お迎えの時間

 帰宅ラッシュの満員電車から降り、改札口を出る。くたびれた僕は、お気に入りの空色の傘を差す。

 同じ電車で降りる長い髪の女性が、今日も待合室の入り口の脇でそっと待っている。

 彼女はいつものように、雨でより一層混雑した駅前ロータリーを、不安そうに眺めていた。

 僕が歩いてロータリーを抜けるあたりで彼女を振り返ると、迎えに来た男性と、相合傘で肩を寄せ合って歩いていくのが見える。

 ああ、今日もお迎えが来たんだと安心して、僕も帰路につく。


 傘の下であの笑顔が見られるのなら、梅雨も悪くないなと、思っていた。


 ある日振り返ると、彼女がまだ待合室の入り口で佇んていた。

 長引く梅雨の憂鬱さを一身に受け止めているような、誰よりもひどく悲しい顔をしていた。

 僕は帰路に向かう足を止め、ロータリーをぐるりと一周して、待合室の入り口まで戻った。


「どちらまで行きますか? 良かったら、傘」


 彼女に開いた傘を差し出す。


「え?」


 彼女は、明るい空色の傘と、冴えない僕の顔を見比べた。


「どちらまで?」

「あっ……六番の、バス停まで」


 ロータリーの向こう側、ここから一番遠い場所だった。


「僕もそちらまで行きますから、宜しければ、入りませんか」

「でも」

「濡れてバスに乗るのも嫌でしょう。ついでですから」


 彼女はかなりためらっていたが、意を決したらしく、


「……はい、では、すみません」


 と言って、僕の差し出した傘に入ってきた。


 お互い、傘の下で雨に濡れないぎりぎりの距離を保っている。


「今日のお迎えは、来ないんですか」


 僕がそう言うと、彼女は多少の驚きと、憂いを帯びた視線を寄越した。


「失礼ながら、いつも見ていました」

「ええ……。もう、迎えはないのに、傘を忘れてしまって」


 彼女は下を向いて、言った。


「傘を持つ習慣がなくて、つい……」


 バス停では、バスがちょうど発車準備を始めている。

 彼女は慣れない様子でバスに乗り込む。


「あの、傘、ありがとうございました」

「本当に、ついででしたので」

「もう忘れません」

「いえ、またここまでお送りますよ」


 と僕が言うと、彼女は小さく微笑んで、僕の傘を控えめに指さした。


「いつも、その空色、私も見えてました。驚いたけど、ありがとう」


 バスの扉が閉まり、座席についた彼女は横顔を髪で隠した。


 もう少しだけ、梅雨が長引けばいいと、僕は願った。

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