概要
ひみつのこい
未必の故意
〘法〙実害の発生を積極的に希望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害が発生してもかまわないという行為者の心理状態。
(三省堂大辞林 第三版より引用)
第一回神ひな川小説大賞(テーマ:ハッピーエンド)参加作品です。
〘法〙実害の発生を積極的に希望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害が発生してもかまわないという行為者の心理状態。
(三省堂大辞林 第三版より引用)
第一回神ひな川小説大賞(テーマ:ハッピーエンド)参加作品です。
おすすめレビュー
新着おすすめレビュー
- ★★★ Excellent!!!置き土産という冷戦。
「アンチマーメイド」然り、私はこの手の愚行(と言うのも失礼だけど)を描いた話に惹かれてしまうのかもしれない。主人公は、彼女がいる和希の部屋に諸々の置き土産を残していくのだが、決して故意ではない、と語る。それを「計算高い遊びをしているわけではないから」の一言に集約するのが、まあ末恐ろしい。主人公が彼との関係を変えるのでなく、たまたま変革が起きないかと暗に期待をし、修羅場を企てているのだ。「和希が私にしか見せない顔をするたびに、メグちゃん(本命彼女)しか知らない顔が羨ましくなる」・・・そうそう、結局、そうなってくるんだよね。だから置き土産という、工夫や手間が必要。あくまでもわざとじゃないよ、…続きを読む
- ★★★ Excellent!!!誰のハッピーエンドか
ヘミングウェイの有名な小説『誰が為に鐘は鳴る』では冒頭でこのような詩が引用されます。
"なんびとのみまかり(死ぬ)ゆくもこれに似て、みずからを殺(そ)ぐにひとし。
そは、われもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、誰(た)がために鐘は鳴るやと。
そは汝(な)がために鳴るなれば。"
誰にあっても死が平等であるから人は孤独でなく一つの連帯である。だから死者に手向けた鐘の音が誰のために鳴っているかを問うてはいけない。それはまた自分のためにも鳴っているのだから、というような意味合いのこの詩を灰崎さんの作品から思い浮かべました。
語り手は自らも認めるように決して主役になろうとしませ…続きを読む