おひとついかが
おいしいお菓子が好きだ。
ただその気持ち一つで、商業高校卒業後、勉強とはまったく関係ない地元の小さなケーキ屋さんに就職して、三年になる。
以前、店長に私を雇った理由を訊いたことがある。
「ああ、商業出てるから電卓も叩けるし、なによりうちのがね」
店長の言う「うちの」とは、奥様のこと。恰幅のいい肝っ玉かあさんで、地元では「接客の神」とも称される、商店街の人気者だ。
「店のお菓子が好きな子がいちばんだって」
私はこの店のお菓子が、昔から大好きだった。誕生日もクリスマスも、ケーキはいつもここで買っていた。
履歴書を提出した時、奥様が私を覚えていてくれた。
「毎年ケーキを予約してくれてたでしょう? こんなに大きくなってまあ。うちのお菓子は好き?」
「大好きです!」
この即答が、決め手だったのかもしれない。
ちょっと新作を考えてくれないか、と店長に言われたのは、クリスマス商戦が終わって少し落ち着いたころだ。
「春向けの新しいケーキ。新生活にふさわしいような」
私は狼狽した。
レシピ通りに作ることには慣れたが、まったく新しいケーキを考えるのは初めてだ。何をどうしていいのか、見当もつかない。
「まずは、自分の食べたいケーキを作ってみたら」
奥様のアドバイスを胸に、私は就業時間が終わった店の奥で、一人料理台に向かった。
……うーん、いや、普通。
新しくもないし、春っぽくもない。これがショーケースに並んでいても、買わないな。
デコレーションを変える? あ、飾りを作って春っぽく?
春って、何?
考え始めたら止まらなくなり、参考になりそうな本やサイトを片っ端から漁った。果ては、料理の盛り付けや食材のカラーコーディネートまで調べ始める。
ケーキのデザインのために落書き帳を買ってきて、小学校以来眠っていたクーピー鉛筆を引っ張り出すようになるとは。
「春っぽくない」
「色が汚い」
「見た目はともかく味がいまいち」
「これじゃ採算が取れない」
店長から容赦ないダメ出しが続いて、私の心は折れそうだった。
「うん、いいんじゃない、シンプルでかわいいし」
これがダメならもう、私には無理ですと言おうと決めて作ったケーキで、ようやく店長の口から肯定的な言葉が出た。
「じゃ、これ、店頭でお客さんに試食してもらって、好評なら次の春から考えよう」
この努力が報われるのは、来年なのか……。
「大丈夫、おいしいよ。売れる売れる」
あっという間に食べ終えた奥様ににっこり微笑まれると、なんだか本当に大丈夫な気がしてきた。
たんぽぽの花と綿毛のふわふわをイメージした、私の初めてのケーキ。
今なら店頭で試食できますよ。
おひとつ、いかがですか?
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