魔女③
戦争があった。
その戦争は長く続き、理由もきっかけも、すでに神話の中のものだった。
そんな中で各国の王たちは、様々な大義名分を掲げ、武器を手にした。
こちらの山野で決着がつけばあちらの山野へ、と、世界のありとあらゆる場所が戦場になった。
必死に耕した小さな畑は実りを得る前に戦火に焼かれた。
戦争が長引くにつれ、国々は疲弊し困窮していく。
全ての国がそれは理解していたが、振り上げてきた拳を下ろす方法も理由も、誰も見つけることが出来なかった。
そんな時に、1人の男の子が産声をあげる。
十月十日で生まれるはずだった赤子は、その半分の期間で臨月まで育ち、産み落とされた。
そして5年後、成長を止めた。
魔力は生まれつきのもので、最初は母のために、やがては村のためにと、彼はその力を使った。
作物を育て、壊れた家々を直し、人々の安寧のためならと、病人や怪我人を癒した。
強大な魔力を使う少年の噂は、あっという間に王の元に届く。
そして時の王は、彼にこう言った。
「他国を滅ぼせば、お前の母はさぞ喜ぶだろう」
戦場において、彼に勝てる魔術師はいなかった。
彼の力は、命を育み癒すのではなく、根こそぎ奪うために使われた。
王は彼を褒め、まるで我が子のように可愛がった。
彼の願いはなんでも叶え、国内において王の次の地位までも授けた。
しかしただ一つ、母に会いたいという彼の希望だけは、あれこれと理由をつけて聞き入れようとはしなかった。
周辺にあった国々を属国とし、さらに遠くの国へと進軍しようとしていたその時、1通の便りが彼に届く。
それは、彼の母の死を知らせるものだった。
王が止めるのも聞かず、彼は自らの魔力で一瞬にして自分の村に帰ってきた。
久しぶりに見た彼の故郷は、すっかり荒れ果てていた。
彼が力を注いだ畑も、修理した家も朽ちていた。
人々は痩せこけ、力なく座り込んでいる。
そして彼の母は。
彼が過ごした小さな家の裏には、大きな木があった。
毎年春になると淡い桃色の花をつけるその木で、彼の母は首を吊った。
遺体は埋葬されることもなく、ただ布に包まれて家の寝台に横たわっていた。
彼は母が遺した手記を見つける。
我が子への溢れんばかりの愛が綴られていたそれはやがて、次第に戸惑いや悲しみに変わっていった。
愛しい我が子がたくさんの人々を殺めている。その事実に、母は嘆き悲しんでいた。
彼は理解できなかった。
王は母が喜ぶと言っていたのに。命を断つほど、母は悲しんでいた?
途方に暮れてしまった彼を村の人々が責め立てた。
なぜ戻らなかった。
あんなに便りを出したのに。
王の軍に襲われたと。
村を助けてくれと。
育ててやった恩を仇で返すのか。
お前は自分のことだけ。
所詮、魔術師。
化け物。
人でなし。
お前を生んだ母も同罪。
お前など生まれてこなければ。
彼があげた悲鳴と共に、真っ白な光が広がった。
彼を中心にして広がったその光は、母の遺体も村の人々も、荒れた畑も家々も全てを飲み込み、そして消えた。
村が消えたそこには、代わりに石造りの堅牢な城が建っていた。
彼は城の最も高い塔の小部屋で、ただ一人、静かに座り込んでいた。
「それが、今のお城」
老婆は自分の前に置いてあったお茶を一口含み、優しく微笑んだ。
ケンタが走らせるペンの音だけだ、しばらく響いた。
「……ショウくんは、誰なの?」
ユウコがぽつりと問う。
ショウは老婆と視線を交わし、
「王宮付きの魔術師が突然消えたことで、王は焦った。必ず連れ戻すようにと、僕を魔術師のもとに送った」
「送った?」
アイが不思議そうに繰り返す。
「そう。僕はもともと、国に仕える魔術師だった。王命で彼……城主を訪ねた時、何があったのかを彼は全て話してくれたよ。そして二度と、王のもとには戻らない、もう誰の死にも関わりなくない、と僕に告げた」
「あ、えっと、国の魔術師を、オトウトギミって言うの?」
ケンタの質問に、老婆は一瞬目を丸くし、それからころころと笑った。
「いいえ。弟君、というのは、ご兄弟の下の年齢のお方を言うのよ。ご城主様とショウ様はご兄弟ではないけれど、誰もが間違えるくらい仲睦まじくいらしたので」
「ゴキョウダイ?ってなに?」
