オーウェン家自体が力のある家柄というわけではない。将来を決める神託による優先度は高いので、オーウェン家の長男が次の騎士団長になる事はもう確定事項だろうが、それでオーウェン家の力が強まるかと言われればそうではないのだ。
オーウェン家も神託が下されるまでは、他家に名前を憶えられる事すらない名ばかりの貴族だった。長男が『騎士団長』とはいえ、まだその知名度は低いと言えるだろう。やはり、あの家の子が行けるのだから自分達も行っても構わない、という免罪符にはなりえない。
「貴族街と違って、下町には悪い人がたくさんいるとお父様が言っていましたわ。なんだか怖い……」
「そうですよ。そのようなところに行くべきではありません。何かあったらどうするおつもりですか」
「下町に住まう者はみな、この国の民だ。私達貴族は彼らに仕え、彼らを守るためにいる。その私達が彼らに怯え、貶めてどうする? 彼らの暮らしを知り、彼らに親しむ事こそ私達に必要なのではないか?」
そう強い口調で言われては、パトリックもオリビアも否定の言葉を紡げない。どうしようかと迷っていると、アレクサンダーは哀しげに笑った。
「もちろん、二人が行きたくないというのなら別の事を考えるが……。私はパットとリビーと一緒に下町に行きたいんだ。だから、どうか私の願いを叶えてくれないか?」
そんな顔でそう言われては拒めるわけもない。二人はためらいがちに顔を見合わせ、やがてこくりと頷いた。
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