「アンチマーメイド」然り、私はこの手の愚行(と言うのも失礼だけど)を描いた話に惹かれてしまうのかもしれない。主人公は、彼女がいる和希の部屋に諸々の置き土産を残していくのだが、決して故意ではない、と語る。それを「計算高い遊びをしているわけではないから」の一言に集約するのが、まあ末恐ろしい。主人公が彼との関係を変えるのでなく、たまたま変革が起きないかと暗に期待をし、修羅場を企てているのだ。「和希が私にしか見せない顔をするたびに、メグちゃん(本命彼女)しか知らない顔が羨ましくなる」・・・そうそう、結局、そうなってくるんだよね。だから置き土産という、工夫や手間が必要。あくまでもわざとじゃないよ、という静かな攻防が、なんだか読んでいて泣けてくるのだ。最終的に一枚上手なのが、そうした計算高くなかったはずの仕掛けを、あっけなく抹消させて終える和希の彼女であるのもポイント。女同士の冷戦が、密かに行われているような。恋愛という競技を見たような余韻に浸らせてくれる。こういうのはどこにでも起きていることなんだろうな、きっと。
(「恋愛ショートストーリー特集」/文=紗倉 まな)
ヘミングウェイの有名な小説『誰が為に鐘は鳴る』では冒頭でこのような詩が引用されます。
"なんびとのみまかり(死ぬ)ゆくもこれに似て、みずからを殺(そ)ぐにひとし。
そは、われもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、誰(た)がために鐘は鳴るやと。
そは汝(な)がために鳴るなれば。"
誰にあっても死が平等であるから人は孤独でなく一つの連帯である。だから死者に手向けた鐘の音が誰のために鳴っているかを問うてはいけない。それはまた自分のためにも鳴っているのだから、というような意味合いのこの詩を灰崎さんの作品から思い浮かべました。
語り手は自らも認めるように決して主役になろうとしません。しかしながら彼女の独白がセックスフレンドやその本命の恋人の人生を浮き彫りにしていきます。これは彼女が語らなければ埋もれてしまうようなありふれた日常でありますが、ゆえに彼女の語りがそれをハッピーエンドへと繋いでいく。表層を読むとこれは主人公気質のメグちゃんのハッピーエンド、或いは逃げきった和希のハッピーエンドとも取れます。語り手の彼女は「ハッピーエンド」というテーマに対しての説明役を担うだけで彼女自身には幸福が与えられていないように思えます。ただ彼女には抗えない理由でセックスフレンドとの関係を清算したいという希求がありそれは成就します。それをある種の幸福だったと読むかは解釈の域ですが、先述した引用詩を引き合いに出せば誰にも鐘は鳴るわけで、これが誰のための「幸福な結末」なのかを問うのは野暮かなと思いました。
みひつのこい、というタイトルについてですがここからは様々な意味合いを取り出すことができます。話名でもあるように「ひみつ(秘密)」「こい(恋)」。或いは少々無理矢理ですが「ひこい→ひれん(悲恋)」「いひつ→いびつ(歪)」「こいつ(憎悪)」「つみ(罪)」のような。それが一旦は「未必の故意」を包み紙にしながら曖昧にされた字面から透けて見える様々な感情によって彼女の物語であるのが一抹の救いとなっていて溜息ものでした。長々と失礼しました。