ダイスケのさらなる問いに、老婆は笑みを深めて頷いた。
「ご兄弟、というのは、同じご両親から生まれた男のお子様のこと。女のお子様の場合はご姉妹ね」
「兄弟、姉妹……」
噛み締めるように言うユウコの脳裏に、さらに別の疑問がわく。
「私たちの知らない言葉です。ひとつの言葉が無くなるって、長い時間が必要ですよね?おばあさんと城主様……ショウくんも、おいくつなんですか?」
老婆の肩に添えられていたショウの手の平が、また淡く光る。
穏やかに微笑んでいる老婆の瞼がとても眠そうにしていていた。
「城が建ちしばらくすると、近くの村人たちが助けを求めに来た。食料もなく、病気の者や赤子もいた。人が死ぬことを嫌った城主は、もちろん彼らを受け入れたよ。日をおう事、年をおう事に、助けを求める人々は増えていった。城を訪ねてくる人々は戦に疲れていたし、王や国を疎んでいてね。それを聞いた城主が外界を閉ざし、自分たちの町を作ってしまったのには、さすがに驚いた」
「呪いではないの?」
求めていた新しいモノ。
アイの瞳はきっと、きらきらと輝いていることだろう。
だがしかし、この内容は。
「呪いではないよ。助けを求めてきた人々のために、彼は城下町を作った」
「なるほど……」
感嘆を含んだ、アイの呟き。
ショウはそんなアイを見て満足そうに頷き、
「だが城主は気付いた。どんなに外界から遠ざけても人は死ぬ。病気や不慮の事故、寿命、様々な理由でね。その全てが、当時の彼には受け入れられなかった。だから人々の額に、石を埋めた」
無意識にダイスケの手が、額の白水晶に触れた。
不思議な安心感をくれる、城主の加護の証。
「石は城主の魔力を吸収し、持ち主の生命力に代えた。どんな怪我もあっという間に治癒し、病気にもならない。寿命は、魔術師とほぼ同じになった」
ユウコの背筋を、言葉に出来ない不安が走る。
ショウの静かな視線が自分の不安を全て見透かしているようで、ユウコは余計に不安になった。
「魔術師、特に魔力の強い者は、老いることなく生き続ける。首を落とさないかぎり、ね」
アイもケンタも、自分の石に触れた。
「……それは、じゃあ、私たちも」
ユウコの声は震えていたが、自分ではどうすることも出来ない。
そんな様子を見て、ショウはうっすら笑った。
「石の大きさによって吸収できる魔力の量が違う。君たちほど小さな石では、普通の人とさほど変わらないよ。……大きな白水晶を与えられた人々は、自分たちが死なないことに気付いた。このまま普通に子どもが増えていけば、近い将来、城下町はその許容量を超える。だから最初に石をもらった人々は、“子どもは一人”というルールを作った。もし二人以上の子どもに恵まれた場合は、城主に預けることになっているはずだよ」
ショウの話の途中から、老婆は目を閉じてしまっていた。
ダイスケが老婆の隣に移動し、背中に手を添える。
「おばあちゃん、大丈夫?」
「あぁ……、ありがとう。ごめんなさいね」
「疲れてるよね。休んだら?オレたちもそろそろ行かないと」
老婆はショウを見上げ、そして、自分の肩に置かれていた彼の手を優しく退けた。
「弟君、私はもう尽きましょう。どうぞお連れくださいまし」
「……わかった」
ショウは老婆を横向きに抱き抱えると、そのまま小屋を出て行こうとする。
「おい、どこ行くんだよ。おばあちゃん疲れてそうだし、寝かせてやれよ」
「そろそろ門が閉まる。……この人のことは大丈夫だから」
まだ座ったままのユウコとアイにそう声をかけると、ショウは小屋から出て行ってしまった。
「あ、え、ショウくん待って」
「おい、ケンタ!」
メモ帳を手にしたまま、慌ててケンタがそのあとを追う。
そのケンタを追って、ダイスケも外に向かった。
ユウコは机の上に置いてあったオーブを掴んでポケットにしまい、アイと一緒に立ち上がる。
「ユウちゃん、大丈夫?」
「え」
「顔色悪くない?大丈夫?」
ダイスケやケンタには見せないアイの優しい表情に、ユウコの胸に広がっていた言いようの出来ない不安感が拭われる。
ユウコはいつものように、アイに右手を差し出した。
「大丈夫だよ。行こう」
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