城主②

 最初に目に飛び込んできたのは、大量の本。四方の壁を床から天井まで埋め尽くす、様々な書物だった。

 窓はひとつもないのに、部屋の中はランプで照らされたように明るく、不自由はない。

 足を踏み入れ、ケンタは思わず床に目線を落とす。

 濃緑のカーペットはふかふかで、今まで見てきたどんなカーペットよりも上等そうだ。

 この1部屋のみなのか、今しがた入ってきた扉以外に出入口は見当たらない。

 城下町の一軒家と同じくらいの広さのこの部屋にあるのは、大量の本と、中央に設置された不思議なもの。

「これって……」

 朝からずっと不安そうだったユウコの声が、なんとなく明るくなる。

 ケンタもつい微笑んでしまった。

 そこにあったのは、箱庭だった。

 山や森、川や湖があり、所々に街や小さな集落があった。

 どれも精巧に作られていて、見ていて楽しい。

「ねぇ、これ……」

「動いてる、よな?」

 箱庭をまじまじと見つめたアイとダイスケが、眉間に皺を寄せる。

「え、なに、どうしたの?」

「ケンタ、よく見てみろよ」

 ダイスケに指さされた場所……小さな街の一角を、ケンタは凝視した。

「え?あ、え?」

 動いているのだ。

 小さな小さな街の中で、たくさんの人々が動き回っている。

 それは街の中だけではなかった。

 街や集落を繋ぐ道を馬車が走っていくのが見えたし、気付けばあちらこちらで様々な物や人が活動しているのがわかった。

「すごい……」

 ユウコが感嘆の声と共に示したのは、山の上空。

 そこには黒い雲が集まり、稲光が走り始めていた。

「城主の……彼の魔力の放出先のひとつだよ」

 箱庭を見つめたまま、ショウは静かに続ける。

「この箱庭の住人たちは、実際にそこで生きている。……彼らは、自分たちがこの小さな箱庭の中に造られた存在であることなんて知らずに、ね」

 ケンタは手提げを抱えていた腕に、無意識に力が入ってしまう。

「ここで暮らす人たちは、幸せなのかな……」

 寂しそうに呟くユウコをアイは見つめ、そしていつものように彼女の手を握った。

「アイちゃん?」

「幸せの物差しは人それぞれだよ」

 アイは箱庭に、それからショウに視線を向ける。

「この箱庭にいる人たちも私たちも、幸せの考え方はそれぞれ。それは悪いことじゃないし、むしろそれぞれ違っていいんだと思う」

「アイちゃん……」

 アイの横顔を見つめるユウコの瞳から涙が溢れるのと、その澄んだ音色が鳴り響いたのは同時だった。


 音の出どころを探して、全員が振り返る。

 部屋の一番奥まった場所に、暖炉が設置してあった。

 本来なら火が燃えているであろう場所に白い布が降ろされている。

 その暖炉の前で、彼は透明な小さなベル……呼び鈴を手にして立っていた。

 布の降りている暖炉に目をやったまま、二度三度と呼び鈴を鳴らす。

 するとどうだろう。その音色に応えるように、別の音色がどこからともなく部屋に、全員の耳に届いた。

 何が起きているのだろうかと注視する4人を全く意に介さず、彼は布を外し、手にしていた呼び鈴と共に雑に暖炉の上に放り出した。

 やはり暖炉に火は入っておらず、白い灰があるばかり。

「……城主だよ」

 ため息混じりにショウが言う。

 ここにいるのだから確かに彼がそうであろうことは、4人ともすぐに理解した。

 理解はしたが、心情としてはなんとも受け入れ難い。

 なんせ、目の前で揺り椅子に腰掛けこちらを見てくる彼のなんとも幼いこと。

 自分たちは学校の最高学年。彼は再低学年の……いや、未就学の子たちと同じくらいにしか見えなかった。

「この子たち?」

「あぁ」

「ふぅん」

 それきり彼は黙ってしまい、ゆらゆらと椅子を揺らしているばかり。

 居心地の悪さに、ケンタはもじもじと足を踏み変えてしまう。

「とりあえず座って」

 ショウは室内のあちこちに置いてあった椅子(作りも柄もてんでばらばらで、統一感のない家具ばかりだった)を示して、4人に城主の近くに来るように促した。

 ケンタたちが自分の前に並んで座っても、城主はのんびりとあくびをしている。

 とてつもなく長く感じる無言の時間はケンタには耐え難く、いちよう座ってはいるもののあきらかに挙動不審だった。

 その様子に気付いたダイスケが、ケンタの背中を軽く叩く。

 一瞬驚いたものの、隣にいるダイスケの心強い笑顔に、肩の力が抜けていった。

「何を……していたんですか?」

 小さく問うアイの声も、やはりどこか緊張している。

 暖炉を示し、

「暖炉で、何を?」

「赤子を送ってた」

「……は?」

 あっけらかんと答える城主に、ダイスケは訳が分からないと声をあげる。

 ケンタも眉間に皺を寄せてしまった。

「2人目の子どもが生まれたと預けられたから、別の場所に送ったんだ」

 城主はひた、とアイを見て、ぽんと自分の膝を叩いた。

「……思い出した!君か!」

 ぴょんと揺り椅子から飛び降りると、城主はアイにずいっと近付き、鼻と鼻が触れそうな距離で驚く彼女の顔を見つめた。

「どこかで見たと思った!君には弟がいただろう?覚えているかい?」

「弟?……私に?」

「そうさ!生まれてすぐに君の両親がボクのところに連れてきた。子どもは1人がルールだからってね。君も一緒に来たんだよ」

 アイは大きく目を見開いて、覚えていない、と慌てて首を横に振った。

「そうか、あの時の子か。大きくなった」

 一人で納得したふうの城主は、今度は揺り椅子ではなく、近くに転がっていた丸椅子を持ってきて腰掛けた。

「物怖じしない子だなって、この子は何かしてくれそうだなって予感があったんだけど……。そっかそっか」

 全てが解決したかのような城主の様子に、ケンタたちは呆れてしまう。

「君たちの処遇を決めてほしいって言われてるんだけど」

 城主はこてんと首をかしげ、「どうしたい?」と笑顔で無邪気に問うてきた。

 その毒気のない様子に、ケンタは不躾なくらい城主の顔を見つめてしまう。

 そして気付く。

 城主の瞳は、角度によって色が変わるのだ。

 城下町の人々の瞳は黒が茶色で、それ以外の色を見たことがなかった。

 学校で会っていた時は薄い茶色だったショウの瞳も、よくよく見れば今は深い蒼になっている。

 城主は、先程まではショウと同じ色に見えていたのに、今は淡い碧に見える。

 隣にいるショウを見る時は暖かな黄色になったし、俯いたままのユウコを見る時は濃い赤になったりした。

「あなたは」

 急に馴れ馴れしくなった城主を見て逆に落ち着きを取り戻したのか、アイが座り直しながら口を開く。

「どうしてここに籠っているの?町に降りることも、戦争が終わった外に出ることもなく」

 まっすぐな視線と共に問われ、彼は「んー」

 と考え始めた。

 丸椅子の上で器用に膝を抱えると、うっすらと笑う。

 その笑顔は、ここにいる誰よりも大人びて見えた。

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